第180話 神竜ちゃんドロップキック

 燃え盛る火球と七色に瞬く蝶が激突する度に、蒼弓の空には衝撃の波が幾多も生じた。そのうちのひとつが後を追って飛んでいたエリシュナと騎兵を呑み込むと、エリシュナの身体は糸が切れたように翼の力を失った。


『エリシュナ様!』


 落下しそうになったエリシュナを、騎兵が慌てて腕を掴んだ。


『大丈夫ですか、エリシュナ様!』

『まだ上手く飛べないか……』


 エリシュナは悔しげに、眼下に広がる深い森を睨んでいた。

 高さはせいぜい三百メートルといったところで、エリシュナならこの程度の高さなら落ちても問題はない。しかし、エリシュナがショックに感じているのは、さほどでもない衝撃波でバランスを失う自分の翼だった。

 治癒魔法で見た目は元通りになったものの、神経はまだ充分に回復しきっていないらしい。このままでは空中戦はまともに戦えないと、忸怩たるものが胸の内にあった。

 引き上げられ、兵士の後ろに乗ると、エリシュナは『急ぎなさい』と短く鋭い剣幕で兵士に言った。


『は、はい……!』


 顔は見えないが、背後からは殺気にも似た尋常でない気配が伝わってくる。有無を言わせぬ口調に抗することもできず、兵士はわかりましたとしか答えられなかった。

 極度の緊張に見舞われ、リュウヤたちを追うことよりも、どちらかというと背中のエリシュナに神経が集っている。

 リュウヤとゼノキアはグリュンヒルデの渓谷からさらに西へと移ろうとしていた。今はまだ森が深いが次第に森はまばらになり、岩山を越えれば、向かう先には広い荒野があるはずだった。

 騎兵が必死に食らいついたため、リュウヤとゼノキアの姿はエリシュナの肉眼でもはっきりわかる。凄まじい猛気だと騎兵が息を呑んだ。


『あの嵐の中に飛び込むのは、さすがに危険ではないかと』

『何をびびってんの。妾との戦いを見てなかったの?あなたも“深淵の森”の戦士でしょうが』

『……』

『臆したのなら、妾がこのグリフォンを使う。さっさと交代しなさい』

『い、いや、そうではありません』


 兵士は慌てて言った。交代とは、ここから飛び降りろと言っていることくらいはすぐに察している。いくら“深淵の森”の選ばれた戦士といっても、さすがにエリシュナほど頑丈ではない。


『もっと速度あげなさい』

『は、はい!』


 背中にナイフでも突きつけられているような気分で、騎兵は手綱を打った。

 前方のゼノキア、背後のエリシュナに神経を費やし、騎兵は周囲への注意を怠ってしまっていた。エリシュナも疲労と焦りで散漫になっている。

 森がまばらになり、岩肌目立つ岩山に差し掛かった時だった。突然、下方から黒く巨大な影がせり上がり、エリシュナたちの行く手を阻んだ。

 広げた二枚の巨大な翼。

 陽の光に反射して青く輝く鱗。

 トカゲを思わせる三角形の頭部に鋭い角や牙。

 不意に現れた怪物に、エリシュナは目を見開いていた。


『青い竜……リンドブルムだと?』


 知っている竜のそれよりかなり身体は小さい。しかし、それでもエリシュナたちを覆い隠すほどの大きさがあった。

 太陽を背にした青き竜――リンドブルム――は鋭くエリシュナたちを睨むと、咆哮して突進を仕掛けてきた。エリシュナが応戦しようとするが、騎兵が避けてしまい。そのタイミングを失ってしまっていた。


『なに、やってるの!』

『いや、しかし……』

『次は撃つからね。しっかり身構えてなさい』

『り、了解しました!』


 ――こんな時に。


 エリシュナは恨みがましい目で、リンドブルムを追った。身体つきから、まだ若い竜だろう。勢いはあるが攻撃に工夫がない。

 エリシュナがキーロックを構えた時、さらに上空から重くのし掛かってくるような気配を感じた。見上げると太陽を背に影が映る。

 輪郭から人の影だとはっきりとわかった。屈伸した状態で、両足を揃えてエリシュナに向けている。

 小柄で長い髪を振り乱すその金色の髪は、太陽の光によって鮮やかに光っていた。


「私が相手じゃ、エリシュナ!」

『……クリューネ・バルハムント!』


 エリシュナはキーロックを構えたが、クリューネはかまわず両足で蹴りこんで、ドロップキックのような形でエリシュナをキーロックごと押し込んだ。


『バカな……!』


 小柄とはいえ、クリューネの勢いに押されて、エリシュナは馬上から落下していった。騎兵が助けに向かおうとしたが、リンドブルムのサンダーブレスが遮ってそれどころではない。

 二人はそのまま落下して、クリューネは地上に激突する寸前、雷槍ザンライドを地面に放ち、衝撃を緩和させて地面へと着地した。続いて、エリシュナも着地したのだが、出血の影響か、一瞬立ちくらみがして足下がふらついた。


「逃すか!」


 クリューネは猛然と疾走すると、今度は低空のドロップキックでエリシュナを蹴り飛ばした。エリシュナの身体はボールのように地面を転がり、顔をあげた時にはクリューネが走り込んできていて、エリシュナの顔面にむけて蹴りあげてきた。


『ちっ……!』


 棒を振り回したような蹴りだったが、尋常ではないキレがある。エリシュナは咄嗟に身を伏せて、頭上をかすめていったかと思うと、今度は下方から迫るものがある。

 身を伏せたまま身体を急いで転がすと、クリューネの爪先が空を裂き、掠めた頬をひりひりと焼いた。

 エリシュナは身体をくの字に曲げてエビが飛び退くるようにして跳ね起き、そこでようやくクリューネから間合いを取ることができた。


「もうちょいだったが、惜しいの」

『バハムートにならないで妾を倒そうなんて、随分と甘く見られたものだわね』

「リュウヤの世界には、“牛刀割鶏ぎゅうとうかっけい”というちょうど良い言葉があっての。今のお主になら、人間の姿のままで充分じゃ。バハムートはゼノキア用にとっておかんとな」

『言うわね。魔王軍は妾とあの騎兵だけじゃないのよ?』


 エリシュナの言葉に応じるように、赤々と巨大な閃光が幾多も空を駆け抜け、リンドブルムは身体をよじって迫る閃光を回避した。

 クリューネが目を向けると、巨大な魔空艦が一隻、リンドブルムに砲火を噴きながら近づいてくる。


『この通り、応援も近づいているわ。あの若いだけでゼノキア様までたどり着けると思って?』

「……」


 伝令に向かったあの騎兵の話では、ゼノキアの母艦“レオナルド”が向かっているはずだった。バハムートがどれほど強大な力を持っていても、たった二匹で魔空艦“レオナルド”は墜とされはしないという自負がある。それに戦艦には、五百ものグリフォン騎兵部隊が控えている。

 出し惜しみして後悔するがいいと、せせら笑うエリシュナだったが、クリューネの表情はあくまで明るい。


『強がっても無駄よん。勝負かけるなら、早めにしなさい』

「まあ、まだ早いな。急いては事を仕損じるぞ」

『こんな時にまだ戯れ言?たった二人で……』

「二人ではないからな」

『なに?』


 いぶかしむエリシュナに、不意に後方から爆発音が響き、爆光がエリシュナとクリューネを照らした。


『な、なに!?』


 砲音でもなく、明らかに被弾して破壊された音。再びエリシュナが魔空艦レオナルドを見ると、レオナルドの船体から黒い煙が噴き上がり、船の周囲には数十もの飛行生物が攻撃を仕掛けている。その怪物はリンドブルムやバハムートと同じ姿をしていた。


『竜族……』

「な、私の言った通りじゃろが。私ら二人だけではない」

『竜族は人間に屈したわけね』

「このまま死んでいくわけにはいかんのでな。それに竜だって、翔ぶときには膝を屈する」

『……』

「これでも、力を出し惜しみしとるかな」

『後悔させてやるわ』


 いいだろうとクリューネは腕を組みながら、傲然と鼻を鳴らした。

 久しぶりの感覚だった。自分の過ごしたメキアでの青春時代。自分を形成した本来在るべき場所、納まるべき場所に、ぴったりと納まった気がした。


「喧嘩じゃ喧嘩。タイマン勝負、思いっきり喧嘩と参ろうぞ」


  ※  ※  ※


 撃剣総じて百余合、剣の火花が散るごとに、蝶の羽根から舞う光の鱗粉が空に煌めき、猛る紅蓮の炎が大気を焦がした。

 渓谷から場所を移り、足下には乾いた荒野が広がっている。リュウヤが巧みに誘い、グリュンヒルデの渓谷より更に西の荒野にまで移動していた。戦場からも離れ、辺りには人影もなく枯れた草木があるばかりである。


「さすが、魔王様なだけはある。前よりはちょっとだけ腕をあげたみたいだな」

『それで挑発したつもりか。ここに来たのも、お前は誘い込んだつもりだろうがな』

「なんだよ、わかってたのか」

『私も味方を巻き込ませないようにするためだ。ここなら思いっきり戦える』

「随分とおやさしいんだな」


 リュウヤは弥勒をだらりと下げたまま佇立している。

 無防備に見えるが誘いとわかっているから、ゼノキアも仕掛けてこない。ゼノキアもリュウヤと同様に、ラグナロクを下げて両足を小幅に広げて佇んでいる。


「どうだ、人間もなかなかやるだろう。数年前まで、こうなることを想像もできなかったんじゃないか」


 リュウヤの挑発的な物言いにも関わらず、たしかになとゼノキアは鼻で笑っただけだった。


『だが、貴様の功績じゃない。異世界から技術を持ち込んだサナダと、アルドの飽くなき欲の結果だ。貴様はただの狩猟犬に過ぎん』

「……」

『貴様は力を利用されるだけの存在。何も生みだしていない。勘違いするなよ偽物が』

「本物偽物談義が好きだな、アンタは」

『意気がった狩猟犬には、ちょうど良い呼び名だ。安心しろ。貴様の死骸はテパの隣に埋めてやる』

「なんだと?」


 突然、死んだ友人の名前を告げられ、リュウヤの胸がざわめくのを覚えた。


『セリナから聞いた。テパ。貴様の友人だったらしいな。一人だけ首を括った若い死体があったそうだが、それか。“すまん。ミナのところへいく”』

「貴様はやっぱ、クソ野郎だな」


 リュウヤが目を細めて、ゼノキアを冷笑ともとれる笑いをうかべて見つめていた。ひややかな眼には、静かだが明らかな殺意がある。

 テパが残した遺書は、テパとともに埋めたはずだった。一緒になるはずだったミナと手を握らせ、その手と手の間に。

 二人が眠る墓を、この男は暴いたというのか。


『ルシフィを通じて、色々と聞かせてもらった。すぐに村の場所は特定できた。今ごろは野犬の餌となって、バラバラにされているだろうさ』


 やかましいとリュウヤは低い声で言った。おさえつけているが狂暴な怒りが胸の内に吹き荒れている。鯉口をゆるめ、静かに腰を沈めた。

 ふっとリュウヤは短く息を吐いた。

 リュウヤは思い出していた。

 今日この日。このために俺は戦い続けてきたのだと。


「……アンタの部下に、ゴミのように殺された村の皆の気持ちがわかるか」

『わからんな。たかが人間の村。私を執拗に憎み戦う理由か。いつまでも些末な事象とらわれているから、貴様は偽物というのだ』

「殺されたミルト村のみんなの恨み、今日こそ晴らさせてもらうぜ」

『面白い。やってみろ』


 脇構えをとるリュウヤに対し、ゼノキアはラグナロクを霞構えに構えた。


「エリシュナのよ」


 不意に放ったリュウヤの一言に、ピクリとゼノキアの眉が動いた。


「ぶん殴られた時の風船みたいに腫れた顔。今でも笑えるぜ」

『リュウヤ……、貴様!』


 ゼノキアの身体から闘気が爆発すると、紅光の刃は幅広になり不気味な暗い光を帯びた。ミルト村に対して返した幼稚な悪口でしかなかったが、それはゼノキアの心の隙を縫って、逆鱗に触れることができたようだった。

 灼熱の猛火がリュウヤの目の前で何倍も膨れ上がり、空から紅の閃光が落ちてくる。

 重く鋭い斬撃をリュウヤは俊敏にかわして剣を振るおうとしたが、ゼノキアは既に次の太刀を用意していた。闘気をまとった刃同士が衝突し、膨大なエネルギーが嵐となり、乾いた大地を砕いた。

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