第178話 魔王も遅れて現れる

 複雑に入りくむ渓谷を縫うようにして、リュウヤとエリシュナの打ち合いは続いていた。

 狭い空間では武器の打ち合いにならざるをえず、単純な撃剣勝負ではリュウヤに分があった。エリシュナの重い攻撃を凌ぎきりながら、リュウヤの刃がエリシュナの衣服を斬り裂いていく。

 天才的な野生の勘を持つエリシュナでも、三度目の戦いということもあって動きの癖を読まれ始め、徐々にリュウヤが押していき始めた。端から見れば紙一重の差でしかなかったが、実際には大きな差が開きつつあるのをエリシュナ自身が感じていた。


 ――広い場所に出ないと。


 孤立させるために渓谷へと誘いこんだが、状況はエリシュナが不利になりつつある。振りかぶるキーロックのは怒濤に寄せる津波のようだったが、リュウヤは滑るように転身してかわすと鍵状の杖は水面を割り、水柱が火山の噴火のように噴き上がって、飛沫がリュウヤを濡らす。しかし、リュウヤはかまわず突進し、八双から斬り込んでいった。


「ずありゃあっ!」


 強く声を発した刃の切っ先が、エリシュナの頬をわずかに斬った手応えがあったが、それでもエリシュナは怯まなかった。キーロックを力任せに振り回して、その一撃はリュウヤの虚を突いた。重い熱風がリュウヤの肩に迫り、避けきれず鎧衣紡プロメティア・ヴァイスのミスリルプレートが防いでくれたが衝撃までは防ぎきれず、ゴムボールのようにリュウヤの身体は弾き飛ばされた。


「くっ……」


 猛烈な勢いでリュウヤは渓谷の岩壁に激突し、リュウヤの五体を引きちぎられるような衝撃が襲っていた。


「くそ!」


 骨がきしみ、息を詰まらせながらも、咄嗟に増幅させた鎧衣紡プロメティア・ヴァイスの羽根が、リュウヤを上空へと飛翔させる。その動きは敏捷だったが、息を詰まらせた際のわずかな遅れに乗じたエリシュナが、あっという間に背後へと回り込んでいた。

 耳元で、エリシュナの勝利を確信したような囁きがした。


『これでオシマイよん』

「……!」


 不気味に唸るキーロックを確かめる余裕もなく、リュウヤは背を丸めるように身を屈め、振り向き様に“弥勒”をエリシュナの左肩に向けて摺り上げるように一閃させた。眼前にキーロックが迫っていたが、それもエリシュナの絶叫と、刃から伝わる鈍い手応えとともに弾かれたように遠くなっていった。鮮血が霧となって宙に舞った。

 リュウヤの刃がエリシュナよりもわずかに速く、エリシュナの左の肩口を斬り裂いていた。


「うおおおおおっっ!!」

『エリシュナ様!』


 咆哮して迫るリュウヤに、状況を見守っていたグリフォン騎兵の一騎が、エリシュナの危機に器用にも三本まとめた矢を放って援護をしてきた。

 雷撃の魔法がこめられた矢は、当たれば致命傷になるものだったが、リュウヤはことごとく斬り落とし、そのままエリシュナへと猛進していく。

 もう一騎が剣を振るってリュウヤに突進してきたが、意にも介さず騎兵を一刀で斬り捨ててエリシュナに接近していった。


『くそ!』


 エリシュナは片手で萌花蘭々コスモスを放ったが、痛みと出血で視界が眩み他の確認が不十分だった。そのため、リュウヤにいた騎兵に気がつかず、リュウヤが避けた花吹雪の熱波はエリシュナを援護していた部下の騎兵を呑み込み、悲鳴をあげる間も与えず骨まで溶かしていった。

 

「自分の仲間を死なせてどうすんだよ」

『うるさいっ!』


 エリシュナは一撃二撃とリュウヤの斬撃を片手で受けていたが、肩の傷と味方を討った動揺で、防戦一方となっていた。

 不利だと間合いをとろうと身を翻した瞬間、エリシュナの背に激痛がはしり、身体から力が抜けて地上へと落下していく。自分の羽根が一枚、あらぬ位置で空から舞い落ちている。

 叫びたいほどの痛みを堪えながらも、エリシュナは目の端でリュウヤが殺到してくるのを捉えていた。


 ――来い、リュウヤ・ラング!


 この一撃を喰らえ。

 リュウヤは自分にとどめを刺そうと躍起になっている。それが油断、隙につながるはずだ。さっきの頬と羽根の傷のお返し。何十倍にして返してみせる。

 背を丸めたエリシュナはにんまりとほくそ笑み、リュウヤを待った。

 そして間合いに入った気配がした。この距離なら避けられない。


『萌花……』


 振り向き様、キーロックをリュウヤに向けたが、エリシュナは目を疑った。リュウヤが忽然と自分の目の前から消えている。瞬間、傍らから射抜くような殺気が全身を貫いた。総身に寒気がはしるのを感じながら顔を向けると、真横に高々と上段に剣を振り上げるリュウヤの姿があった。


 ――……読まれていた?


 陽を頭上に浴びて、リュウヤの表情は影となってしまっていたが、影からぬらりと浮かぶ感情のない瞳は闇の底から覗いているようだった。あまりの不気味さに、エリシュナの身体は縛りつけられたように身動きが出来なかった。


「終わりだよ。エリシュナ」


 リュウヤの声は平静で、傲りも気負いもない。ただ冷厳に事実を告げる。酷吏の罪人に対する死刑宣告を連想させた。


 ――死ぬ。


 陽光に輝く刃。

 その刃が振り下ろされれば、自分の額から顎にかけて、真っ二つに斬り裂くのだろう。

 意識が飽和し、まともに思考できないまま、エリシュナは刃を瞬きもできず呆然と注視していた。ただ、最愛の人の顔が唐突に脳裏を過って、それが言葉となって口についた。


『ゼノキア様……』


 凶暴な白刃が眼前に迫り、エリシュナを斬り裂こうとした時だった。紅の光が割って入り、キインと金属を叩く高い音とともにリュウヤの刃を跳ね返したのを目撃した。


 闘気に形成された紅の刃。

 魔王たる者だけが持つ唯一の剣。

 闘剣“ラグナロク”。


『エリシュナ、無事かあ!』


 懐かしささえ感じる声にエリシュナの胸が熱くなり、込み上げてきた感情が涙となって溢れ出てきた。視界が滲んで、エリシュナはまともに目が開けられないでいる。

 来てくれた。

 エリシュナの弱った心身には、戦略的戦術的な是非を考える余裕はない。助けてくれた。それだけで感動し心が奮えていた。


『ゼノキア様!』


 刀を弾かれながらも、踏みとどまって再び繰り出したリュウヤの斬撃をゼノキアは受け止め、鍔迫り合いとなると、そのまま力任せに押し込んでいった。圧倒的なパワーにリュウヤは押しに押された。


「ついに大ボスのご登場か!」

『リュウヤ・ラング、貴様!』


 舌打ちするリュウヤに、ゼノキアの吼えるような怒声が響いた。


「大した力だ。さすが魔王ゼノキア」

『抜かせ小僧が!』


 ゼノキアは背後に映る岩山にリュウヤを押しつけようとしたが、リュウヤは寸前でゼノキアをいなすと身を転じ、素早くゼノキアから離れた。


『逃すか!』


 と、ゼノキアは喚き、身体を包む炎のような紅蓮の闘気を燃え上がらせると、天を貫く閃光のようにリュウヤへと突進した。壮絶な打ち合いが始まり、二人の戦いにエリシュナも息を呑んでいた。


『エリシュナ様、ご無事ですか!』


 耳元で声がし、ふと見るとグリフォンに乗った騎兵に抱えられていた。ゼノキアに伝令として向かった兵士で、落下するエリシュナを受け止めてくれたらしい。

 騎兵は他の仲間がいないことに気がつき、一瞬、表情に暗い影がはしったがすぐに気持ちを改め、慎重にエリシュナを地上に運んでいった。エリシュナは大きく喘いで、肩と背中からおびただしい血が溢れている。


『エリシュナ様、今すぐ手当てをします!ご辛抱ください!』

『傷の手当てくらい、自分でやるわ。それより頼みがあります』

『は、はい!』

『……あそこの岩場に引っ掛かっている、妾の羽根をここに持ってきなさい』


 促され兵士がエリシュナの震える指差す先を見ると、渓谷の岩壁に引っ掛かるようにして、エリシュナの斬られた翼がゆらゆら風に揺れている。


『しかし、くっつけたからと前のように翔べるかどうか……』

『つべこべ言わず、持ってきなさい!下手に傷を治したら、それこそ二度と翔べないのだぞ!』

『わ、わかりました!』


 エリシュナは歯を剥き鬼を思わせる凄まじい形相と、血走った巨大な瞳で兵士を睨みつけた。エリシュナは重傷にも関わらず、その殺気の凄まじさに戦慄し、兵士は震え上がっていた。先ほどまで弱ったエリシュナに、兵士もああこの人もやはり女だと憐憫れんびんの感情を抱いていたのだが、そんなものは既にどこかに吹き飛び、慌ててグリフォンにまたがって飛んでいった。


『翼の傷を治したら……。リュウヤちゃん、待ってらっしゃい』


 この傷の何十倍ものお返しをしてやる。

 喘鳴ぜんめいしながら、エリシュナはヒヒと愉快そうに声をあげ、リュウヤとゼノキアの決闘を見守っていた。

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