第168話 我々は、戦いを愛する

 待てと呼び止められ、クリューネが顔をあげると魔弾銃を持ったムルドゥバ兵三名の姿がそこにある。どこかで見覚えのある顔だと思った。


「どうしたクリューネ姫。また来たのか。何か忘れ物か」


 気がつくのは兵士たちの方が早かった。見渡すとクリューネは大通りの十字路まで来ていた。リリベルら魔王軍と遭遇した場所で、雑貨屋はその近く。男たちは規制線で検問を行う警備兵たちだった。三班に分かれ、それぞれ路上にテントを設営し、中で机を置いて通る者に取り調べを行っている。

 兵士たちはそのうちの一斑で、朝、雑貨屋の様子を見に行く際、取り調べを受けた後で兵士たちと世間話を交わしている。


「姫!」


 振り返ると、ティアが息を切らしながら走ってくる。大丈夫か兵士のひとりが心配そうに眺めながら言った。


「なんだ。姫様の従者くん、やけに血相変えてるな」


 朝の検問時、ティアがクリューネをしきりに“姫”と呼んでいたため、朝も兵士たちはからかってそう呼んでいた。名前まで知っているのは、帳面に名前と住所まで書いたのが、覚えられたからだろう。


「姫、お願いです。僕と一緒に来てください。ぜひ、お力を!」

「私はリュウヤといる。あいつの幸せな顔が見られれば、私も幸せなんだ」


 嘘言わないでくださいとティアが声を荒げると、警備兵だけでなく、周りの通行人も何事かと視線を向けた。


「そんなのが幸せなわけないでしょ!」

「……何だと」

「リュウヤさんに告白しなかったのも、セリナさんのことを考えたからじゃなく、断られたら行き場がなくなると思ったからじゃないですか」


 ティアが言うのを見計らったように、ピシッと鋭く乾いた音が鳴った。その音に、兵士たちや通行人は声をあげた。

 クリューネの右手がティアの頬を張り、痕がついた箇所が赤くなっている。手が震え、涙を溜めたクリューネがティアを睨みつけている。


「……お前に、お前に何がわかる。ろくに恋などしたことのない。ただの子どもが」

「わかりません、わかるわけないでしょ!何をわかれってんです!」


 ティアは負けずに素早く返した。


「恋だとかなんて、僕にはわかりませんよ。姫みたいにひたむきになったことはないです。でも、こんなの、人生を浪費するだけの生き方なんて絶対に間違ったことだと、子どもでもわかりますよ!」

「……」

「姫……」

「ストップストップ。そこまで」


 二人の剣幕におされていた兵士たちは、ようやくそこで割って入ることができた。クリューネとティアをひとりずつ分けて抑え、残りの一人がクリューネたちをたしなめている。


「せっかく命が助かったんだから、こんな時に友達で喧嘩するなよ」


 気が高ぶり、荒く息を乱したクリューネとティアは互いに睨みあっていた。

 兵士たちも持てあまし、お互いに困った顔を見合わせている。通行人も少し目を合わせると、我関せずと逸らしてしまう。


「まあよ……」


 仕方なく兵士の一人が何か言いかけた時、突如、激しく鳴らされた吹奏楽が二人の間を遮ってきた。無我夢中だったせいで気がつくのが遅れたが、見上げると数百メートルの位置まで高度を下げた魔空艦が上空で停留している。


“我々は覚悟し、決断しなければならない”


 と、語りかけるようなアルド将軍の荘重な声は、誰もが耳を傾けさせる力を持っていた。

 声に釣られ、クリューネやティア、兵士たちも魔空艦から響くアルドの声に耳を傾けていた。


“君たちは悪夢を見たと思っているようだが、これは間違いだ。休戦から昨日までの平和な日々こそ夢だったのだ。

 美しい街は無残な姿となり、豊富な物資をつくりだしていた多くの工場も破壊され、以前のようなムルドゥバを取り戻すには膨大な時間と労力を費やすこととなるだろう。

 だが、絶望してはいけない。

 なぜなら、考えてもみるがいい。

 これまで、我々が魔王軍とどれだけの戦いの歴史を積み重ねてきたのかを”


 アルドは言葉を切った。姿は見えないが、地上の人々の顔を見渡しているような間があった。


“我々は本来、戦いを好む。戦いを愛する。

 嘘ではない。我が国で行われる武術大会は、ムルドゥバ国民が最も熱狂するスポーツだ。

 勝者を称え強者を崇める。優勝者には栄光が与えられる。

 しかし、それだけでは我々が戦いを愛する理由にはならないだろう。

 我々は敗者をも称える。

 勇敢な敗者は称賛するが、臆病者、消極的な者、小技に頼る者には、我が身のことのように恥とし許さない。

 君たちは、強者の恐ろしさを知っている。

 それでも挑み、前に進む勇気のすばらしさを知っている。

 君たちひとりひとりの血には、生まれながらの戦士の血が流れている。剣と弓から銃と魔装兵ゴーレムに変わりはしても、我々は生まれながらの戦士である。

 戦士として、戦いを愛することによって、今日の我々があるのだ。

 これこそが我々ムルドゥバが魔王軍に蹂躙されず、ついには肉薄するまでになった理由である。

 我々は一時の休戦で安らぎを得、甘美な夢を謳歌した。酒に酔って笑い、家に帰れば暖かな布団にくるまれ、腹を満たすスープが待っていた。

 だが、その夢も数多くの同胞の死によって終わった。

 我々は、目を覚ます時が来たのだ。

 再び戦士に戻らなければならない。大地を寝床とし、盾を枕にし、泥水をすすり、餓えや風雪に耐える日々が戻ってきたのだ。我々に恐怖と死を与えた魔王軍には、それ以上の罰を与えなければならない。

 我々は覚悟しなければならない。

 蜜はいつまでも流れ続けてはいない。

 その蜜も今は涸れた。

 諸君よ、決断する時が来たのだ。未来のために。同胞への復讐のために。

 絶望などしている暇はない。

 パン一個のために争っている場合ではない。

 怒りをぶつける敵はどこにいるのか。

 真の敵はどこにいるのか。

 私は戦場に立つ。

 だが、戦場に立つのは私一人ではないはずだ。残る者いるだろう。

 人にはそれぞれ役割がある。

 力ある者は戦い、なき者はある者を支援し、老人病人は祈り耐える。

 ムルドゥバに残る者も、戦場に向かう者も苦難に耐えることには変わらない。皆、戦士である。

 我々は決断しなければならない。

 この荒れ果てた街を目の前にして、夢の名残を惜しんで過去に生きるか。

 未来のために前へ進むか。答えは自ずと明らかだろう。

 私は、勇敢なる戦士諸君と共に戦えることを一生の誇りに思うだろう。以上!”


 アルドの演説が終わるやいなや、爆発したような歓声がどっと沸き起こった。生き物が咆哮するようにひとつのうねりとなって大気を震えさせる。

 クリューネとティアを必死につかんでいた兵士たちも、二人を忘れたように咆哮の波に呑まれて熱狂していた。目を見開き、顔を紅潮させてティアの目には皆、同じような顔をしているように思えた。

 言葉の力。

 それこそ、そんなものはただの言葉だとティアは思っていたが、実際に存在する光景を目の当たりにして、慄然として周囲を見渡していた。


「……ああいうのが、王に就くべきなんじゃろうな」


 熱狂の渦の中、クリューネは力無い目で魔空艦を見上げていた。

 クリューネは確信している。

 初期にアルドが魔装兵ゴーレムを動かせば、もっと被害は少なかったはずだと。アーク・デーモンに襲撃された際、魔装兵ゴーレムをぴくりとも動かさなかったアルドがやっていたのは、自己保身だと断言できる。

 しかし、それはクリューネだけの確信であって、結果についてはたら・ればでしかない。

 アルドの考え方に批判することだけはできる。

 だが、アルドのような決断が出来るか。どんな結果になろうと、自己の判断の正否に耐えることが出来るかと言うと、はなはだ疑問に思えた。

 自分だったら中途半端に兵を出す一方で、手薄な守りを不安に思い、結果として無用な損害だけ増やしたのではないだろか。


「私には、あんな力などない。王なんてできんよ」

「そんなことは……。姫は自分を小さく見すぎです。姫は神竜バハムートなんですよ」

「所詮、神竜などただの暴力じゃ」


 吐き捨てように言うと、クリューネは身を翻して背を向けた。寺院宿舎へ帰るのだろう。一時は注目していた兵士や通行人も、熱狂の渦に呑まれてクリューネたちを気にしていない。

 それまでは「ムルドゥバ万歳」「アルド将軍に栄光」と叫んでいたが、誰かが口にしたのを皮切りに、街はムルドゥバ国歌に包まれていた。


「姫!」


 ティアはクリューネの背後に駆け寄り、ムルドゥバ国歌が響き渡る中、小柄な身体をギュッと抱きすくめていた。正体不明の、自分でも抑えがたい衝動がティアを突き動かしていた。


「僕は……、僕はクリューネ姫の味方ですから。アギーレで姫にお会いしてからずっと……」

「それは、親父殿に言われたからだろう」

「違います。一目お会いしてから、心に決めておりました」


 ティアの思いがけない行動に、クリューネの全身は硬直していた。子どものくせにやけに力強い。クリューネはそう笑い飛ばそうとしたが、子どもらしい純粋な気持ちが背中から広がって、そのあたたかさに胸が詰まって言葉を発することが出来なかった。


「姫には姫の生き方があります。ただ、小さく閉じた世界で終わって欲しくないんです」

「……ありがとうな」


 何度も深呼吸して気持ちを落ち着けると、ティアの手をそっと握った。やさしい手の感触に驚き、ティアは我に返って手を離そうとしたが、クリューネは手を握ったままでいる。力など入れてないのに吸いついているようだった。


「……もうすこしお前が大きかったら、惚れていたかもしれんな」

「え?」


 意識が飽和して内容を理解するまで時間が掛かり、呆けたようにクリューネの顔を見つめていた。ようやく言葉がティアの耳の奥にまで届いた時には、既にクリューネは手を離し、厳しい表情で吹き荒れる嵐のような群衆を見渡していた。

 自分にはアルドのようなカリスマ性はない。

 だが、自分には自分のやり方がるはずだ。


「リンドブルム家嫡男ティアマス・リンドブルムに命ずる」

「は、はい!」

「お主は国に帰れ」

「姫!」


 慌てるなと言ったクリューネの声は低いが喚声の中でも明瞭で、向けた眼光は鋭い。佇まいには威厳があった。

 見違えるような貫禄に圧倒され、ティアは緊張した面持ちで背筋を伸ばして立っていた。


「帰って、貴様の親父殿に今日までの状況を伝えろ。そして、次の決戦までに若い竜族を集めて来い。そこが天下分け目となる」

「……」

「竜族再興云々はこの戦にかかっておる。私が王だとかは後回しだ。それに、ただ勝つのでは駄目だ。他の竜族にも今の世界を見させ学ばせ、さらに先に備えさせろ。賢愚構わずな。賢は見て学び、愚は身を以て学ぶ。どちらにせよ学ぶに変わらん」

「しかし、先に備えろとは……」


 と言い掛けて、ティアはすぐにムルドゥバのことだと気がつき、口を閉じた。魔王軍とともに戦うなら、ムルドゥバは頼もしい。しかし魔王軍の存在がなくなれば、いつ銃口がこちらに向けられるかわからない。

 まだ、魔王軍は強大で勝利したわけではないが、先を見越し対処できるようにしなければ。

 戦いを愛する。

 アルドの言葉がティアに重くのし掛かっている。

 ムルドゥバを訪れてから一ヶ月、国力は今の竜族では足下にも及ばないことぐらいはわかっていた。

 しかし、一方で竜族はどうなのか。

 アルドの名前すら知らなかった自分を思い返し、不意に背筋に冷たいものが流れるのを感じた。

 竜族は何も知らない。

 悪魔とも戦える魔装兵ゴーレムの存在なぞ、一笑に伏すのではないだろうか。


「……わかりました。父によく伝えます」

「頼むぞ」


 厳しい表情を向けながら互いにうなずくと、クリューネはティアから踵を返した。足はリュウヤたちがいる寺院宿舎に向けられている。

 今度は、逃げるのではないことくらいはわかっている。

 この人は前に進むために歩き出したのだと、誇り高い想いを抱きながら、ティアはクリューネの堂々とした背中を追っていた。

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