第167話 いつか、笑って話せるわ

「何もぶたんでも、良いじゃないか」


 リュウヤの隣で、クリューネが涙目になって頭をさすりながら歩いている。


「ティア君はお前のせいで叩かれたろ。少しは反省しろよ」

「叩いたのはリリシアじゃろ」

「なに?」

「何でもなあい」


 クリューネは不満気に口を尖らせてそっぽ向いた。大広場に比べて破損のない建物の数が増え始め、人にも明るさがある。早くも店頭に品物を並べている店もある。

 東側の大広場を後にした一行は、南の四番街区からまわって、寺院宿舎に向かっていた。大通りを真っ直ぐに行ったほうが早いのだが、リュウヤたちとアーク・デーモンの激戦地となった八番街区は至る箇所で規制が掛けられ、いちいち警備兵に止められる。

 リュウヤも大広場に来る途中に何度も呼び止められ、帰りもそこを通るのが億劫で、四番街区は比較的規制が緩やかというリリシアが耳にした情報に従って、そちらから帰ることにした。


「リュウヤもアイーシャには甘いくせに、私には厳しいの」

「アイーシャはくだらない嘘はつかないし、注意すればわかってくれる。お前なんかと一緒にするな」

「なんかとはなんじゃ。主に向かって不敬じゃろ。家来のくせに生意気だぞ」

「……いつのネタを引っ張ってんだよ」


 リュウヤは苦々しげに舌打ちした。リリシアがリュウヤと入れ替わるように口を挟んできた。


「嘘ついたクリューネが悪い」

「リリシアがティアを叩いたじゃろうが」

「ティア君には悪いことをしたと思っている。でも、だからこそ、利用されたのが悔しいし許せない」


 幾分、気力を回復させたリリシアはクリューネの反対側、リュウヤの右側を歩いている。冷たく突き放すように睨むと、クリューネの後ろに付き従っているティアを向いた。


「ティア君ごめん。子ども扱いされると、ついカッとなる。反省してる。私、クリューネと違って大人だから、ちゃんと謝る」


 大人のくせに、随分と子どもぽいことを言うなとティアは鼻白んだが、先ほどのことがあるから、さすがに口にはしなかった。


「いえ、痛くはなかったんですけど吃驚しちゃって、つい……」


 ティアは慌てて手を振りつつも、内心では女には言葉に気をつけようと強く自分を戒めている。まさか初対面の女性に叩かれるなんて思わず、世間はえらいところだと少年は驚きを通り越して感心すらしていた。


「クリューネもティア君に謝れよ」


 渋い顔をしてリュウヤが言うと、クリューネはそっぽ向いて口笛を吹き始めた。まともに音が鳴らない下手な口笛で、空気が抜けたような音がする。

 泣き真似こそしてみせたものの、実際にはそれほど痛いわけではない。


「おい、クリューネ……」

「ニャンコじゃニャンコ。おい、ニャンニャン」


 リュウヤたちは四番街区の中をはしる川の橋に差し掛かっていた。小舟が行き交う程度の広さがあり、今も数人の怪我人を乗せた小舟が通って行くのが見えた。その橋でクリューネが欄干の下にちょこんと座る三毛の子猫を見つけると、リュウヤを無視して子猫に駆けていった。


「仲間とはぐれたのか。まあ、お互い生きとって何よりだのう」


 抱き上げようと手を差しのべると、子猫はミーミー鳴きながらクリューネの足下を逃げ回り、スルリとクリューネから逃れると、土手を伝って橋の下まで駆け去ってしまっていた。


「あ、こら、おい……」


 クリューネが下を覗くと、狭い土手の片隅に親らしき二匹の猫とその周囲に四匹ほど集まっていて、子猫もその中に駆け込んでいく。ミーミーと騒いだ後猫たちはどこかに行ってしまった。


「嫌われたかの」


 振り向くクリューネは明るかった。にこやかな笑顔にリュウヤは思わず釣られて、苦虫を噛み潰した表情を崩していた。


「猫は警戒心が強いんだから、あれじゃ逃げるよ」

「ま、家族仲良さそうだから、私に免じて許すとするかの」


 そう言うと、クリューネは「恋するフォーチュンクッキー」を、鼻歌混じりに歌いながらさっさと歩いていった。あまりの陽気さにリュウヤとして苦笑いするしかない。

 しばらくリュウヤはクリューネの背中を見送っていたが、ふっと真顔になってティア君と言った。


「ティア君、ありがとな」


 不意にリュウヤが言ってきたので、何故だかティアは顔が熱くなるのを感じた。


「と、突然、な、なんですか」

「君がいてくれて助かったよ。クリューネやアイーシャが無事だったのも君のおかげだ」


 リュウヤに褒められ、明るい笑みを浮かべたが、すぐに表情は暗く沈んでいく。


「でも、リュウヤさんが来てくれたからだし、雑貨屋のおじいさんたちや他にも助けられなかった人たちが大勢……」

「でも、助けられた人も大勢いる。俺が結界を突破出来たのは、リリシアたちが力を弱めてくれたからだし、それまでの間、クリューネやティア君が頑張ってくれたからだよ。とにかく礼を言わせてくれ。ありがとう」

「……僕は竜族ですよ。人間からお礼だなんて」


 プライドが高い竜族にとっては、卑小な人間から礼を言われても嬉しくも何ともないはずだった。だが、幼い頃から人との関わりが深く、竜族でも心が震えるような強さを見せたリュウヤから礼を述べられれば、心が激しく揺さぶられてしまう。

 ティアの目頭が熱くなったが、涙を見せるのが恥ずかしく、わざと仏頂面して必死に誤魔化した。


「早くクリューネ姫にはバルハムントに戻ってもらいたいですからね。家臣としては、主を護り、働きをみせるのは当然ですよ」

「でも、これからどうするつもりだい。アイツ、国を再興する意思はないんだろ」


 リュウヤに言われ、ティアは力なくうつむいた。


「……その辺りはもう少し、お話ししてみたいと思います」

「しかし、前のあの感じだとなあ……」

「そうですね。でも、竜族には中心となる方が必要なんです」


 ふうんとリュウヤはティアと顔を見合わせていたが返しはせず、三人はしばらく無言で歩いた。橋を渡り四番街区から抜けて寺院宿舎のある通りに入ると、再び破壊された家屋が目立ち始める。焼け跡のなかから焦げた柱が枯れ木のように乱立し、生き残った人々がその中で黙々と作業している。

 

「お父さあん」


 アイーシャの声がし、視線を通りに戻すとクリューネと手を繋いだアイーシャが手を振っている。小走りでリュウヤのところまで走ってくる。寺院宿舎の前には人だかりが出来ている。

 炊き出しをやっているらしい。人影に紛れて、セリナや近所の女たちが鍋から飯ごうや皿に煮物を注いでいるのが見えた。


「アイーシャ、身体はもういいのか」

「うん。少し眠れたから。もう大丈夫」

「エライな、アイーシャは。……で、また戻ってきたそっちの大きなお友達はどうなのかな」

「私はまだヒリヒリ身体が痛むぞ。リュウヤよ、お主の貧弱な回復魔法で手当てをせい」

「……」


 クリューネは包帯が巻かれた右腕を差し出すと、リュウヤは人差し指と中指揃えてしっぺした。


「あだ、あだだだだだだ」

「大袈裟だろ。軽く触れただけじゃねえか」


 腕を押さえてうずくまるクリューネに、リュウヤは呆れて見下ろしていた。

 アイーシャだけは真に受けて、クリューネを心配そうに覗き込んでいる。


「お姉ちゃん大丈夫?」

「優しいのうアイーシャは」


 クリューネは近づくアイーシャをしゃがみこむ格好で、ぎゅっと強く抱きしめた。


「怪我人をいたぶりおって、リュウヤてば酷い奴じゃのう。どうじゃ、アイーシャ。あんなやつより私の子どもにならんか」

「ええ?お父さんやお母さんの方がいいもん。お姉ちゃんお寝坊だし」


 アイーシャは素っ気なく返すとクリューネの腕を抜け出して、とてとてとセリナの方へと走り去ってしまっていた。


 ――あれ?


 ティアはアイーシャを見送るクリューネに違和感を覚えた。アイーシャの反応などわかりきったことなのに、一瞬だがクリューネの表情はひどく傷ついたように映っていた。


「……ま、お姉ちゃんより、お父さんやお母さんの方がいいわな」

「あ?どうした突然」

「なんでもない」


 クリューネはよっこらせと立ち上がると、大きく背伸びをしてリュウヤに向き直った。浮かべる微笑は、ティアの目から見ても魅力的だった。

 

「リュウヤ、“聖霊の神殿”に行ったらよろしくな。雑用くらいしかできん主じゃが」

「ありがたいけど、竜族の方は良いのか」


 リュウヤはティアを一瞥したが、クリューネは小さく首を振った。


「私はお主らと、アイーシャとずっといたいしな」


 そっとリュウヤの袖を掴みながらリュウヤを盗み見るクリューネに、どこからともなくティアの中で強い衝撃が駆け抜けた。頭をガツンと殴られたような気分にもなっている。

 何気ない仕草だったが、今の仕草でクリューネから感じていた違和感の正体がわかった気がした。


 ――姫はリュウヤさんが好きなのか。


 妻子があっても想いを断ち切れず、その子どもと我が子のように接し、好きな男の傍にいることで擬似家族をつくろうとしている。


 ――姫は間違ってる。


 ティアには恋愛などわからない。今はわかりたくもなかった。だが、縛られたまま自分を誤魔化して生きることは正しいのだろうか。王となれば、新たな縛りや誤魔化しがあるだろう。

 しかし、好きな男を見守るだけの無為に消費していくだけの日々に、いったい何があるのだろうか。

 これは違うと自分の中のティアが告げていた。

 憤りに似た感情が胸のうちに湧くと、無意識に足が前に出ていた。


「姫、バルハムントを、竜の国の再興のため協力してください」

「いや、だから私は……」

「アイーシャちゃんは姫をお姉ちゃんと呼んでも、お母さんとは呼ぶことはありませんよ」


 瞬間、クリューネの顔が真っ赤になった。身体が震え、両目にはみるみる内に涙がたまっていく。クリューネが握りしめた拳に、殴られるかとティアは身をかたくさせたが、クリューネは無言のまま背を向けた。


「……そんなのわかっとるわ」

「だったら……」

「うるさい。私の勝手だろ」


 低い声で呟くと、クリューネはそのまま走っていった。


「ティア君、追って!」


 それまで無言のまま様子を見守っていたリリシアが叫んだ。その声に押されるようにして、ティアがクリューネの後を追った。


「どうしたんだ、あいつら」


 リュウヤが駆ける二人をきょとんとして眺めている横で、リリシアがひそかにため息をついた。

 リュウヤも鈍感な質ではないが、慣れ親しみすぎたせいか、クリューネが恋愛感情を引きずっているとは気がつかないらしい。おそらく想像もしていないのだろうと思った。

 だが、リリシアは打ち明けることができないでいた。ここでリュウヤに打ち明ければ、これまでとの関係も変わり、クリューネはおそらく精神の拠り所を失う。

 日本で今後のことを話し合った時は、倫理も文化も異なる世界である故に、今後の自分や自立というものを強烈に考えさせ、未練を断ち切ったようにも思えたが、クリューネはこの世界に戻ってきた安心感から、リュウヤへの未練が再び芽生えてきたらしい。

 想いを秘め続けた分、その想いは相当濃いものになっているとリリシアは感じていた。

 しかし、とリリシアは思う。


「変わらないといけないんです」

「何を」

「色んなことをです」


 意味がわからず、どういうことだと訊ねようとしたリュウヤに、不意に巨大な影が覆った。

 見上げると、ムルドゥバ軍の魔空艦が通りすぎていくところだった。捜索の船かと思っていると勇壮な吹奏楽が鳴らされ、続いて“激戦を生き残った幸運と勇気に恵まれた諸君”と重々しい男の声が船のスピーカーから響いた。


「アルド将軍か……?」


 音楽とアルドの声に市民は作業の手を休めて、一斉に船に目を注いだ。街は静寂に包まれ、しわぶきも立てる者もない。異様な静けさの中、人々はアルドの次の言葉を待っていた。


“……我々は覚悟しなければならない”


 長い沈黙の後、アルドの言葉が空に響き渡った。

 重厚な声には力があり、人々の中はアルドの声が天啓のように感じる者もいた。

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