第149話 みんなでピクニック

 ムルドゥバ郊外から北東部にある緑地公園は、政府主導の下で整備された国立公園で、かつては木々が鬱蒼と生い茂る森林であった。しかし、そこでのし歩いていた魔物も今はすっかり駆除されてしまい、あるのは綺麗に整地された広野である。


「この辺はスライムやオークが生息しとったそうじゃが、魔物の気配は全くせんの」


 クリューネが感心した様子で、辺りを見渡していた。

 人の手によって整備された公園には石畳の舗装路が何本も敷かれ、その内の一本に、リュウヤたちを運んだ三台の荷馬車が入り口まで引き返していくのが見えた。公園の美観を損ねないように、馬車以外のあらゆる車両の進入は禁止されていて、その馬車も様々な制限がある。

 馬車が進む道沿いに桜の亜種やクスノキといった樹木が計画的に均等な間隔で植えられている。雑多な草木の代わりに、綺麗に刈り込まれた植え込みや、レンガづくりの花壇があちこちに設けられていた。

 公園内を穏やかに流れる小川が、陽の光をキラキラと川面から反射させている。子どものくるぶしくらいの浅い川で、川の水は池に流れ込み、毎年冬になると渡り鳥がやってきて、そこで羽根を休めに集まるという。

 ただあまりに敷地が広すぎて、リュウヤの目には公園というよりゴルフ場に思えた。


「みんな、池のそばや遠くに行かないようにね。年長さんたちも、子どもたちをよく見てね!」


 歓声をあげて、緩やかな傾斜をを駆け上がる十数人の子どもたちに、ナギが声を掛けると、その“年長さん”らしい子どもたちが「はい!」と元気のいい返事をした。“年長さん”は小さな子どもたちに目を配りながら、思い思いの遊びに興じている。

 子どもたちの中にはアイーシャの姿もあった。布を何枚も丸めて縫い重ねたものボールとして使って、コロコロ蹴飛ばしながら友達と遊んでいる。


「ごおぉぉる!」


 樹の幹にぶつける度に喜んでいるところから、サッカーの真似事をしているようだとリュウヤは思った。日本にいる間に、テレビで覚えたらしく、見よう見まねながらも楽しそうに騒いでいる。

 平地と言っても完全な平地ではなく、ところどころに丘陵があって、見上げるくらいの傾斜がある場所もある。樹齢の高い木々も幾つか残されていて、広い枝からは、鏡に光るような緑の葉を繁らせていた。

 リュウヤたちは、傘のように枝を広げた大きな樹の下に陣取り、持ち合わせてきた古いシーツを使って敷物に使って座っていた。

 

「ホントに久しぶりですね。リュウヤさん」

「ナギ様もお変わりなくて、なりよりです」

「ナギ様はやめてくださいよ」


 ナギは恥ずかしそうに手を振った。ナギは聖霊の神殿がなくなってから、今の寺院には神職ではなく、一介の保母として雇われている。

 衣服も神官服ではなく、使用人が着るような地味なドレス姿でいる。これは寺院で冷遇されているというわけではなく、神職を嫌がったナギ本人が望んだことだった。


「かといって、ナギちゃんという歳でもないだろ。見た目の割に歳いってるからの」

「……そりゃ、四捨五入したら30ですけど」


 クリューネのからかいに、小柄で童顔なナギはふてくされ気味に口を尖らせた。見ようによっては、十代に見えなくもない。


「すみませんね。わざわざ付き合ってもらって」

「お礼を言いたいのはこっちですよ。こういう機会てあまり無いですから」


 ナギは太陽の陽射しを思いっきり浴びるように、うんと背伸びをして言った。寺院での日々は気苦労が絶えないらしく、久し振りの解放感に浸っているようだった。

 ナギを誘うといっても、寺院の規則は厳しく、子どもたちを放置しておくわけにはいかないので、“散策活動”という怪しげな名目で寺院側に許可を取ってもらっていた。


「子どもたちの面倒ばかりで大変じゃの。それだと良い人見つからんじゃろ」

「もう、それどころじゃなくて……。焦ってんですけど」


 軽い気持ちで聞いたのだが、意外に真剣な顔つきなので、反対にクリューネの方が慌てた。


「いやいやいやいやいや、私にも全然相手がおらんでな。困っとるんじゃ、同志じゃな同志」

「まだクリューネさんは、二十だからいいですよ。神職から離れられたと思ったら、毎日毎日子どもの世話。……私の青春がどんどん遠退くなあ」

「ナギ、その台詞を子どもの前で絶対に言うなよ」


 渋い顔するクリューネに、ナギは再びうんと背伸びをした。


「あーあ、リュウヤさんみたいな彼氏がいたらなあ」


 あっけらかんとした口ぶりで告白するナギに、周りは呆気に取られている中、リュウヤがたどたどしい口調でナギに尋ねた。


「えと、それはどういう……」

「だって、リュウヤさんて強くて頼りがいあるし、優しくて、家事も骨折ってくれるから助かるじゃないですか。そうじゃない?セリナさん」

「え、ええ……」


 急に話を振られて、セリナが返答につまりながらうなずいた。

 確かにリュウヤは優しいし、家事手伝いもアイーシャの面倒も積極的に見てくれるから助かっているのは事実で、ナギの言う通りである。しかし、それを言ったら単にのろけ話になるだけだと思い、セリナはそれ以上は黙っていることにした。

 ちょうど、泣き声がし、見ると小さな女の子が座り込んで泣いている。渡りに舟とばかりにセリナは子どもたちの方に行ってしまった。


「ナギ様、俺はダメなのかよ」


 リリシアと組むようになって消えたが、レジスタンスでもかつて女たちがリュウヤのことで騒いでいたのを思い出し、ジルが不満そうに口を尖らせていると、ナギはジルを見上げたままニコリと微笑を浮かべた。


「……悪くないけど、私、もうちょっと頭の毛の多い人がいいな」

「……」


 ナギの強烈な一言に、ジルは言葉も無い。愕然としたまま、しばらく動けないでいた。


  ※  ※  ※


「ナギは案外、俗だし毒吐くの」


 樹を前で体育すわりしてうずくまるジルを横目にしながら、クリューネはナギの隣で皿にチキンフライを盛りつけている。ジルの丸めた背中からは何とも言えない哀愁が漂い、とてもレジスタンスのリーダーとは思えない。


「ジルは聖霊の神殿の頃に、さんざん手を焼かされましたから。お返しです」


 無邪気に笑ってみせるナギを、クリューネはこいつは悪女の素質があるなと苦笑いするしかなかった。


「おい、ジル。落ち込むなよ」


 リュウヤがジルの隣にしゃがみこんで声を掛けたが、その声も我ながらぎこちない。なぐさめの言葉も浮かばず唸っていると、ジルは肘でリュウヤの脇腹を小突いてきた。


「羨ましいな、コノヤロウ」

「いや、俺にはセリナがいるんだけど……」

「だから、羨ましいと言っているんだよ。モテる奴は妻子持ちとわかっててもモテるんだな」

「……」


 おいリュウヤと、クリューネの咎める声が背後からした。


「ぼさっとしとらんで、そのハゲと一緒にこっちを手伝わんか」

「誰がハゲだ!ちょっと額が広いだけだ!」


 ジルは金切り声をあげるように憤然とクリューネのところに戻ると、盛った皿からチキンフライをひとつ奪って口に放り込んだ。


「あ、おま……まだ飯は始まったとらんのだぞ」

「うっへえ。もがまめらへ」

「何いっとるかわからんし、気も利かん。そんなんだから、お前はハゲでモテんのじゃ」

「モテないのはともかく、ハゲじゃねえつの!」


 やかましくわ騒ぐジルとクリューネを尻目に、リリシアは黙々とパンを切り分ける作業を進めていた。


『リリシアは、兄のフォローしなくていいのか。あんなに言われているのに』


 シシバルの問いにも、クリューネはパンに目を落としたままでいる。


「肉親と思われるのが恥ずかしい」

『確かにあいつのフォローは、俺も嫌だな』


 身内ならではの悪口なので、他人のシシバルから率直な返事を聞くと、身勝手にも内心ではムッとしていた。こういう時は、「そんなことはない」と、何かフォローするべきではないのかと、自分から言い出したことなのに身勝手なもので、リリシアはシシバルに対し小さな憤りさえ生じさせている。


「それより、シシバルもいい加減に手伝う」


 リリシアは幾分、険のある声でシシバルに言った。

 先ほどから腕組みして子どもたちを眺めながら佇立する、シシバルが気になってもいる。

 ここ数年でかなり薄れてきているとはいえ、魔族には食人の文化が残っている。品定めしているのかと思い始め、警戒しながらパンを切っていた。


『これでも俺は魔族の戦士。婦女子や使用人の真似事なんぞ出来るか』

「また、つまんないことを言ってる」

『何がつまらんか』

「新国家をつくろうという男が、古い慣習にとらわれるのは良くない。人手も足りないのだから、使用人がやっていたこともしなければならないこともあるはず」

『……』

「魔王軍からではなく、魔族からも一旦離れて考えるべき」

『その第一歩がパンの切り分けか』

「そう」

 

 リリシアの厚ぼったいジト目で、シシバルを注視した。シシバルは表情を柔らかくし、肩をすくめるとリリシアの隣に座った。


『国づくりの第一歩となるなら、手伝ってやるかな』

「礼は言わないから」


 いらんよとシシバルは苦笑いして、籠からゆで玉子の殻を剥き出した。


『……それにしても、こういうものははじめから盛りつけた方が早くないのか』

「人数が多いから量も多い。皿で持ってたら料理が崩れるから、それは不粋」

『……』

「それに大人の時間潰しにもなる。子どもの面倒は大変」


 解放感と言いながらも子どもの様子が気になってしまうらしく、ナギやセリナは転んで泣いた子をあやしたり、池に近づこうとする子を注意したりと何かと世話しない。それでも本人たちにしてみれば、今日は休んでいるようなものなのだろう。


『なるほどな、そういう考えもあるか。勉強になるな』

「そう。子どもの品定めするより、ずっと良い」

『品定め?』


 驚いた顔つきで振り返るシシバルに、余計なことを言ってしまったとリリシアは後悔していた。何と言って謝ればいいのだろう。目を落とすリリシアをまじまじと見つめるシシバルだったが、言葉の意味を覚って寂しそうに笑って、玉子の殻を剥き始めた。


『喰うと思ったのか』

「いえ、それは……」

『子どもは嫌いじゃない』

「……」

『恥ずかしいが、そろそろ、俺にもあれくらいの子どもがいるなと考えていたんだ。正直、ジルを笑えん』

「……」

『俺の家系でも食人から離れて久しいが、イメージを持たれるところ、お前の言う通り、魔族から離れて物事を考えないと駄目かもしれんな』

「……ごめんなさい」

『気にするな。お前には国づくりの第一歩を教えてもらった』


 つるつるに剥いた玉子を観察した後、シシバルは次の玉子を手に取った。


「おおーい」


 凛とした声がリリシアたちを通り過ぎ、見ると一台の馬車がやってくる。リュウヤたちが乗ってきたような荷馬車ではなく、政府が使う金色の装飾が施された馬車である。

 純白の士官服姿のテトラ・カイムが、馬車の窓から手を振っていた。見えないはずだが気配と聴覚でわかるのか位置も方向も正確で、まるで不自然さを感じない。テトラの背後から、眼鏡を掛けた痩せた男がもやしのようににょっきり伸びている。

 レジスタンスが誇る技術者ハーツ・メイカだった。


「これで全員、お揃いだな」


 ジルが手を振って呼び掛けると、馬車はリュウヤたちの前に止まり、中からテトラが身軽に飛び降りてきた。ミスリル製の剣杖をかつんと突き立てると、一瞬よろめきながらも大地にしっかりと足を踏みしめた。その後をハーツが慎重な足取りで降りてくる。

 テトラの手に、何故か撃剣用の袋を携えているのが気になったが、リュウヤが疑問を口にする前にテトラがにこやかに笑った。


「おっまたせえ」

「テトラもハーツさんも、忙しいのに悪かったな」


 テトラも軍務、ハーツもムルドゥバと協同で兵器の開発で機密に携わっていたからジルほど自由が利かない。駄目で元々と思っていたから、リュウヤの表情には、嬉しさと申し訳なさが混ざっていた。


「一年間、さんざん働かされたからねえ。そりゃもう、上に駄々こねましたよ」


 肩をすくめるテトラに、僕もだよハーツが言った。

 テトラに比べ、ハーツはよほど心労が重なっているのか、以前よりやつれて髪の毛も薄くなったのがリュウヤには気の毒に思えた。


「リュウヤ君たちが出てってから、陰気臭い研究所や工場の往復だったから。休戦になったんだし、これを口実に一週間ほど休みを貰ったよ。こっちが助かった」

「……今日は、ゆっくりしていって下さい。大したものはないけど」


 謙遜ではなく、急ぎの集まりとなったために、チキンフライや玉子他数点くらいしか手作りといったものはなく、後はできあえのものばかりである。

 いや、とハーツは手を振って明るく笑った。


「大人は酒があれば間に合うから。皆と騒げれば充分」

「じゃあ、向こうで乾杯しようぜ。子どもたちも呼ぶから」


 リュウヤがテトラとハーツを案内しようと先に立つと、後ろからテトラが「リュウヤ君」と声を掛けてきた。振り向くと同時に、テトラは一本の棒を放ってきた。受け取ってみると、ムルドゥバの撃剣試合で用いる竹刀である。

 意図が掴めず、リュウヤは訝しげに竹刀と微笑するテトラを見比べている。

 テトラは袋から、もう一本の竹刀を取り出すと、自身の剣杖をハーツに預け、素振りを始めている。


「なんのつもりだ」


 リュウヤが訊ねると、準備運動してるのとテトラが言った。テトラの不審な行動に、クリューネたちはざわめいている。


「準備運動?」

「うん。ご飯の前にね、私とリュウヤがひと勝負するの」

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