第148話 ムルドゥバは祝杯と喪に満ちて

 王都ゼノキアまでの活動と戦闘、脱出してから日本へと転移、そして帰還するまでの報告を聞き終えた後、おもむろに口にしたアルド・ラーゼル将軍の言葉に、リュウヤは耳を疑って思わず聞き返していた。


「すみません。なんですって?」


 短気で知られるアルドは、苛立った様子で机を指先でとんとんと突いている。


「その、核兵器を手に入れることが、我々の勝利に繋がると言ったのだ」

「しかし、俺にも詳しい作り方なんてわかりませんよ」

「だから、君の娘アイーシャの力が必要になるのだ。異世界へ赴き、核兵器とやらを手に入れれば魔王軍との戦いも、ぐっと楽になるだろう」


 アルドは背もたれにもたれ掛かった。かたぶとりな体型をしているためか、その仕草をしただけでもやけに尊大に映った。

 アルドの両側には各省の大臣が並んで座り、リュウヤたちはアルドの向かい側に座り、楕円形の円卓を囲んでいた。

 リュウヤの右隣から、ジルにシシバルという順番に座っている。リュウヤは拒否をしめすつもりで、手を振る仕草をした。


「お言葉ですけど、将軍。アイーシャの力は安定したものじゃありません。感情によって発現する極めて不安定なものです」

「……」

「川に水を汲みに行く努力惜しんで、空から雨が降るのを待ってるようなもんですよ。アイーシャはあなたが期待しているようなものじゃない」

「……しかし、この世界に転移したのはアイーシャの意思じゃないのかね」

「あれは、向こうの精霊たちが力を貸してくれたんです。世界の崩壊を防ぐために」

「……」

「それにアイーシャは、まだ幼い子供です。やっと家族が揃ったのに、こんなことに関わらせるなんてできませんよ」

「何をあまっちょろいことを言っている」


 アルドではなく、内務省の大臣という痩せた男が口を挟んできた。


「子供だろうと関係ないだろう。君の娘は尋常でない力を持っている。これは我々、人間たちの勝利、未来に関わっているんだぞ。家族が何だと言うんだ」

「……は?」


 大臣の身勝手な物の言い方が腹立たしく、リュウヤが凄味を利かせて睨み返した。


「大臣、あなたの息子が同じように言われたら、どう思うんです」

「……私の息子二人は、既に戦死している。私自身、かつては戦場に身を置いた。私だけではない。覚悟は誰もがしていることだ」


 一瞬、会議室の空気が凍りついた。リュウヤは隣のジルと目だけを合わせると、言っていることは事実だというような苦い顔をしてわずかに頷いた。

 リュウヤの心は揺らぎ掛けたが、腕を組み、奥歯を噛み締めて必死に堪えた。

 針金のように頼りなげな内務大臣だが、アルドに選ばれた閣僚。時代の子である。肝は相当据わっているとリュウヤは思った。

 ここは退けないとリュウヤは自らに鞭を打った。


「アイーシャは自分でちゃんと判断できない。大人の都合に付き合わせない。絶対に」

「わざわざ苦労して、他の者を死地に追いやるつもりかね」

「だから言ったはずでしょ。アイーシャの力なんて雨降り待っているようなもんだって。わざわざ苦労しようてのは大臣ですよ」


 内務大臣が言葉に詰まったのを見計らって、ジルが割って入った。


「そんな上っ面しか見てねえから、ガルセシムみたいな青二才に軍を任せて、むざむざ死なせるんでしょうよ」


 ジルにはジルの憤懣がある。吐き出すように、鋭い剣幕で声をあらげた。


「さっきもリュウヤが説明したけど、竜の山はロクに近づくこともできない死の山だ。そんなものをあちこち使ってどうすんです。あの不気味な火の塊をあんたらも見たでしょう。あんたがたは世界を破滅させるのが目的ですか」

「ホーシャノー……だったか?大袈裟に言っているだけじゃないのかね」

「なら、ご自分で行ってみたらいいでしょう。足踏み入れたら十数秒もせずに全身から毛が抜けて血を吐きながら死ぬだけ。顔会わさなくて済むから、清々しますがね」


 リュウヤが鼻で笑うと、大臣の一人が顔色を変えて立ち上がった。大臣の瞳は怒りで燃えていたが、リュウヤの異常にぎらついた視線に圧せられて、顔を背けてそのまま着席してしまった。

 リュウヤの隣で、シシバルも黙って腕を組んでいる。刺す眼光は刃を連想させた。

 ムルドゥバの閣僚とはいえ、死線を潜り抜けた三人の眼力に敵う者は誰もいない。内務大臣をはじめ、居並ぶ大臣たちは憤りながらも口を閉じている。ただ、アルドだけが悠然と椅子に腰かけていた。


「……雨降りを待つか。確かに、幼い子供を巻き込むわけにも、そんな力に頼るわけにもいかないな。多少労力使っても、水を汲みに行く方が早い」


 アルドが重々しい口調で言った。


「だが、そう簡単に勝てる相手ではないことは、君らも良くわかっているはずだが」

「簡単に勝てはしないでしょうが、長引けば優勢になるのは俺たちです」

「よく断言できるな」


 断言するリュウヤに、アルドが目を光らせた。閣僚たちの視線がリュウヤに注がれる中、リュウヤは自分の心に浮かんだことを確かめるように、「そうっすねえ」と息を吐くように呟いて、淡々としゃべり始めた。


「ゼノキアは古い慣習に拘りすぎてます」


 と、リュウヤが静かに言った。


「鉄道や車両の有用性については認めて継続させておりますが、魔装兵ゴーレムは相変わらず否定的。戦とはこうだと、一種の芸術のように考えているところがあります。色々と軍をいじってますが、中心は相変わらず剣と槍に弓矢」

 リュウヤは「偽物」だの「借り物」と詰ったゼノキアを思い出している。

 ゼノキアの中には、もうひとり、この世界に喚ばれたサナダ・ゲンイチロウの知識や技術があるはずで、その気になれば魔法を駆使した新兵器の開発くらいなど、幾らでもできそうなものだが、それを殊更忌避している。

 何か理由があるのかもしれないと思ったが、この場では関係がないことだった。


「……反対に俺たちは、一年前五年前、一昔前とまるで違う。新しいものを取り入れて対抗できるところまできた。それを、ゼノキアはまだ受け入れられていない。ゼノキアは停戦して一息つけたつもりでしょうけど、生産力ならこちらが上。次に戦いが始まった時には、物量では魔王軍に勝っているでしよう」

「“俺たちは”か」

「なぜ、ジルがレジスタンスを立ち上げて、ムルドゥバがジルを支援したか忘れたんですか。魔王軍が竜の山を攻略するのに、数十万の人間が犠牲にした話てそんな昔話じゃないですよね」


 せせら笑う国防大臣にリュウヤは冷ややかに返すと、国防大臣は気まずそうなリュウヤから顔を背けた。

 リュウヤは冷たい視線を国防大臣の薄い頭部に注いでから、アルドに向き直った。アルドは正面からリュウヤの視線を受け止めた。


「君の意見は大変心強い。だが、物量ではという言い方が気になるな。他では劣っているということか」

「個々で言えば、ゼノキアやアズライルはやっぱり強い。あいつらに対抗するには身心を極限まで高めた人間、これは俺たちのような剣士の仕事です」

「機械の魔装兵(ゴーレム)では無理でも、生身の剣士では出来るのかね」

「変な話ですけどね」


 アルドが珍しく苦笑いしたが、リュウヤは釣られずに真顔のままでいる。


「君たちの強さはわかっているつもりだが、何故、剣士なら対抗できると言えるのかね。魔法か」

「いや、もっと根本的なところです」


 リュウヤは何と伝えるべきか、頭を掻きながら考えていたが、説明するのに浮かんでくる文言は青臭い表現ばかりだった。

 魔法は対抗手段のひとつに過ぎない。その魔法も、強大な魔力を持つ人間は、クリューネやリリシアなど選ばれた少数の者に限られていたし、リュウヤにも魔力などさほどない。身体能力の差は歴然としている。

 それでも戦えると思えるのは、鎧衣プロメティアを操れるようになり、そこで実感するものがあったからだ。

 だが、とアルドや他の大臣の顔を眺めている内に、浮かんでくる文言を喉の奥に呑み込んだ。


「……まあ、やります」


 代わりにリュウヤの口からでたのは、“竜馬がゆく”の台詞だった。


「やるって、何をだ」

「ゼノキアたちの相手ですよ。理屈をあれこれ言っても仕方ない。例えば魔装兵ゴーレムや銃騎兵がゼノキアやアズライルらに圧倒されても、俺やテトラが連中と戦えるてのは、将軍が言った通り実証済みでしょ」

「……」


 リュウヤはニコリともせずに、アルドをまっすぐ見据えていた。アルドも背を伸ばし目を細めて、じっとリュウヤの瞳を見つめている。奥にある真意は何か探りだそうとしている目つきだった。


「よかろう」


 不意にアルドは相好を崩し、背もたれにがっしりとした身体を預けた。


「君の“やる”という言葉を信じよう。雨降りを待つより水汲み。ゼノキアたちについては君たちの力に期待するよ」

「……」


 弛緩した空気が会議室に広がり、微笑とともに穏やかなざわめきが起きた。


「ま、核については今後のことだ。至る道は色々あるだろうしな」


 ざわめきの中で、アルドの独白めいた低い声が、リュウヤの耳にはっきりと届いた。

 微笑を湛えて宙を見据える目は、魔王軍との戦いよりもっと先で、リュウヤたちとは別の未来を見ているようにリュウヤは思った。


  ※  ※  ※


「アルド将軍殿は、ずいぶんと野心家なんだな」


 リュウヤは、先ほど出てきたばかりの壮厳な建物を振り返り、最初に口にした言葉がそれだった。皮肉たっぷりに口の端だけ歪めて見せるが、目は笑っていない。ジル・カーランドもシシバルも、リュウヤに倣って建物に振り返る。

 ムルドゥバの政治の中心を担うハルザ宮殿が、大きな鉄格子の門の向こうに傲然と構えている。円形の前庭には白い砂利が敷き詰めてられていて、黒塗りの車が庭に沿うように、六台ほど連なる形で停まっている。運転手が車の傍で雑談していた。

 ムルドゥバ国各省の大臣の車である。


「前に会った時と随分変わったな。あんなに威圧的じゃなかったのに」

「この一年くらいかなあ」


 ジル・カーランドが首を捻って言った。三人は再び歩き出した。

 数年前、エリンギアに向かうリュウヤとクリューネを見送りに来た時は、厳しい頑固親父という印象はあったが、もっと気さくな一面を見せていたのに。

 だが、宮殿の会議室で再会したアルドは居丈高で、リュウヤに向ける目も冷淡で、当時を懐かしむ様子など微塵も感じなかった。


「前から自信家だったが、あんな感じになったのは、魔装兵ゴーレムが主力になってからかな」

「将軍じゃなくて王様だな」

『……事実上、我々の王だからな。こちらも言いたいことは言わせてもらったが』


 シシバルは複雑そうな表情を浮かべた。

 シシバルは眉を隠すくらいにニット帽を深く被っている。人間たちが住む町では、魔族の象徴とも言える銀髪はかなり目立つ。ゼノキアから反乱した魔族の軍隊や、シシバルの存在を知らない住民はいないが、顔はそこまで知られていない。無用なトラブルを避けるために、ムルドゥバでは常時、着用している。


『レジスタンスは元より、俺たちもムルドゥバの支援を受けている。エリンギアの復興支援の物資や金もムルドゥバ頼み。どうしても下風に立つことになる』

「それで増長してんのかな」


 リュウヤは不愉快そうに顔をしかめた。気をつけろよと、ジルが周囲を見渡しながら、声をひそめた。


「アルド将軍は絶大な人気と権力があるんだ。下手なことを言うと、密告されて秘密警察に目をつけられるぞ」

「平気だよ。そんな奴は周りに誰もいないし、皆はパレードに夢中だ」


 リュウヤは周りを目を向けた。胡乱な人間を判別するくらい、リュウヤにはすぐにわかる。

 通りを走るパレード用の馬車からは紙吹雪が舞い、娘たちはにこやかに踊り、男たちは陽気に歌っている。老いも若きも男も女も停戦を祝した美酒に酔いしれていて、ジルが言うような秘密警察らしき姿は見られなかった。


 ――初めてムルドゥバ来た時もパレードしてたっけ。


 リュウヤは衣服に付着した紙吹雪を払いながら、町を見渡していた。街並みは当時と変わっていないが、大きな違いは車がチラホラと通りで見掛けるようになったことと、黒い腕章をつけていること。そして各店舗や官公庁、広場の時計台などに、青年将校の肖像画が掲げられていることだった。


『ガルセシム大隊長も、すっかり英雄扱いだな』

「停戦のきっかけにはなったの確かだから、間違いではないんじゃないか」

『まあ、名誉でも与えてやらんと、あいつも死に甲斐がないか』


 シシバルは表情を変えずに鼻を鳴らした。

 肖像画の青年将校は、エリンギア西部方面を担当していたガルセシム大隊長で、停戦のために命を落とした英雄と祭り上げられていた。

 戦死の実際は政府も把握しているが、遺族への配慮と戦意高揚に効果があると判断して、ガルセシムの死を利用していた。ムルドゥバの人々は、「天国のガルセシムに」を合言葉に、ビールを満たしたジョッキを突きだして乾杯し、盛大に騒ぐことでガルセシムの死を弔っていた。


 ――何も知らないで呑気なもんだ。


 リュウヤは舌打ちして、酔いしれる人々を冷たい目で見ていた。

 民衆とっては平和が第一で、ガルセシムに何ら功績もないことや、戦死の実態など、どうでもいいことくらいリュウヤもわかっている。しかし、先ほどまで行われていた会議での憤懣がリュウヤの中で、まだわだかまっているせいか、能天気に騒いでいる光景が異様に腹立たしく、悪態をつきたい気分になっている。

 

「なあ、リュウヤ」


 ジルが振り向いた。


「さっきの会議で、アルド将軍にゼノキアたちと戦える理由てやつを言おうとしたよな。ありゃ、何をいうつもりだったんだ」

「……ちょっと恥ずかしい台詞」

『なんだ、言ってみろ。お前なりに根拠があるんだろ』


 促すシシバルに、リュウヤは笑うなよと釘を刺した。


「“この世界だと、自分の思いの強さをそのまま力にすることができる”て言おうとした」

「……」

「俺の鎧衣プロメティアやテトラの剣技である斬破も、精神を極限まで練り上げたもんだ。魔装兵ゴーレムはある程度訓練すりゃ誰でも動かせるけど、俺たちのような戦いは誰でも出来る訳じゃない。絶え間なく鍛錬を積んだ者だけが得られるもので、それはある部分では魔装兵ゴーレムのような機械を凌駕している。それが出来るのは、魔法の存在が大きい」


 ジルとシシバルは笑うことはしなかったが、眩しそうにリュウヤの話を聞いていた。


「だから、不幸しかもたらしていない核兵器なんていう異世界の兵器にも頼る必要なんてない。充分に戦えるというようなことを伝えたかった」


 リュウヤが口をつぐむと、後を継ぐようにシシバルが口を開いた。


『言いたいことは何となくわかる。ガルセシムは精神的な部分を突かれて、ゼノキアの魔法にやられたからな。あの魔法は本人の精神性にも大きく関わる』

「だが、俺たちが魔王軍とまともに対抗できるようなったのも、魔装兵ゴーレムがあってこそだぜ」

「それは百も承知してるよ。……してるつもりだ」


 ジルの反論にリュウヤが渋い顔して返した。


「ただ、魔装兵ゴーレムや魔空艦も、魔力をエネルギー源としてこの世界でつくられたものだ。技術も理念も核兵器とまるで違う。俺たちの世界でも持て余してる核なんて同意できない」

「……」

「ただ、精神力の話なんて、言葉にしてみると説得力なくてさ。言えば笑われるだけと思ってやめたんだ。……やっぱ変かな」

「お前にはお前の考えがあるだろうし尊重するが、会議室で発言しなくて正解だったと思う」


 ジルの言葉に、シシバルも無言でうなずいた。

 会議室で同じ台詞を耳にしたら、恥ずかしさのあまり頭を抱えていたかもしれないとシシバルは思った。しかし、こうして街中を歩きながらの話だと、おかしい話のようには聞こえないのが不思議に感じた。

 リュウヤの話が終わったところを見計らって、さて、とジルが言った。


「どっか飲みにいくか」

「それも良いけど……」

「何だよ。セリナさんがうるさいか」

「いや、そうじゃないよ。飲みに行こう」

「だったら、なんだよ」


 ジルに問われて、リュウヤは苦笑いした。

 セリナとアイーシャはクリューネらとともに、メドギア寺院に預けられている。そこにはかつて聖霊の神殿の大神官ナギがいて、子どもたちもナギと一緒に暮らしていた。


「ちょっと、考えていることあってさ」


 リュウヤは首をひねっていた。今いるメンバーだけでなく、みんなが集まってゆっくりと話し合いたい気分になっている。


「シシバル、いつエリンギアに戻るつもりだ」


 シシバルはかつて魔王軍の支配下だったエリンギアを拠点に、独立を宣言している。エリンギアに戻れば、復興作業に追われて寝る間もなくなるはずだ。


『ええと……“マルス”を修理してから物資を搬入するから……、二週間くらい先だな』

「ジルはその間は空いてる日はあるか」

「大丈夫だよ」


 それならさ、とリュウヤは立ち止まって二人を見た。


「ナギ様やみんなを誘って、ピクニックにでも出掛けないか」

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