第141話 リュウヤ・ラング対魔王ゼノキア
リュウヤは水心子正秀作である“弥勒”を脇構えに構えを移し、ゼノキアを見据えたまま後方のテトラを庇うようにゆっくりと足を運んだ。
ゼノキアはゆらりと身体を揺らしながら、穏やかに満面の笑みを浮かべて佇んでいる。
「魔王さんよ。そんなに嬉しいか」
細めた目の奥からは、強烈な憎悪の光が発せられリュウヤを突き刺してくる。歯を剥き出しにして笑う口元は、鋭く彫られたように深く凄味が伝わってくる。
『嬉しいぞ、リュウヤ・ラング。やはり、溜飲を下げるには本人でないとな』
「……」
『あの美しいエリシュナを、あの気高さと強さを持ったエリシュナを傷つけた。貴様の罪はあまりに重い』
「勝手なことを抜かすな。喧嘩を吹っ掛けてきたのはテメエの嫁さんだぜ」
『黙れ!』
ゼノキアから笑みが消え、かっと口を開いて吼えた。びりびりと大気が震え、リュウヤの総身に悪寒がはしった。
圧されるなと、リュウヤは自身の心に鞭を加えた。
『是も非もあるか。私のエリシュナを……。あいつは、恥ずかしいと泣いたんだぞ。あの誇り高い女が!エリシュナを傷つけた。それだけで充分だ』
「……わかったよ。もういい」
リュウヤは腰を沈めると、鯉口をゆるめて静かに柄に手を添えた。
一国の王が語るにしては、言い掛かりにもほどがあり、あまりに感情的過ぎて馬鹿馬鹿しいという気持ちが多分にあるが、それでゼノキアを軽く見たわけではない。
エリシュナへの想いを語るゼノキアの姿と、セリナとアイーシャを取り戻すのに必死だった自分の姿と重なり、ゼノキアに対してそれまで抱いていた敵意が薄らいでしまっていた。
――気を張れ、リュウヤ・ラング。ここからだぞ。
チラリとリュウヤは横目で視線を向けた。
視線の先には、半壊した家屋の軒下で、治療を受けているエリシュナとリリベル、そして今にも歯を剥き出しにして睨んでくるアズライルの姿がある。しかし、注目していたのはその三人ではなく、近くの岩場で無造作に放置されている円筒型の物体。
この世界に持ち込まれた核ミサイル。ゼノキア他も気にしていないが、あれを敵の手に渡すわけにはいかない。
――さて、どこまで時間稼げるかだな。
上手くやってくれよと祈りを込めるように、リュウヤは“弥勒”の柄を握り直した。
※ ※ ※
「大丈夫かの。テトラよ」
二つの闘気に神経を向けていたテトラの手を、聞き覚えのある声とともにそっとつかんでテトラをゆっくりと立ち上がらせた。
「……その声、姫ちゃん?」
「おう、久しぶりだの。姫と呼んでくれるのはテトラだけじゃ」
一年ぶりに会うクリューネ・バルハムントの声はいつものように明るいものだったが潜めていて、リュウヤとゼノキアを窺っている気配があった。
「ここでは戦闘に巻き込まれる。早くジルのところへ行くぞ」
テトラはクリューネの手につかまり歩いていたが、そこでようやくクリューネの他にも、人がいる気配に気がついた。やはりリュウヤとゼノキアに、神経を集中させすぎていたからだろう。
「やっと帰ってきたと思ったら、また戦場みたいだの」
「……ごめんなさい、お姉ちゃん。すごい強い力に引っ張られて」
「気にするなアイーシャ。おかげで、テトラのピンチに間に合ったみたいだしの」
「……こども?」
何でこんなところに子どもがと、テトラは訝しげに声がした方に顔を向けていると、それに気づいたクリューネはお前は会うのは初めてだなと言った。
「ほれ、前に話したリュウヤの娘のアイーシャだ。色々あったが、やっと嫁さんも無事救出できたぞ」
「嫁さんて、もしかして」
アイーシャという子どもの隣で、たじろぐ女の気配がした。
「……ええと、あの、はじめまして。リュウヤの妻のセリナ・ラングです」
「あ、ども……。テトラ・カイムです」
我ながら間の抜けた声だと思いながら、これまでにないガツンと殴られたような強い衝撃に、頭の中が真っ白となっていた。
テトラは一番会いたくない存在に出会ってしまったような気分に陥っていた。
「おい、リリシア。こっちだ」
抑えた声で呼ぶジルに残る一人が反応した。兄さんと言った後に空気揺れる。どうやら手を振っているらしいとテトラは思った。
「おい、ジルに
「わかった」
クリューネが物静かな女とやりとりする声が、どこか遠くに感じる。
ジルを兄さんと呼ぶ女。
かつて、リュウヤと婚約を結んだ女。
――リリシア・カーランドもいるのか。
テトラは愕然としながら、奥歯を噛み締めて揺れ動く闇に耐えていた。
いつかはあるだれうと、考えることはあったが、こんな場所でリュウヤに抱かれた女たちが集結するとは思いもよらないことだった。ただ、セリナもリリシアもクリューネも、自分がリュウヤと関係を持ったなどとは知らない。
一年前、ゼノキアが復活しリュウヤが旅立つ直前、リリシアから事情はあらかた聞いていたが、テトラからは何も言わなかったのだ。
互いに感情が高ぶった末の、一晩だけの情事。もしも、自分の目が無事でリュウヤと旅をしていたら、恐らくリリシアと同じ立場だったろうと思うと、余計に打ち明けられる話ではなかった。
「どうしたテトラ。どこか痛めたか」
「ううん。ありがと」
無邪気に心配してくれるクリューネの言葉が、ありがたくもテトラの心を苦しめていた。
そんなテトラにジルと仲間たちから労う声が包んできたが、疲れを理由に誤魔化して、乾いた笑いとたどたどしい受け答えしか出来なかった。
※ ※ ※
ゼノキアと対峙するリュウヤ・ラングに、魔王軍はかなりの動揺を示し、特にリュウヤに敗れたばかりの“深淵の森”の兵士たちからは、悲鳴のような声をあげる者もいた。
「あんな男一人に、何をそんなに怯えているんだ」
異様な雰囲気に包まれる魔王軍を、ムルドゥバ軍の兵士たちは不思議そうに眺めている。
リュウヤの名はレジスタンス内では有名だったが、ムルドゥバではそれほど知られていなかった。
リュウヤがレジスタンスから離れていた一年の間に、ムルドゥバは魔装兵(ゴーレム)や魔弾銃が主流となりつつあって、剣は軽く見られはじめていたし、リュウヤを知る者の多くは、兵の編制や負傷で後方にいるか墓の下にいる。
「レジスタンスで腕の立つ剣士」程度が伝わっているくらいで、ムルドゥバ軍の中でリュウヤをよく知る者は、この場ではテトラくらいしかいない。
アズライルのように、圧倒的な肉体を持った男なら注目もしただろうが、パッと見、少し体格が良い程度のリュウヤがゼノキアと対峙しても、何の感動もなく、無謀だの身のほど知らずな男としか思われていなかった。
その身のほど知らずな男は魔王を前にして、片刃の剣をだらりと前にしたまま、首を鳴らし、軽く跳んで身体をほぐしていた。
――アイーシャのおかげで身体が軽い。
アイーシャの力のおかげで、疲労やダメージはほとんどなくなっている。コントロールしきれず、魔王軍の兵士を何人かは回復させてしまっているようだが、エリシュナにまで及ばなければ、この際は問題ではない。
ただ魔力までは回復しているとはいえず、僅少な魔力でどこまで出来るか、そこが気掛かりだった。しかし、それでも、どこか余裕のような不思議な感覚がリュウヤにはあった。
『舐めるなあ!』
リュウヤの余裕が、ゼノキアの癪にさわったのだろう。怒声が稲妻のようにはしると、足元の岩盤を砕くほどの脚力で、あっという間にリュウヤの眼前に来た。左上から襲ってくるラグナロクの刃を跳んでかわすと、ゼノキアはさらに猛追を仕掛け、休む隙を与えない。
リュウヤは防戦一方で、ただひたすら剣で凌ぎ続けて、後退していくばかりだった。ラグナロクの衝撃波は残った廃屋や地盤を砕き、周りの兵士たちは恐れて後退していく。
『軽い、なんという軽さだ。羽毛のように軽いぞ!』
「軽いがどうした」
『この程度で、私と張り合うつもりだったのかということだ!』
テトラがリュウヤはゼノキアより上と言った言葉を思い出し、人間の評価など的外れも良いところだと、怒りを覚えた自分が可笑しくて仕方がない。こうして相見えてみれば、怒る価値すらもなかったというのに。
『つえりぁぁっ!!』
走りながら上段に振りかぶったラグナロクの刃が、火柱のような勢いでリュウヤの頭上に落ちてくる。
斬ったと思ったその時、ふっと正面からリュウヤが消えた。ラグナロクの衝撃が大地を砕き、土煙に混ざって青白い光の粒子を宙に残す中、リュウヤの身体はゼノキアの横を駆け抜けて、向き直った時には正眼に構えている。
焼けるような痛みが右肩をはしると、肩からぬらりと血が滴り落ちていく。
ゼノキアにはリュウヤの動きが見えなかった。
「やっぱ、やるなあ。直前で身をよじったか」
『……なんだと』
目を見張るゼノキアの背後から、どよめきが沸き起こった。魔王軍もムルドゥバ軍も関係なく、驚嘆する声が波のように広がり空に響いた。
『ゼノキア様!』
『来るな、アズライル』
加勢しようと前に出るアズライルを、ゼノキアはリュウヤを睨みつけたまま手で制した。
『こいつは私が始末する』
「俺は2人がかりでも構わねえぞ」
『小癪なガキが!』
ゼノキアは雄叫びをあげるように咆哮すると、滑るように走り、ラグナロクが火球のように虚空を駆けてリュウヤへと牙を剥いた。怒濤のような連続攻撃ではあったが、リュウヤは流れるようにかわし続ける。
キラ、キラと
どれも傷自体は浅いものの、その一太刀ごとにどよめきが起こる。
その場に居合わせた誰もが2人の戦いに魅了されていた。
リュウヤの鮮やかな剣技を前に、明らかに状況はゼノキアが不利だったが、ゼノキアのラグナロクも衝撃だけで大地を砕くほどの威力がある。
気を抜けば致命傷を負わせる力が充分にあり、兵士たちは戦いの行方を固唾を呑んで見守っていた。
※ ※ ※
「まだ動かんか。急げジル。援軍が来る前にやっておきたいんじゃ」
「待てよ。機械のご機嫌伺いは厄介なんだよ」
クリューネが見上げる先に、ジルは操縦席で
ゼノキアの
汗だくになってコードを接続するジルの傍らでは、リリシアがデータを打ち直し、他の操縦士は使えそうな部品を持ってきて修理にあたっていた。
『……リュウヤ・ラングめ。技でゼノキアを圧倒するとはな』
近くの半ば瓦礫の山と化した建物の上で、いつの間にか退避していたシシバルが、腕を組んで見つめていた。
「あれだけ避けられるんなら、チャチャと倒したほうが早そうなもんだけどな」
ジルは
簡単にはいかんよとクリューネの声が聞こえた。
「リュウヤは人間だからな。ゼノキアとまともにぶつかったら吹き飛ばされる。ネプラスと同じ戦い方じゃが、懐にいれさせんとこは流石は魔王といったとこかの」
「でも、テトラとの戦いの方が派手だったけどなあ」
「派手なら強いわけじゃないよ。よーいどんで結局はゼノキア君に力負けしちゃったし。リュウヤ君の戦い方で正解だったと思う」
テトラはクリューネの隣で、リュウヤの気配を追いながら言った。風に似ているとテトラは思った。嵐や突風ではなく、清涼感のあるそよ風。心の隙にふっと入ってくるような柔らかさがある。
『俺が加勢しに行けば、奴を倒せそうだが……』
「シシバル。すまんが、お前はそっちじゃない。加勢などしたら、また兵の間で戦闘が始まってしまう」
『でも、お前らが行くなら結果は同じじゃないのか』
結果は同じだろうなとクリューネは言った。
「お主らの話だと、ムルドゥバの援軍も間もなく来るようだ。また派手な戦闘になるのは同じだ。だが、そうなるのは、私らがやってからだ」
クリューネがそこまで言うと、ジルの
ジルがモニターを眺めながら、すまなさそうに顔をしかめた。
「すまんがシステムの一部が直せなくてな。魔光弾は使えそうもない」
「それで上等。被弾したら困る。あれが敵から持ち運びできりゃいいんじゃ」
クリューネが見上げていると、リリシアが操縦席から出て魔装兵(ゴーレム)の肩にしゃがみこんだ。反対の右肩にはシシバルがトンと軽く飛び乗ってくる。
正面を見つめながら、シシバルが首を傾げた。
『しかし、あんなおもちゃの置物みたいなもんが、そんなに恐ろしい魔法なのか』
うんとリリシアが頷いた。
「私も映像でしかみたことない。でも、どんな魔法よりも禍々しくて危険。この世界にとって不要なもの。もしもここで爆発したら、恐ろしいことになる」
「今、あれを気にしているのは我々だけじゃ。エリシュナはまだまともに動けんし、ゼノキアはリュウヤとの戦いに夢中になっておる」
クリューネはテトラを担いで戦闘を避けようとした時、リュウヤと一瞬目が合っていた。
リュウヤの顔がわずかにある方向に揺れ、「頼む」とわずかに唇だけが動いたのをしっかりと目にしている。その先に横たわる核ミサイルがあるのを目にすれば、自分たちが何をしたらいいか考える必要もない。
クリューネたちはジルと合流すると、核ミサイル奪取の準備を始めたのだった。
「リリシア、やっぱり私も行くべきだと思うがの」
地上から見上げるクリューネに、リリシアは首を振った。
「テトラはまだ回復していない。そのうち、大規模な戦闘が始まる。そうなった時、セリナさんたちを守れる人、必要だから」
リリシアは視線をセリナに向けると、セリナは暗い表情をして視線をそらした。まだセリナとの間にはわだかまりがあり、日本で暮らした二週間でも、ふたりきりでまともな会話した記憶はほとんどない。
セリナと間近にいるよりは気楽というのも少しはある。だが、それはほんのわずかで、大部分は別の理由がある。
「それに、私にも仇がいる」
「確かに。前にもやられてるしな。ちったあ、お返ししてやらねえとな」
リリシアとジルの視線は、まっすぐアズライルに向けられていた。
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