第140話 ヒーローは遅れて現れる

「……何が起きたの?」


 テトラは周囲の気配を探っているが、ゼノキアが発した轟音も高エネルギーも消えている。それだけではなく、地上を覆っていた殺気も無くなっていた。

 伝わってくるのは戸惑いや驚きいった感情で、その急激な変化にテトラの感覚がついていけず、集中が切れてひどく混乱していた。

 状況がまったく掴めず、暗闇の中でテトラは独り狼狽えていた。


「立てるか、テトラ」


 不意に腕をとられ、テトラははっと顔をあげた。


「その声はジル君?」

『俺も隣にいるんだけど』


 ジルの声の反対側からシシバルの声がして、身体が両側からぐっと持ち上げられる感覚があった。疲労困憊で歩けないでいる自分に、肩を貸してくれているのだろうとテトラは思った。

 シシバルがすぐ傍にいるのにも気がつかず、自分の状況があまり把握できていないところ、やはり集中が切れているらしい。まだ戦いは終わったわけではないのに、未熟さ情けなさが胸を苦しめた。


「取りあえず、俺たちの魔装兵(ゴーレム)のところまで戻ろう。どっか痛いとこあるか?」

「ううん、でも、何が起きたの」

「どこからか青白い光が流れ込んできて、ゼノキアの魔法を消したと思ったら、次に金色の光がたくさん出てきて、魔王軍らしい連中が現れた」

「どういうこと?」


 よくわからねえとジルは力なく首を振った。


「だけど、あのぼろ雑巾みたいな格好じゃ、援軍じゃないみたいだ」

「えと……、じゃあ、ゼノキア君は?」

『ゼノキア“君”は、まだ近くにいるよ』


 シシバルは苦笑いを一瞬浮かべたが、すぐに気を取り直して、チラリとゼノキアがいる方へと視線を向けた。ゼノキアは円筒型の巨大な物体の傍で、小柄な女を抱きすくめたまま、呆然と地面に座り込んでいる。


『奴はこっちに構っている場合じゃなさそうだ。今のうちに行くぞ』


 シシバルは肩を揺すってテトラを担ぎ直すと、ジルを促して、自分たちの魔装兵ゴーレムへと足を急がせた。


  ※  ※  ※


 テトラがジルとシシバルに運ばれていく最中、突然現れたみすぼらしい姿の魔王軍に、獣王部隊の兵士は亡霊を見るような目で眺めていた。しかし、獣王部隊のひとりが亡霊の中に見知った顔を見つけると、あっと声をあげ目を丸くしていた。


『……マヒューリ、お前マヒューリじゃないか?』

『そこにいるのは、にいさん?』

『お前、“深淵の森”でエリシュナ様のところにいたんじゃないのか』

『そうなんだけど、ちょっと色々あって……』


 マヒューリと呼ばれた男は帰ってこられた喜びと、兄と会えた嬉しさでそれ以上言葉にならず、口をぱくぱくさせて、照れ臭そうに頭を掻いた。

 二人のやりとりをきっかけに、魔王軍の間からは歓声とも安堵とも判別つきにくいどよめきが一斉に起きた。“深淵の森”の部隊は疲労の色が濃く、負傷している者も多い。一時は退避行動をとっていた獣王部隊も自然、隊を転進し、“深淵の森”たちの下へと向かっていく。

 その様子に色めきたったのがムルドゥバ側で、ひとりが青ざめた表情で喚いたことがきっかけで、恐怖は各部隊へと瞬く間に伝染していった。


「敵が……、敵が転進。攻撃してくるぞ!」


 魔王軍からすれば、ようやく帰ってこれた喜びや行方不明の者と再会できた喜びによる歓声だったのだが、数百名の魔王軍の兵士がどこからか突然現れ、ベヒーモスに跨がった兵士が向かってくるのだから、敵であるムルドゥバ側が恐怖にかられたのも無理はない。

 各隊の銃口が“深淵の森”の兵や獣王部隊に向けられ、後は引き金が指に掛かるだけ。そして後は、荒涼とした大地を再び殺意と死が支配する。

 その時だった。


『待てい!人間どもよ!』


 ゼノキアの聖歌福音鐘ジングルベルに負けず劣らずの大音声が荒野に鳴り響き、魔王軍もムルドゥバ軍も金縛りにあったように動きが止まった。

 テトラたちも何事かと、振り返ると、破壊した魔装兵ゴーレムの片腕を担いで、アズライルがムルドゥバ軍の前に傲然と佇立していた。破壊された機体からもぎ取ったらしく、関節部分が異様捻りをつくっていた。

 普段、十人がかりで運ぶ魔装兵ゴーレムの腕をアズライルは軽々と手にしている。それだけで、ムルドゥバ軍三千近くの兵は圧倒されて黙り込んでいた。


『我らは目的を遂げ、後はここに現れた負傷兵を無事に連れて帰るだけだ。最早、これ以上戦闘は意味無し。貴様らも早く仲間や家族のところへ帰りたいだろう』

「な、なにを言うか。ガルセシム大隊長が討たれて……」

『ならば、このアズライルのひと振りを浴びてみるか!?十や二十、軽く命を失うぞ。ガルセシムはそこまでして仇を討ちたい大隊長だったのか』

「……」

『それとも、ここで無駄な死を望むか』


 ムルドゥバ軍はシンと静まり返って言葉もない。どの顔にも「否」の回答がありありと浮かんでいる。若過ぎる上に、経験も人物にも疑問符がついていたガルセシムの存在は、既に兵の間では薄れてきている。仇討ちに拘るほどの戦意は無くなっていた。


「これで終わりかな」


 テトラがぽつりと言った。

 ジルに体重を預けているせいか顔が間近で、テトラが吐いたため息がジルの耳にかかり、それが妙にくすぐったい。戸惑うジルの反対側で、シシバルが急に足を止めた。


『アズライルごときに主導権を握られるのはシャクだが、この際は仕方ないな』


 立場が人をつくるのか、暴れるだけしか能のなかったかつての同僚が、敵を前に堂々と弁じている姿を見て、シシバルは悔しそうに顔をしかめた。


「ゼノキア君に、“偽物”呼ばわりされたの気にしてんの?」


 テトラの問いに、シシバルはまさかと鼻を鳴らした。


『お前はフォローしてくれたが、そもそも俺は本物だのこだわっているつもりはない。偽物だろうと構わんさ。あんな時に武辺を基準に偽物だの語るゼノキアは馬鹿だと思っただけだ』

「……」

『しかし、手も足も出なかった悔しさはある。追いつけると言えたテトラが羨ましいよ』


 シシバルは再びゼノキアに視線を向けた。相変わらず呆然とし、闘気は消えているが、小細工を仕掛けても通用するとは思えない。


『やっぱり奴は恐ろしく強い。俺じゃ勝てる気がしない』

「試合じゃねえんだから、一人で戦うわけじゃねえだろ。お前のレベルで嘆いていたら、機械や銃に頼っている俺たちはどうなるんだよ」

『それもそうだな』


 ジルの言葉に苦笑するシシバルは魔王軍の中から、長身の女がゼノキアの下へ駆け寄っていくのを目の端に入れていた。


『ゼノキア様!エリシュナ様は、エリシュナ様はご無事ですか!』

『貴様は確か、リリベルだったか?』

『そうです。エリシュナ様の側近リリベルです!』


 ゼノキアの声は虚ろで、頭の中に痺れたような感覚がある。リリベルの声は遠かった。

 リュウヤ・ラングを追い、その後エリシュナとともに消息を絶った魔王軍の部隊。それが今、何故ここに……?

 ゼノキアには現実味が薄く、エリシュナたちが生きていた喜びよりも疑問が勝って、呆気に取られているという状態に近かった。


『エリシュナの、この傷はなんだ。何があった』

『リュウヤ・ラングとの戦いで負傷したものです』

『奴は、リュウヤは生きているのか』


 そうですと、リリベルは暗い顔をしたままうなずいた。


『詳しくは後でご説明しますが、私たちはリュウヤ・ラングの娘アイーシャの力によって異世界に転移させられました。そこでリュウヤとその仲間と交戦となり、エリシュナ様は勇敢に立ち向かわれましたが、奴らの手にかかり……』

『そうか。奴による傷か』


 感情のない声でゼノキアが答えると、リリベルはゼノキアの手からエリシュナの身体を受け取って治療を始めた。

 回復魔法の癒しの光に照らされながら、ゼノキアは昏睡するエリシュナに目を落としていた。


『ゼノキア様!負傷兵の手当てもあります。そろそろ撤退しましょう』


 アズライルがどすどすと重い足音を立てながら駆けてきた。だが、ゼノキアの傍まで来て、昏睡するエリシュナに気がつくとすぐに表情を引き締め、その場にひざまづいた。


『ゼノキア様、もう引き上げましょう。ムルドゥバの援軍が到着すれば、帰還した兵が足手まといとなりかねません。これ以上の戦いは無用です』

『……』


 ゼノキアは無言のまま、アズライルを注視していた。冷たい視線に畏怖しつつも返答待っていると、うっとエリシュナの呻く声がした。

 ゼノキアは急いでエリシュナの傍に寄り、耳元に必死で呼び掛けた。声が届いたのか、うっすらとエリシュナが目を開いた。


『ゼノキア様……?』

『そうだ私だ。よく帰ってきた』

『……恥ずかしい』

『何が恥ずかしいことがある。帰ってこられたのだぞ』

『妾は、ガーツールをララベルを……たくさんの部下を失いました。そして、こんな惨めな姿に……』


 エリシュナの両目から涙が溢れ、腫れ上がった醜い右目はうまく流れず腫れた皮膚の間に溜まった。


『悔しい……。妾は悔しい……!』


 痛みに耐えるように忍び泣くエリシュナをゼ、ノキアはじっと見下ろしていた。やがて無言で立ち上がり、アズライルの前を通りすぎていった。


『ゼノキア様、どちらに……』

『まだだ』


 ゼノキアは静かに口を開いた。視線の先には、シシバルとジルに担がれていくテトラの姿がある。ゼノキアの強烈な眼光に気がつき、強張った表情で振り向いた。


『この胸に空いた虚無、エリシュナの傷み、少しは埋めさせてもらう』


 刹那、ゼノキアの身体から爆発したような勢いで、闘気が砂嵐を巻き起こした。ゼノキアの手にはラグナロクが形成され、燃え盛る炎の刃から伝わる闘気の激しさは、アズライルをも圧した。


『テトラの予想は外れたな』

「そうだね。残念」


 危険を察知したシシバルがテトラから身体を離し、ブリューナクで作り上げた鉄弓を構えた時には、ゼノキアは既に間合いに入ってしまっていた。

 くそと呻く声を搾りだし、狙いも定める暇もなく矢を放つとゼノキアは迫った矢を斬り落として、その勢いのまま猛進してくる。

 勢いよく振りおろしたラグナロクを、シシバルは咄嗟に形成した剣を両手に把持し、十字に受け止めて辛くも防いだが、衝撃で足元の地面が陥没した。


『戦いは終わりじゃねえのかよ』

『エリシュナを傷つけた報い、貴様らで償ってもらう』

『私情優先か。ホントにバカ野郎だな、アンタは!』

「シシバル君、どいて!」


 ゼノキアの側面からテトラが走ってきた。振りかぶるように斬り放った剣にはまだ勢いがあったが、やはり疲労困憊しているゼノキアには余裕があった。後退したシシバルに身体を向けながら、視線だけはテトラを捉えている。横蹴りでテトラの腹部に蹴り込むと、テトラは苦悶の表情に顔が歪み、そのまま地面に崩れ落ちていった。


「く……」


 息が詰まり、突っ伏したテトラの頭が、ゼノキアの前に垂れる格好となった。


『テトラ!』


 前に出ようとするシシバルだったが、ゼノキアが薙いだ衝撃波で大地が深々と抉られ、その威力におされたシシバルはそれ以上進むことが出来なかった。

 ジルはもちろん、他のムルドゥバの兵も同じで、息を呑んだまま、ただ行方を見守っていることしかできないでいる。


『シシバル、貴様は後だ。テトラを先に始末する』


 ゆっくりとした足取りでゼノキアは近づいてくる。声に感情はなく無表情ではあったが、睥睨する視線は氷のように冷たくテトラの身体を突き刺してきた。


「……ゼノキア君、この戦いに意味はあるの?」

『黙れ人間風情が。我が妻エリシュナが、リュウヤ・ラングに傷つけられた。溜飲を下げるためにも、充分な意味がある』


 テトラには怒りや恐怖というより、ゼノキアという男に対して、憐れみや呆れといった感情しか湧いてこなかった。このまま戦い続けても、泥沼の戦闘になるだけだろうに。

 

 ――バカな人だ。


 恐怖の魔王の正体を垣間見た気がして、腹部の傷みと一緒に笑いが込み上げてくる。

 抵抗する気力もない。好きにしてくれと、テトラは投げやりな気分がテトラの心を占めていた。

 わずかに視線をあげると、傍にゼノキアが両手でラグナロクを握りしめ、大きく上段に剣を構えている気配があった。


『とどめだ』


 抑揚のないゼノキアの声とともに、ラグナロクの刃がテトラの首に向かって振り下ろされる。

 長大な刃による、ヒウュンと空気を斬り裂く音がテトラの耳に届いた。

  一瞬の間の後、テトラは自分が生きていることに気がついた。耳を澄ますと、名状しがたいどよめきが起きている。誰かが傍に立っている。ゼノキアのものではない。

 ゼノキアはテトラから離れた位置に構えている。


『戻ってきたのか。元の世界で暮らしていれば良いものを』

「こっちで、まだやることがあるんでな」


 懐かしい声が頭上に響き、テトラの全身が思わず震えた。


「テトラ、大丈夫か」

「私の登場と被っているよ」


 テトラは冗談めかして言おうとしたが、それ以上は声が震えてしまい、なかなか言葉にならなかった。テトラは深呼吸して、言葉を続けた。


「……でも、お帰りなさい。リュウヤ君」

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