第139話 テトラ・カイム対魔王ゼノキア

 テトラ・カイムはシシバルの無事を確認すると、意識をゼノキアに向けたままシシバルに訊ねた。


「大隊長は?」

『間に合わなかった。どうやら、やられたらしい』

「……そう」


 士官学校出たばかりくせに尊大で、正直ウマが合うとは言えない上官ではあったが、死んだと聞けば心に疼くものがある。


 ――親御さんが悲しむだろうな。


 テトラの脳裏に過った雑念を見逃さなかったように、いきなりゼノキアが殺到してきた。ラグナロクから伝わる闘気は更に激しさを増し、燃え盛る炎の熱気ようにテトラの肌をビリビリと刺激した。

 避ける間もなく、テトラは剣杖で跳ね返すと、交錯した闘気の刃は凄まじい衝撃波を生んだ。


『うわああああっ!』

「ひ、ひいいっ!」


 兵士たちは悲鳴をあげながら逃げ惑ったが、砕け散った木々も瓦礫の嵐に巻き込まれ、敵味方関係なく吹き飛ばしていった。二撃三撃と繰り返される撃剣に、シシバルやアズライルでさえも巻き込まれるのを恐れて飛び退くほどの威力があった。


「すげえ……。魔王と戦ってんのか」


 テトラを放した後、近くの教会の建物を盾に機を窺っていたジルは、モニターに広がる激闘に圧倒されて画面をみつめていた。


“ジル隊長!ぼさっとしてないで、早くテトラを援護しないと!”

「あ、ああ……」


 仲間の操縦士に促されてジルは我に変えると、レバーを握る指がトリガーに伸びた。しかし、そこから先が指が動かない。広く移動しているわけではないが、一瞬一瞬の攻防が速すぎるのと、衝撃で吹き上がる砂塵のために、照準を合わせることができないでいる。

 ゼノキアを何とか捉えようと集中するジルを、索敵係の女操縦士の叫ぶような声がジルの神経を掻き乱した。


“待って下さい!ジル隊長”

“何だよ、早くテトラを助けねえと……”

“異様なエネルギー波が生じています。おそらくあの剣の影響”

“だから何だ”

“バリアみたいなのが出来ていて、神盾(ガウォール)と同質のものです。しかもかなりの速度で流動しているバリア。今撃ったら、エネルギーが拡散して味方にも被害が及びます!”

“じゃあ、どうすんだよ”

“直接攻撃も危険です。テトラ隊長に任せるしか……”

「くそったれ!」


 ジルは拳を握り締めると、込み上げてくる情けなさと悔しさそのままに、自分の腿を激しく殴りつけた。じんじんとした痛みが広がってくるが、心の痛みに消されてしまう。


「あいつは生身で戦ってんだぞ……」


 目が見えないのに。

 ゼノキアの猛攻を凌ぎ、剣を振るうテトラの姿を見つめていたジルだったが、不意に視界が滲んだ。慌てて拭うと袖が濡れている。気がつかないうちに涙が溢れていたらしい。

 悔し涙なのか正体は判然としなかったが、テトラの戦う悲壮な姿が自分の心を揺れ動かしたのは確かだとは思えた。

 そのテトラの姿がモニターから消えた。ジルはテトラを追おうとすると、カッとモニターから光が溢れ、同時に激震が大地を揺らした。やがて震えが治まり光が消失すると、岩盤が剥き出しの大地に鍔競り合いをして膠着する、テトラとゼノキアの姿があった。


「……アズライル君は何度か顔をあわせているけど、初めまして、かな。ゼノキア君とは」


 この魔王を“君”づけかと、ゼノキアは歯を剥いた。


『テトラ・カイムの噂はアズライルや他の将からも聞いている。私と同じ闘気の剣を使う盲目の戦士。やはり一筋縄ではいかなさそうだな』


 どうもと額から汗を噴き出しながら、テトラは口の端だけ歪めた。気を緩めれば一瞬にして押し流される。闘気、呼吸音、身体の動き、心拍数、体温、空気の流れ。

 テトラはあらゆる神経を木の枝の張り巡らせ、全身でゼノキアの動きを探っていた。飽和した意識はゼノキアだけでなく、半径数キロまで及んでシシバルやアズライル、遥か後方に潜んでいるジルたちや他の兵士たちをまで捉え、その位置や状態、地形までまでありありとテトラの暗闇の中に描かれてくる。


『その構え、今の剣の撃ち込み方、あの男に似ているな』

「……あの男?」

『リュウヤ・ラング。あの男に剣を学んだ者か』

「少しの間だけね」

『少しの間でそれか。余程の影響力があったようだな』

「ゼノキア君て案外、おしゃべりが好きなのね。私はそういうの嫌いじゃないわ」

『私の妻が、おしゃべり好きでな!』


 ゼノキアはテトラを押し込んで剣杖を跳ね上げると、テトラが後ろによろめいたのを見計らって、怒濤の勢いで前に出て、大きく跳躍した。既にゼノキアはラグナロクを上段に高く構えている。


『もらったあ!!』


 闇の奥から飛来する重い気配を感じながら、テトラは、盲目の瞳を見開いて一点を見据えていた。降りかかる熱波を頭上に感じた瞬間、テトラは剣杖を熱波に添えるように伸ばし、自身は右足を横に運んで転身をした。


『なんだと!?』


 驚愕したゼノキアの声が間近で聞こえ、それで位置も間合いもはっきりと掴んだ。テトラは下段に変化した位置から、足を踏み込んで剣を勢いよく摺り上げた。その先には、剣をかわされたことで体勢を崩し表情を強ばらせるゼノキアがいる。当たれば即死。

 しかし――。


『今の一撃は……、危なかった』


 テトラの剣先が天を指した時には、ゼノキアは既に後退し、荒い息をしながらテトラを注視していた。ゼノキアの上衣は切り裂かれ、厚い胸板を露出させている。


『惜しかったな。だが、貴様の剣は、一歩私に届かないようだ』

「……そうね。今は一歩先にあなたが行ってると思う」


 テトラは脇構えに直すと小さくうなずきながら言った。今のテトラの剣は会心の一撃と呼べるものだった。タイミング、間合い。逃れようもない一撃をゼノキアはかわしてみせた。それに、まだ息づかいに余裕がある。

 確かに恐ろしく強い。

 それでもと、テトラは確信していた。テトラの目には、リュウヤの鮮やかな剣技が残っている。


「でも、二つ気がついたことがある」

『なんだ』

「ひとつは、ゼノキア君は決して追いつけない相手じゃないてこと」

『ほう?随分と言うものだな』

「それと、もうひとつ」


 苦笑いし、何か言葉を続けようとするゼノキアを、テトラが遮るように言った。


『……』

「リュウヤ君の方が、あなたより強い」


 テトラの一言に、ピクリとゼノキアの身体が揺れる気配がした。笑みが消え、急に無言となったが、代わりに凄まじい怒気がゼノキアの身体から発せられた。


『それこそ、借り物に身を固めたあいつが、私より強いと言うのか』

「そうね。今のでわかった気がする」

『小娘、私を舐めるなよ。衣服を切り裂いただけで、そこまで語るか』

「あなたに刃が届いた私なら、それなりに語る資格があると思うけど」


 もういいとゼノキアが言った。顔には抑えていた怒りが露となっている。


『……失望したぞ。テトラ・カイム!』


 ゼノキアは咆哮するように叫ぶと、自身の闘気が爆発を起こしたように大地を揺らし、残った建物も次々に崩壊していく。


『私がリュウヤ以下かどうか、これならどうだ!』


 ゼノキアは猛スピードで前後左右に移動しながら、テトラを押し包むように詰めてくる。

 轟音がテトラの聴覚をかき乱し、吹き荒れる砂塵と闘気が、テトラの肌をひりつかせた。

 テトラは剣杖を抱えるようにして、嵐の中に身をすくめて構えている。端から見ている者には構えには思えず、最早諦めているようにも映っていた。


『……なんという速さだ。ゼノキア様がここまでとは』


 アズライルは、感嘆と畏怖の混ざった声をあげて唸った。威圧感に圧倒されたこともあるが、その速さに目が追いつかない。魔王ゼノキアとは、ここまでの強さを持った方だったのかと改めて知った気がした。


 ――テトラも人間にしてはよくやったが、役者が違う。


 その時、テトラの背後に回りこんだゼノキアを、アズライルの常人離れした視力だけが、何とか捉えることができた。

 口に沫をためたゼノキアは、剣を振りかぶっていた。


『死ねい!』


 剣を振り下ろした瞬間、ゼノキアの表情が凍りついた。視界の中でテトラは緩やかに足を運び、流れるように身を翻してゼノキアへと振り向いたのだった。時を止められ、停止した時間の中でテトラだけが動いているような感覚がゼノキアにあった。

 テトラは下段に構えている。胴ががら空きだとゼノキアは気づき、わずかなためらいが剣を鈍らせた。


「……私は水。流れ落ちる水が如く、押し寄せて砕く波の如く。刃を避け敵を破る」


 ――それが私の剣“斬破”。


 テトラは誘いの下段から八双に変化し、駆け抜けながら剣を斜め上から振り下ろした。

 肉を斬った感触と、ゼノキアの唸る声がテトラの耳に聞こえた。立ち止まり、振り返るテトラは再び剣を構えた。流れ出した汗で衣服はぐっしょりと濡れている。呼吸をするのも辛いほどだった。


「まだ……、浅いかあ……。やっぱり魔王となると違うな……」

『おのれ……!』


 テトラが構える先には、胸を抑えながら歯噛みしているゼノキアが立っていた。胸元から血が滲み、破れた衣服を朱に染めている。

 兵士たちの間からはどよめきが起こり、アズライルは信じがたい光景に声すらも出なかった。


「……言ったでしょ、ゼノキア君は追いつけない相手じゃないて。……でも、少しは、君に近づけたよね」


 口を大きく開き、喘ぐテトラにゼノキアは奥歯を鳴らした。


『……人間風情が、調子に乗るなよ』


 ゼノキアは手にしていたラグナロクを消した。闘気の消滅にテトラは訝しげに様子を窺っていたが、周りの兵士たちも同じでゼノキアの意図を測りかね、ゼノキアを見守っていた。


『茶番は終わりだ!』


 吐き捨てるように言うと、ゼノキアは両手を重ね大音声を発した。


“我らを祝福する鐘よ!”


 ゼノキアの発した言葉に、アズライルは全身から血の気が引く思いがしていた。


『獣王部隊、ここから逃げろ!!』

『アズライル様、しかし、まだ戦いは……』

『それどころじゃない。ゼノキア様は禁忌の魔法を使うつもりだ!』

『禁忌?』

『早く行け!それとも死にたいのか!』

『いや、あの、しかし、アズライル様はどうするんです』


 問い返す兵士の一人に、いいから行けと怒鳴って追い散らすと、アズライルはゼノキアに向き直った。

 ゼノキアが編み出したゼノキア専用の超魔法。

 竜魔大戦時に一度使用したが、病への一因となる体力の消耗と、味方をも巻き込む破壊力を恐れて封印した魔法だった。

 その後、天下分け目となったグリュンヒルデの戦いでも使用していない。今は若返ったとはいえ、かなりの反動があるはずなのに、人間一人のためにその封印を解いた。


『あのゼノキア様が、怒りで我を忘れるとは』


“響け、響け。天を鳴らせ

 地よ、鐘の音に鳴動せよ

 海よ、鐘の音に粉砕せよ

 森よ、鐘の音にその葉を枯らせ

 鐘の音は我らが勝利を告げる証

 すべてにすべての者に鐘の音を届けよ”


 ゼノキアの周囲に魔法陣に囲まれた鐘が現れ、それぞれ鐘を鳴らし始める。音響は互いに共鳴し合い、脳を揺らすような大音響となって大地や大気を揺らし、衝撃の波がテトラや兵士たちを呑み込み、凄まじい重力となって敵味方関わらず大地に縛りつけていく。

 特に鋭敏な聴覚を持つテトラにはひとたまりもなく、耳をおさえながら絶叫してうずくまっていた。


 ――喰らえ、我が最大魔法の“聖歌福音鐘ジングルベル”を。


 一瞬で消し飛ばしてやる。

 勇猛果敢で明朗快活。

 実際、剣を交えてみて噂通りに好ましい女だと思っていた。しかし、魔王である自分を軽く見られたことと、浅いとはいえ負傷したことでゼノキアのプライドは深く傷つけられていた。


 加えて、ゼノキアはリュウヤを借り物に頼った人間だと思っている。

 何も極めたものが無い、シシバルと同じ偽物の存在。

 それがわからず評価しているのは所詮人間だと、テトラに対する失望が怒りを増幅させていた。


『消え失せろ!聖歌……』


 ゼノキアが契約を結ぶ呪文名を告げようとした時、突如、どこからか現れた青白い光の波が大地を浸した。


『な、なんだ……!?』


 ゼノキアが光の奔流の行方を追っていくうちに、解き放とうとした“聖歌福音鐘ジングルベル”のエネルギーが光によって洗い流されるように消えていく。


『呪文を無効化しただと?』


 ゼノキアは驚きを隠せず拡散していく光の粒子を追っていると、足元に金色の光球が生じるのを見た。

 やがて光が消失すると、そこには白と黒のツートンカラーで鈍い光沢を放ち、先が丸い円筒型の巨大な物体が現れる。その物体を目にして、ゼノキアの背筋に冷たいものが流れた。


 ――あの形……、弾道ミサイルの“トライデント”か?


 かつて、復活のための宿り木として喚んだサナダ・ゲンイチロウの遺した知識が、ゼノキアにその奇怪な物体の正体を告げていた。

 しかし、異世界の兵器が忽然と現れたことも衝撃だったが、その傍らに倒れ伏している小柄な女の姿が目に映ると、すぐにゼノキアの意識をそちらへ奪われていた。


『エリシュナ……!』


 ゼノキアが名を呼んだ時には、エリシュナと思われる女の傍に駆け出していた。


『エリシュナ、しっかりしろ!』


 ゼノキアはエリシュナを急いで抱き起こすと、顔に刻まれた傷痕に思わず呻き声を出した。エリシュナの顔の右側は醜く腫れ上がり、額から頬にかけて刃による傷痕がはしっている。

 エリシュナの無惨な姿に愕然とするゼノキアの視界に、次々と光球が生まれ、そこから人が次々姿を現した。身につけている鎧も衣服もボロボロで、気を失っている者もいたが、大半の者には意識があって、一様に驚愕の表情を浮かべて周囲を見渡している。


『あの装備。魔王軍か……?』


 突然の出来事に、アズライルも頭が真っ白になって佇立している。

 高ぶっていた闘志も消えて、アズライルは自分でも気がつかないまま“魔人化”を解いて、現れた男たちを呆然と眺めていた。

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