第115話 困ったときのおまじない

 リュウヤ・ラングこと片山竜也は、至福の時間を味わっていた。

 陽が西に傾き始めて日差しが幾分弱くなり、時刻はそろそろ夕刻に近づこうか、という頃だった。

 澄み切った秋空の下、縁側で正座でちょこんと座るセリナに膝枕をしてもらいながら、耳掻きをしてもらっている。セリナは先日ショッピングモールで購入したミニスカ姿でいた。それもリュウヤからの要望である。


「可愛い妻に自分好みの私服を着させ、膝枕させる至福に勝れる至福なし、てな。こりゃこりゃ」


 などと、リュウヤは祖父を真似て下手な節をつけ、馬鹿なことを口ずさんでいる。だらしなく寝転びながら、しきりにセリナの膝頭を撫でていた。デニムの短いスカートからはちきれんばかりの太ももは、自分の頬に吸い付いてくるような弾力があった。


「やめてくださいよ。恥ずかしい」

「いいじゃん。誰もいないんだし」


 祖父の兵庫は老人会、父は仕事で母は美容院。

 家にはリュウヤとセリナ以外出掛けていて、夫婦二人だけ。

 娘のアイーシャも冒険と称してクリューネやリリシアと一緒に、宝崎町の神社まで散歩に出掛けている。日本語も不自由な面子でいささか不安であるが、しっかり者のアイーシャがついている。迷子になった時を考えて、住所氏名電話番号が記載されたカードケースをそれぞれ持たせてあるから心配ないだろう。

 今は夫婦水入らずといったところで、リュウヤは世間の方々が目にすれば、それは大変だらしない格好でセリナに甘えていたのだった。


「はい、右の耳は終わりましたよ」

「ん……」


 顔を真っ赤にしているセリナに、リュウヤは身体をセリナの側に体勢を直すと、顔を埋めるように擦り寄せて、思いきり息を吸いこんできた。


「ちょ……、リュウヤさん」

「セリナの匂いがする~」


 今度は腰に手をまわし、尻を撫でながら肺一杯に息を吸うリュウヤに、セリナは戸惑いながらも悪い気分はしなかった。

 自分に甘えてくるリュウヤが可愛らしく、顔を真っ赤にしながらも耳掻きに精を出している。閑静な古い住宅地だから、辺りは静かで音もしない。雀数羽が庭にやって来て、餌を探しにひとしきりさえずって後、どこかに飛び去ったくらいである。池の鯉もゆったりのんびり泳いでいる。

 これほどのんびりとした心持ちは、いつ以来だろうかとリュウヤは思う。異世界の生活では平穏な日々はあったはずだが、ここまで安らぎを感じた記憶はない。ずっとどこかで気が張り詰めていたように思う。やはり住み慣れた世界だからなのだろう。言葉や文化、音、景色や空気の匂いまで在るべき場所に納まった安心感がある。


「こんちはあ、こんちはあ!誰かいないすか。おおい、若先生!もしかして死んだすかあ!」


 そんな平穏なぶち壊すかのように、玄関先からでかいの上に馬鹿がつくような声がし、リュウヤは舌打ちをした。声が若い。


「タケゾーかよ」


 リュウヤは身体を起こすと、こっちだと玄関に向かって怒鳴った。さすがに、夫婦の痴態を人前で晒すわけにもいかない。やむなく起き上がって胡座をかいて待っていると、タケゾーこと野村武蔵が、頭を掻きながら庭先に入ってきた。


「あれえ、リリシアちゃんいないんすか」

「チャイムくらい鳴らせよ」

「まあまあ、良いじゃないですか」

「で、いきなり何の用だ。今日は道場、休みだろう」


 専用の道場がある真伝流片山道場は、!基本的に月曜と盆休みに年末年始以外は開いているが、同窓会も兼ねる老人会のある日は、兵庫が酒を飲むので自然と休みとなる。それよりともかく、挨拶もせずに、キョロキョロ周りを見渡している野村にリュウヤは苦虫を噛み潰していた。セリナは無言だったが、少し眉をひそめて野村を見ている。

 良い雰囲気を邪魔されて不機嫌なのはセリナも同じらしい。不作法礼儀知らずと兵庫に叱られては、いちいちやかましいと高校時分はうるさく思っていたが、、こういう腹の立つことが起こるから、礼儀作法は大切なんだなとリュウヤはへらへらする野村に憮然としていた。

 だが、野村は何も気がつかないで、ミニスカ姿のセリナにチラチラ視線を送っている。


「セリナお茶煎れてくれ。あと着替えてこい」

「あ、はい」


 それだけで意味を察したらしく、セリナはスカートをおさえるように立ち上がると、慌てて奥に消えていった。とんとん階段を駆け上がる音を聞きながらリュウヤは「で、なんの用だ」と再び言った。


「稽古にでもきたなら、相手してやるぞ」

「違いますよ。近くに来たもんで、リリシアちゃんに会いに来ただけっす。いないんすか?」

「……リリシアは、クリューネとアイーシャと一緒に出掛けている」

「なんだあ」


 急にがっかりした顔つきになって、野村は肩を落とした。

 野村がリリシアを気に掛けているのは、何となくわかっていた。道場を一時期閉鎖する前から頻繁に顔を出していたようだが、リリシアと会ってから稽古日には毎回来るし、いつもと顔つきが違うと師範代の丸藤などは言っていた。確かに言葉もろくに通じないのに、話し掛けにいく時の野村は掛かり稽古よりも真剣な顔つきでいる。

 リリシア本人は野村について、「少しうっとうしいです」と眉をしかめていたが。


「リリシアのこと、そんなに気に入ったのか」

「だって可愛いじゃないですか。小柄で目がくりっとしてるし、日本人好みな西洋人て感じだし。いかにもツンデレなクリューネちゃんも可愛いけど、リリシアちゃんのがタイプだなあ」

「日本人好みねえ……」


 外の者には、故郷は北欧と説明してあるが、タケゾーから言われてみればセリナを始めリリシアたちも、顔立ちは西洋人そのものではない。カタカナ横文字の二次元キャラが現実にいたら、それに近いかもしれない。


「神社まで出掛けている。まだ、しばらく帰ってこないぞ」

「セリナさんがお茶だしてくれるんだし、それ頂戴しますよ」


 リュウヤとしては、早くセリナと二人きりになりたいので、遠巻きに待っても無駄と言っているつもりなのだが野村には通用せず、どっかりと縁側に腰を落ち着けたのだった。


「そういや、近くに来たから寄ったとか言ってけど、授業は良いのか。冬休みはまだ先だろう」

「授業じゃないですよ。講義つうんです。必要な単位は取ってるから、身体空いているんすよ」

「ふうん」

「大会終わったばかりで、部活も休ませてもらってるし、今は気楽なもんすよ」

「……へえ」


 この現実世界である日本では、大学どころか高校も卒業していないリュウヤには、大学の仕組みがピンとこない。だからといって、不躾ぶしつけなタケゾーに尋ねるのもシャクなので、曖昧な返事をしながら単位取得の苦労話を聞いていると、そのうちに七分丈のジーンズに履き替えたセリナがお盆にお茶と大福を載せて戻ってきた。


「どうぞ」

「礼儀作法がきちんとしてる外人さんて、ホント萌えるすね」

「モエ……?え……と、アリガトウゴザイマス」

「うちの後輩にも見倣って欲しいすよ。礼儀知らずばっかで」


 あの野村が大真面目に言ってきたので、リュウヤは驚愕して口にしたお茶を噴き出しそうになった。自分の感覚が間違っていたのかと疑いながら凝視するリュウヤに気づかないで、野村はふかふが言いながら大福にぱくついている。話している間に、早くも三つ食べた。


「セリナさん、日本に馴染めました?」

「ええ。お母さんやリュウヤさんが、ネッシンにおしえてくれたオカゲデス」

「羨ましいなあ。俺も機会があったら、リリシアちゃんに熱心に教えてあげるのに」


 何を考えているのか、野村はうふうふと気味悪く笑っている。セリナが露骨に嫌な顔をしたが、一向に気がつかないでいる。

 その表情も野村が向けるすぐに消え、ニコニコ顔のセリナが折り目正しく座っている姿があるだけだった。


「ナラッタと言えば、日本のおまじないもナライました」

「へえ?なんすか」

「ヒミツです」

「……?」


 微笑むセリナの横顔を、リュウヤは訝しげに見ている。たしかに穏やかだが、どこか表情が固い。

 五つ目の大福に手を伸ばした時、野村のポケットから、携帯がピリリとけたたましく鳴り響いた。

 はひ、野村れすと大福を口に含んだまま、野村は電話に出た。


「……はい。……え?マジで?いや、何も聞いてねえ。すぐ戻るよ」


 野村の表情がみるみる内に緊張した面持ちとなり、電話を切るとお茶をガブリと飲んで、口に残った大福を喉の奥に押し込んだ。


「ちょっともう、失礼しますね。何か今から大学にOBが来るみたいで。やかましい先輩だから相手しないと」


 また来ますんでと慌ただしく立ち上がると、急ぎ足に野村は庭から出ていった。


「……嵐が過ぎ去った後みたいだな」


 静寂を取り戻した片山家で、ひとつだけ残った大福を見つめながらリュウヤは呟いた。

 何の中身も無く、かき回すだけかき回して去っていく。だが、セリナはニコニコしている。どこか固さのあった笑顔も、今は満面の笑顔といったところだ。


「まあ、いいじゃないですか。おまじないも効果ありましたし」

「え、何の話?」


 リュウヤが訊ねても、セリナは笑ったまま答えない。

 そのうち、玄関から「ただいまあ」とクリューネの声がした。ひょっとしたら、野村が出ていくのを見計らっていたのではないか、というくらいのタイミングだった。

 クリューネが庭に現れると、その後をアイーシャをおんぶしたリリシアが入ってきた。


「アイーシャ、寝ちゃったのか」

「……そうですね。随分と張り切って冒険してたので」

「意外と燃費悪いの」

「俺の子どもに燃費と言うな」


 リュウヤがたしなめても、クリューネは聞かないふりをしたまま別のところを見ている。

 視線は縁側に置かれた大福に向けられていて、口を尖らせて憤然とリュウヤに訴えてきた。


「ずるいぞお主ら。二人で大福食っとったな」

「クリューネさん、残りはまだ台所にありますから。手を洗ってきてください」

「おほ、用意がいいの」

「クリューネ、もうすぐご飯。大人だから我慢するべき」

「何を言うかリリシア。私は伝え聞くぞ。甘いものは別腹と」

「……伝え聞くも何も、それ昨日のテレビで言ってた」


 リリシアのの指摘をクリューネは無視して、バタバタと靴を脱ぎ散らかして縁側を上がると、そのまま台所へと入っていった。タケゾーみたいに慌ただしい奴だなと苦々しく思いながら、リリシアからアイーシャを受けとろうとすると、台所からわっと声がした。


「おわっ、何じゃ!」


 クリューネの叫ぶ声とともに、カランと何か物が倒れる音がした。乾いた音で棒のような音だとリュウヤは思った。


「何でこんなところにホウキと手拭いがあるんじゃ」


 不審そうにつぶやくクリューネの言葉を聞いて、リュウヤは思い当たるものが浮かんで、ハッとセリナの顔を見た。セリナは相変わらず機嫌良さげに微笑んでいる。

 これだから女は怖い。

 着替えに行った時に用意してたのか。

 表情を強張らせるリュウヤに対し、セリナは嬉しそうに語ったものだ。


「日本のおまじない、効果があるんですねえ」

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