第103話 最後の切り札

『まだ振り切れないのですか!』


 ヤムナークが絶叫するように怒鳴ると、艦長は『駄目です!』と絶望的な声を発した。小さな船なので、操舵手が艦長を兼ねている。


『あの蝶野郎、離れちょっとしたら戻ってくるんですもん。くそ、ホントにしつこい……!』


 艦長は舵を回しながら、苛立たしげに呻いた。蝶野郎とは、もちろんリュウヤ・ラングを指している。

 ラング親子を乗せた魔空艦は体勢を立て直し、一路魔王ゼノキアが陣を構えるエリンギア方向へと向かっていた。しかし、リュウヤを振り切れないまま、魔空艦はリュウヤを背負うような形で航行していた。


『この船を逃さないため……、だけではないな』


 ヤムナークは天を仰ぐように、機械が敷き詰められた鉄製の天井を見上げた。

 リュウヤ・ラングは常に魔空艦を背にした戦い方をしている。

 妻子が捕えられている魔空艦を逃さないためもあるだろうが、理由としてはもう一つ。ルシフィや他の護衛艦の攻撃を受けないようにするためだとヤムナークは察している。

 ラング親子を守ることを命じられているルシフィや護衛艦には、彼女らが乗る魔空艦を巻き添えにすることなどできない。現にルシフィは一度も魔法攻撃を使っていなかった。護衛艦への被弾を恐れてか、本来の実力を考えれば満足な攻撃も出来ず、十二枚の翼を広げて追いかけてくるだけだ。


 ――こちらもラング親子を盾にするか。


 そんな考えが過ったが、ヤムナークは決断も下せずに躊躇ちゅうちょするだけだった。

 実直が取り柄であるヤムナークには、たとえそれが人間相手でも人を脅すという行為はどうにも性分に合わないように思える。自分がやったところで、かえって逆効果になるのではないかと自信がもてなかった。

 迷っている間に、突如艦の外が爆発音がし、しがみつかなければ立っていられないほど大きく揺れた。


『な、なんです!』

『護衛艦の奴ら、あの蝶野郎に攻撃してきやがった!くそっ、近くに俺たちもいるんだぞ!』


 艦長は罵りながら『攻撃中止』の光信号を送るが、返答のように返ってくるのは無数の灼熱の柱だった。衝撃の余波が艦を襲い、その度に艦が激しく揺れた。


『くそっ、バカヤロー!頭に血がのぼりやがって、見境なくなってんのか。軍法もんだぞ!』


 怒鳴り散らす艦長の隣で、副長がレーダーから顔をあげて叫んだ。


『左舷後方!新たな高エネルギー反応です』


 もう勘弁してくれ。

 異様な緊張感に耐えかねて、副長はレーダーを確認しつつも泣きべそをかきながら、ヤムナークと艦長に告げた。ヤムナークが左舷側の窓に駆け寄ると、真っ白な巨大な竜が迫っている。竜の背中には、黒装束に身をかためた小柄な少女がしがみついているのが見えた。


『……ルシフィ様から耳にしていたが、あれがバハムートか』


 口のなかだけの言葉のつもりだったが、その声は艦長と副長にまで届いていて、顔面を蒼白にさせてヤムナークを注視している。

 味方から攻撃されている上に、伝説の神竜バハムートがすぐ傍(そば)まで迫っている。絶望的な空気が艦橋を支配し、振り払うようにヤムナークが叫んだ。


『見張り台の補充はいないのですか!』

『無理です。必要最小限てことで上から指示されてましたから……。兵といってもあいつだけで……』

『わかりました。もう、わかりました』


 ヤムナークは忌々しげに、副長の言葉を遮った。

 これ以上問答しても仕方がないと思い、窓の外に目を向けると、バハムートの姿が消えている。どこだと副長の横からレーダーを確認すると、対象を示す赤い点が魔空艦に重なるようにして点滅している。


『真上にきたか!』


 しかし、再び右舷側にバハムートが姿を現すと、一度咆哮を轟かせた後、目の前の魔空艦を忘れたように、身を翻し執拗な攻撃を仕掛けてくる護衛艦へと翔んでいった。


『……まさか、逃げてくれたのか?』


 副長の半ば嬉しげな呟きに、ヤムナークはいやと言って否定した。ヤムナークはバハムートのある違いを思い出していた。

 バハムートの背中には、黒装束の少女が乗っていたはずだった。しかし、今のバハムートの背には少女の姿が消えている。


『……入り込まれたか?』


 唸るように言うと、ヤムナークは『頼みます』と叫んで、勢い良く艦橋を飛び出していった。


  ※  ※  ※


 ヤムナークが艦橋を飛び出す少し前、既にリリシアは艦内に潜入し、艦尾へと進んでいた。下に降りる階段を見つけて薄暗い階下を慎重に覗き込んでいた。

 近くの丸窓には光の粒子が空を舞い、轟音が艦内まで響いてくる。バハムートと護衛艦、リュウヤとルシフィの激しい戦闘が行われていることはわかっていたが、リリシアは戦いの見物に来たわけではない。


「……よし」


 敵の気配を探りながら、狭い階段を壁沿いにつたって降りていく。セリナたちは奥に連れていかれたと言っていたクリューネの言葉を思い出しながら、リリシアは周囲の気配を窺っている。

 小振りの魔空艦といっても王家所有なだけに造りは豪奢で、それなりに広さはある。白塗りの壁に床には赤い絨毯が敷かれている。壁の数メートルおきにランプが点され、絵画が掛けられている光景は、どこかの一流ホテルにいるように思えた。

 ふと、リリシアは足を止めた。向かいの一室から、子どもがすすり泣く声と、それをあやす女の声がする。


 ――あそこか。


 リリシアは音も立てずに部屋の扉まで寄り、中に耳を澄ませた。

 大丈夫よアイーシャ、と扉の奥から若い女の声がする。間違いなくセリナの声だ。リリシアは手をそっとトアノブに伸ばした。


「お父さんが助けてくれるから。そうしたら、三人一緒に暮らせるね」


 三人一緒。

 その言葉にリリシアの手が止まった。

 リュウヤの妻と、妻となるはずだった自分がここにいる。

 セリナは自分とリュウヤの関係を知っている。

 助けにきたのが自分と知ったら、セリナはどんな顔をするだろうか。


「……何を今さら迷っている。リリシア・カーランド」


 リリシアは唇を噛みしめ、自らを叱咤した。

 リュウヤに対する未練はある。深い愛を確かにリュウヤへ抱いていた。しかし、そのために敵に心の隙を突かれて操られ、一時はリュウヤとも闘った。そのことが、リリシアには今も耐え難いほどの屈辱となって残っている。リュウヤがセリナやアイーシャとの強い繋がりも痛感したリリシアには、自分が身を引くしか選択肢がなかった。

 リュウヤのために戦う。

 でも、想いは一生封印する。消し去る。そう決めていたはずなのに。


「私の役目は、あの人たちを無事に救出するだけのこと」


 最後の切り札とリュウヤに言われた言葉を思い出し、リリシアは自分に言い聞かせるようにして呟いた。

 その声が室内にも届いたのだろう。中で外を窺うような気配がした。


「あの、誰かいるんですか?ヤムナークさん?」

「あ、いえ、違います」

「女性の方ですか?あの、外はどうなっているんでしょうか。この部屋、窓もなくて外も見えないし、鍵も外から掛けられているから身動きできなくって」

「セリナ・ラングさんとアイーシャちゃんですよね?助けに来ました」

「……」

「私はレジスタンスの者です。アイーシャちゃん、元気?怪我はない?」


 ウン、とアイーシャのか細い返事が聞こえてくる。

 リリシアと名乗れない自分が情けないと思いながら、リリシアは言葉を続けた。


「外でリュウヤさ……、リュウヤ・ラングとクリューネがあなたたちのために戦っています。この間に救出するのが私の役目」


 リュウヤの名を聞いて、驚くあまり言葉に詰まる空気が室内から洩れてきた。しかし、我に返ると急き込むようにセリナが言った。


「でも、空の上なんですよ。どうやって、ここから出るつもりなんですか」

「私がこの魔空艦を奪います」

「……あなた一人でですか?」

「私なら一人で魔空艦を操れます。簡単な操縦だけですが」

「……」

「時間がありません。もしもの場合のために動けるよう、鍵を壊しますから少し部屋の奥にいてください」


 リリシアは拳に“神楯ガウォール”を浮かべた。見た目は普通の錠だが特殊な魔法が施されていて、素手扉を破壊しようとするなら、こちらの拳が破壊されてしまう。リリシアが拳を握りしめると身構えた。

 突如、薄暗い廊下の奥から重い風が走ってきた。リリシアが降りてきた階段側からである。リリシアが振り向くと、手刀に構えたタキシード姿の老紳士が殺到してくるのが同時だった。


『侵入者よ。このヤムナークが参る!』


 リリシアは身体をひねってヤムナークと名乗った老紳士が放った右のフックを避けたが、そのまま回転して強烈な後ろ蹴りを放ってきた。


「……!」


 咄嗟に神楯ガウォールで防いだものの、大きな丸太が正面からぶつかってきたような重い衝撃に、リリシアの小柄な身体が後ろに跳ね飛ばされた。背にしていた扉を突き破り、破片とともにリリシアは室内に雪崩れ込んだ。


「う……」


 悲鳴が頭上から聞こえ、目を開けるとアイーシャを抱えたセリナが目を見張ってリリシアを見下ろしていた。


「あなたは……!」

「話は後にしてくだしい」


 リリシアはネックスプリングで跳ね起きたときには、目の前には既にヤムナークが迫っている。


『セリナ様、下がって下さい!』


 繰り出すヤムナークの徒手攻撃は鋭く執拗で、リリシアは後退しなければならなかった。頑丈な神楯ガウォールで防御しても、ヤムナークは意にも介さず、はげしい攻撃を続けている。そのまま部屋の隅まで追い詰められ、リリシアの背に背もたれらしい堅い感触があたった。


 ――椅子?


 リリシアは椅子だろうと見当をつけ、触れたものを握り、そのままヤムナークに振りかぶった。果たしてそれは室内に設置された高級そうな椅子で、ヤムナークの頭部にぶつけると椅子は粉々に砕け散る。


『ぐ、む……!』


 神盾ガウォールには耐えられても、不意の攻撃はヤムナークを意識を混濁させるのに充分だったらしい。膝の力が抜けて足元がフラフラとなっていた。

 リリシアは隙をついて踏み込んで連撃を放つが、それでもヤムナークを崩すには至らない。

 しかし、ヤムナークが鞭のようにしなるハイキックを打ってた時に、ヤムナークに隙が生まれた。

 室内はシーツやタオルなどが、乱闘で散乱している。ヤムナークは足元のシーツに気づかなかったが、リリシアはそれに気づいた。リリシアは伏せるようにかわすと同時にシーツを引っ張った。ヤムナークは体勢を崩して『うわっ!』と床にひっくり返った。


『不覚……』


 ひざまずく格好のヤムナークに、猛然と迫る気配がした。顔をあげると歯を食い縛って、鬼のような形相をしたリリシアが疾走してくる。


「だありゃあああっ!!」


 リリシアは叫ぶとともに、床を滑るようにして突進し、そして勢いよく跳ねた。

 膝を突きだし、鋭角の膝が呆然とするヤムナークの頬を抉(えぐ)った。

 ヤムナークの身体は床を跳ね、壁に激突すると、そのまま昏倒(こんとう)してピクリとも動かなくなった。


「ヤムナークさん……」


 セリナとアイーシャは、部屋の隅で身をすくめていた。身体が大きく震えている。

 人質とはいえ何かと世話をしてくれたヤムナークが、今は無惨な姿で倒れている。救出してくれた嬉しさよりも、ヤムナークの身を案じる思いの方が強かった。

 そして、何よりも救出に来た女の正体。


「セリナさん、アイーシャちゃん。助けに来ました。ここから出ましょう」

「リリシア……さん、でしたっけ?助けに来たのは、あなたなの」


 感謝よりも非難がましい声が、思わずセリナの口から洩れる。

 敵意と言ってもいい。

 リリシアは気まずそうに視線をそらした。

 夫を奪った女。

 一度は払拭ふっしょくしたつもりの感情だったが、目の前にしてしまうと、セリナの中で、再びむくりとどす黒い感情がわき起こってくる。

 もはや過去の話であり、あれは避けられないことだったとセリナ自身も頭の中でわかっていたはずなのに、実際にこうして対面すると、湧き起こってくる嫉妬の感情を抑えきれないでいた。


「お母さん……」


 不安そうにセリナを見つめるアイーシャだったが、震える瞳でリリシアを睨んでいるセリナにそれ以上の言葉が見つからず、黙って顔を伏せた。

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