第99話 其ノ者曰ク「天翔ケル竜ノ雷」

 先に仕掛けてきたのはネプラスだった。

 正眼から脇構えに構え直し、リュウヤが右に足を運ぶとネプラスも右にゆっくりと円を描くように移動していた。二人がいる建物も周りも屋根は平らで、視界を妨げるものは何もない。そのリュウヤの視界の端に、魔空艦と管制塔がちらりと映った。

 努めて目の前の強敵に集中していたつもりだが、わずかな心の焦りがそうさせてしまったのだろう。気を取られ、リュウヤはほんの一瞬だけ魔空艦に視線を向けた。

 その刹那、ネプラスの足元から砂塵さじんが巻き起こり、重量感のある凄まじい闘気がリュウヤを圧してきた。

 二メートルをゆうに超えるネプラスの巨体は、あっという間にリュウヤの眼前まで押し寄せてくる。


 ――……しまった!


 ネプラスの剣が勢いを増す前に刃を合わせて防いだものの、突進した勢いは止まらず、つばぜり合いのまま後方へと一気に押された。


『油断したな、リュウヤ・ラングよ!』

「く……!」


 リュウヤは鎧衣プロメティアを発動させ、突進に抵抗しようと、光の粒子で形成された蝶の羽根で推進しようとするが、ネプラスの勢いは止まらない。ネプラスの圧力が勝り、光の羽根は粉微塵に散っていってしまう。

 二人は地上に落ち、わずかに距離が離れたのを機に、鎧衣プロメティアを発動させたまま、ネプラスから離脱しようとしたが、ネプラスは岩のような巨体に似合わぬ速さで猛追してくる。


『このまま逃しはせんぞ!』

「ちぃ……!」


 ネプラスは咆哮ほうこうしながら剣を振るってくる。辛くも凌いだが腕に痺れを感じるほどで尋常でない力だった。リュウヤは嵐のような斬撃に、リュウヤは防戦一方となっていた。

 リュウヤが一刀一刀身をよじってかわすために、ネプラスの剣による衝撃波が周りの建屋を吹き飛ばしていく。その凄まじさに兵士は容易に近づけず、遠巻きに眺めながら喚声を送るしかできないでいた。


『いけっ!』

『そこだ!やれ!とどめだ!』


 と兵士たちは声を送り、もはや伝説に等しくなっていたネプラス将軍の威風堂々と闘う姿を目の当たりにして、極度の興奮状態にあった。

 だが、と剣の心得のある一人の兵士が、リュウヤの動きの変化に気づき、奇妙に感じていた。

 かわすだけで精一杯、防戦一方だったはずなのに、あの人間の動きは徐々に余裕を取り戻しているように思える。崩れていた体勢も腰が座り、運ぶ足も滑らかに見えた。


 ――ダンスのステップを踏んでいるような……。


 兵士はそこまで考えたが、ネプラスから発せられた衝撃波が近くまでに及ぶと、思考を中断して慌てて逃げ出した。


 ――半端者の評論はこれだからイカンな。


 ネプラスの剣撃は常識や想像を越えている。相手の人間は手出しができないだけだと思い直すことにし、、俺は未熟者だと自分を叱咤しながら安全な場所まで逃れると、他の兵に混じって同様の喚声をネプラスに送り始めた。

 しかし、その兵士と同様の疑問を抱いたのはネプラス自身だった。

 剣がまったく当たらない。

 刃だけではなく、衝撃波まで予測しかわしているように思えた。始めは驚きはしたものの、小癪こしゃくなと笑うゆとりがあったが、次第に焦りを感じていた。リュウヤの身体は、嵐をも凌ぐ草原の草花のように飄々ひょうひょうと揺れ動き、ネプラスの剛剣をしのいでいる。

 不意にカツンと乾いた音が鳴った。

 初めて攻撃に移ったリュウヤの剣は、振り下ろしたネプラスの剣を転じてかわし、ネプラスの剣の根元を打っていた。そして、巻き上げるようにして跳ね上げると、ネプラスの剣が腕ごと持っていかれそうになり、ネプラスは後ろにたたらを踏んでよろめいた。


『俺の剣を返した!?』


 たったの一合で。

 予想外の事態にネプラスだけでなく、闘いの行方を見守っていた兵士も声を失い、リディアでさえも闘いの手を止めて愕然がくぜんとしていた。

 ネプラスは体勢を立て直すと、リュウヤも既に正眼に構えている。分厚い岩壁がそびえ立っているようで、一分の隙が見いだせない。


 ――悪敷あじきとは、受付表裏飛びはぬる。至極はかかれ、先は極楽。


 師である祖父がリュウヤに、この剣技を伝える際に、節をつけながら語った言葉が過る。

 悪敷あじきとは悪い業を指すが、受けにまわり、逃げまわれ敵はいつまでも追いかけ、撃ち込んでくる。「後の後の後」では勝負は必ず負ける。少なくとも「後の後の先」でなければならない。

 ひたすら受けて護り続け、わずかな隙を見出だして一歩踏み出し、一刀振るい死地を逃れる。「後の後の先」をとるための護りの剣。

 祖父が説いたことはあくまで心構えだったが、リュウヤはそれを技にまで昇華していた。

 リュウヤは肩を揺らすと、息を大きく吐きながら、柄を握る手に力を籠め直した。今の猛攻の後でも、疲れはない。ダメージもない。

 額に汗をかいているものの、わずかに息が弾んでいるだけのリュウヤに、ネプラスは舌を巻いていた。怒りもなく、驚愕を通り越して好敵手を見つけたという悦びの感情を抑えきれないでいる。


『リュウヤ・ラング。さすがベリアを斬っただけはある。魔族でも一、二を争う剣の技だ』

「……どうも」

『技だけなら、このネプラスを凌駕している。剣で渡り合えるとしたら、ルシフィ様にゼノキア様くらいか』

「……」

『そのルシフィ様をこの王都から遠ざけたのも、お前の策か』

「答える必要はないな」


 リュウヤは正眼から八双に構えを変えた。

 そうだな、とネプラスは笑った。子に語りかけるような穏やかな笑みが、リュウヤにはかえって不気味に思えた。


『だが、闘いは“技”だけで決まるものはない。知恵や運も必要だ。少なくとも技でお前が上なら、“力”でお前に勝つ』


 ――魔法でも使うつもりか?


 力を活かすには技が欠かせない。今、その力をいなしてみせたばかりではないか。

 リュウヤは魔力を指すのだろうと察し、ネプラスを凝視したまま、鎧衣プロメティアを出すタイミングを図っていた。主に飛行や推進に使われる鎧衣プロメティアだが、魔力で形成される光の羽根は、強力な盾にも魔法のバリアにもなる。

 だが、ネプラスの身体の周りを紅い光が覆い、大気が震動し始めた時、魔法とは違うと身を固くした。

 幻覚か、それともネプラスの力がそうさせたのか、岩のような巨体がさらに膨れ上がり、炎のような闘気がリュウヤの目にもはっきりと映った。

 ネプラスは天を差すように高々と剣をかざし、膨大なエネルギーがネプラスの剣へと集中していく。


『我の剣がかわされるなら、我が発する闘気によって全てを飲み込むまでだ』


 リュウヤはその強大なエネルギーと、意図を悟って全身に鳥肌がたった。「逃げろ、リュウヤ!」とクリューネたちに叫んだ瞬間、ネプラスは雄叫びをあげるように怒鳴った。


『……喰らえ、我が剛剣“闘撃クラウ・ソラス”を!』


 ネプラスが剣を振り下ろすと、剣の切っ先から灼熱の高エネルギー波が怒涛の勢いとなってばく進した。


鎧衣プロメティアーー!!!」


 リュウヤの背面に浮かぶミスリル製のプレート群が、主であるリュウヤの意思によって前面に立ち塞がり、蒼白い稲光が放出してリュウヤの前にバリアを形成した。鎧衣プロメティアによって、強大な魔力に増幅されたバリアは空間を歪ませ、高位魔法でも四散させる力を持つ。その魔法バリアにネプラスの闘撃(クラウ・ソラス)が激突した。

 しかし、闘撃クラウ・ソラスの力は、鎧衣プロメティアのバリアを凌駕していた。強大な衝撃波がバリアを砕き、リュウヤと鎧衣プロメティアを闘気の熱波に呑み込んでいった。


「……!」


 言葉を発することも出来ず、沸騰する空気に身を焼かれながら、リュウヤは衝撃波に吹き飛ばされていった。


『さすがは将軍ネプラス……。お父様は強い』


 衝撃波による轟音と激震がおさまり、凄まじい剣技と目の前に広がる光景に、リディアはすっかり興奮しきった様子で顔を紅潮させている。

 対するクリューネとリリシアは、顔面を蒼白にさせている。

 ネプラスが喘ぎながら見据える先に、濃い煙が立ち込めていたが、やがて、その煙が晴れると、下から現れたのは、大の字になって倒れ込むリュウヤの姿が現れた。


「リュウヤ!」

「リュウヤ様!」


 叫んで駆け寄ろうとするクリューネとリリシアの前に、空から吹き放つ炎の壁が二人を遮った。


『お前たちの相手は、私だと言ったはずだ』


 いつしか涙目となっていたリリシアとクリューネの二人がキッと、上空を睨みあげると炎をくちばしからチラチラと覗かせるグリフォンと、傲然と見下ろすリディアの姿がある。


「貴様!」

『さあ、兵士ども。あのリュウヤ・ラングにとどめをさして戦功としなさい』


 リディアの澄んで良く通る声に、兵士たちは一斉にどよめきを起こした。

 まだ数は千にも足らなかったが、戦闘の緊張状態からの解放。破壊され傷つけられた魔王軍のリュウヤたちに対する怒り。そして功名心。

 それらが複雑に絡み合い、兵士一人ひとりの喚声はひとつのうねりとなって、何万もの兵士がいると錯覚させるほどの喚声が虚空に轟いた。

 リュウヤにもっとも近い十数の兵士が、歯を剥き出しして、目を爛々とぎらつかせながら剣を振りかざして突進していく。


 ――バハムートになるしかない。


 もはや作戦は失敗した。

 今は何よりも先に脱出しなければ。

 セリナとアイーシャの今後が不安だが、ルシフィに頼るしかない。敵であるはずのルシフィなら守ってくれるという期待が、クリューネには情けなく思えたが、それよりも今はリュウヤの命が先だ。

 ポワリとクリューネの目に、金色の光が宿り、身体を包んだ。その時だった。


「……!」


 凄まじい殺気のクリューネの身体を貫いた。心が凍り、身をすくませて変身を中断させるほどの殺気で、クリューネは息を呑んで倒れているリュウヤを凝視した。


『何だ、この殺気は……』


 強烈な殺気を感じたのはネプラスも同じだった。背を丸めて息を切らしていたが、顔をあげてリュウヤに迫る兵士たちに向かって怒鳴った。


『さがれえ!奴はまだ闘えるぞ!』


 ネプラスの大音声にほとんどの兵士は足をとめたが、トランス状態にあった数名の兵士には届かず、不幸なる彼らは餓えた狼のように、我先にと剣を振り下ろしてリュウヤに襲いかかった。その瞬間、キラ、キラ、と閃光がはしり、兵士たちの動きが止まった。


『……化け物か』


 ネプラスの呻き声にあわせるかのように、リュウヤを襲った兵士たちは、鮮血を噴き出しながら地面に倒れていった。

 倒れた兵士の代わりに、そこにはきらめく剣をだらりと下げたリュウヤ・ラング佇立ちょりつしていた。

 大きく肩で息をし、擦過傷だらけで所々から血を流している。衣服もボロボロで、特に魔法のローブは形を残しておらず、何の役に立ちそうもなかった。


『大したものだ。いや、そんな言葉で済ませられるものではないな。竜の力もその蒼き光も、お前の強さを補完するものでしかない。お前の強さは本物だ。心から敬意を表する』


 ネプラスがそこまで言った後、天高く上段に振りかざした。紅い闘気がネプラスの身体を多い、刃に集結する。激震と吹き荒れる闘気の嵐に、兵士たちは一斉に逃げ始める。


『だが、闘いは別だ。今度こそ仕留める。最大限の力で……』


 先の闘撃クラウ・ソラスを超える闘気を前にしても、リュウヤはじっと佇んだままでいる。諦めたのかとネプラスはいぶかしむが、リュウヤから発せられる猛烈な殺気はそのままだ。リュウヤは、やにわに魔法のローブだったものを脱いで地面に投げ捨てると、ルナシウスを上段に構えて叫んだ。


鎧衣プロメティア……!」


 ミスリル製のプレート群が息を吹き返したように現れ、青白い稲光をちりちりと発しながら、主の身体を覆うように浮遊する。


『それで身を守ろうとしても、無駄なのはわかっているだろう』

「ただ、身を守るためじゃない。あんたの闘撃(クラウ・ソラス)を打ち破って、あんたを倒す」


 鎧衣プロメティアの稲光が強さを増すと、プレート群が互いのプレートを打ち、互いに共鳴仕合うように、光は強く激しさを増していく。そして高エネルギーを宿した雷がリュウヤの掲げた剣に集まり更に激しさを増していった。


「ぐっ……」


 鞭で身体を打たれるているのを耐えるかのように、リュウヤの表情が苦悶に満ちた。


『なんだ……?』

「鎧衣(プロメティア)は、俺の魔力をエネルギーとしそれを増幅させる」


 口の端から、呻くような声でリュウヤが言った。

 鎧衣プロメティアは、ハーツ・メイカによって改造された魔装兵ゴーレムのエンジンと設計理念は基本的に同じだが、使用される燃料が火山岩ではなくミスリル銀という点が大きく異なる。

 得られるエネルギー量は火山岩をはるかに超えていたが、機体がエネルギーに耐えられず融解爆破してしまうため、ミスリル銀を直接コントロールさせるよう意思と連動させる仕組みにしたのだが、まとも扱えたのがリュウヤ一人だけだった。


「勝負だ。ネプラス」


 リュウヤの言葉に呼応するように、刀身が異様な輝きを放つ。

 クリスタルでつくられた刀身内で反響して更に魔力が増大し、炎とも稲妻とも判別のつかない光の嵐がルナシウスから猛然と巻き起こった。

 そのエネルギー量に誰もが息を呑んだ。兵士たちはおろか、リディアもクリューネもリリシアも見ているだけしかできないでいる。

 嵐が激しさを増すごとに、扱うリュウヤの表情も暴れ狂う魔法エネルギー抑えつけるため、必死に歯を喰いしばっている。

 だが、その目はひたりとネプラスに向けられ、獣のような闘志に溢れている。

 ソニックブームはリュウヤも以前に撃ったことがある。しかし、ヴァルタスの力は既にないし、力任せに放った小技など、ネプラスの闘撃クラウ・ソラスに通用せず、たちまち消されてしまうだろう。

 ネプラスとその技を打ち砕くには、もっとそれ以上の、極限まで心気を練り上げた力が必要だった。


 ――この剣に伝わる力は俺の力だ。荒れ狂う力をコントロールしろ。


 そう自分に言い聞かせると、リュウヤは静かに目を閉じた。目の前のネプラスを忘れ、勝つことも負けることも忘れた。生きることも死ぬことも忘れた。

 荒ぶる気持ちが静まると、これまでリュウヤを襲っていた激痛も不思議と遠ざかっていった。

 突然のリュウヤの行動にネプラスは、何のつもりだと鼻で笑った。


 ――最期は華々しく散るつもりか。


『良いだろう。その勝負を受けてやる!』


 ネプラスの気が勢いを増した。闘志を剥き出してニヤリと浮かべた笑みは邪悪さを感じさせた。


『今度こそ消し飛べ!』


 ――闘撃クラウ・ソラス


 ネプラスは咆哮し、振り下ろした剣から莫大なエネルギー波がリュウヤを呑み込もうと地面を抉りながら突き進んでいく。

 眼前まで迫ったその時、リュウヤは刮と目を見開いた。


 ――この一の太刀。この一刀、全てを剣に乗せる。


「うおおおおおおっ!!」


 リュウヤも咆哮した。

 一歩踏み出し、大きく振りおろしたリュウヤの剣から集結したエネルギーが解き放たれると蒼白い光の巨大な熱波がわき起こった。

 ネプラスのそれよりも巨大な熱波は、轟音を立てながら猛進していく。


『な、なんだと……!』


 リュウヤの衝撃波は獣のように形成されていき、ネプラスが放った衝撃波を呑み込んでさらにネプラス自身へと向かっていく。闘撃クラウ・ソラスを放った直後ということもあり、後の先をとられた形となって、身動きがとれないでいる。


『お、おおお……!』

『お父様!!』


 危機を察したリディアがネプラスのもとに向かおうとしたが、衝撃波の影響で見えない壁に弾き飛ばされかえって距離が離れてしまった。


『お父様ーー!!』


 リディアが叫ぶその先で、押し寄せる衝撃波が周囲の瓦礫や半壊した建物ごと、ネプラスを一気に呑み込んでいった。リディアの目には蒼白い龍の化身がネプラスを呑み込んでいったように映った。ネプラスの身体には骨が粉砕されるような強烈な圧迫が襲い、上も下もわからないまま、灼熱の光の奔流に流されていった。

 信じ難い光景に、兵士の一人が手にした剣を落とし、誰ともなしに呟いた。


『竜が空をていったみたいだ……』


 やがて光の波が消えると、そこから現れたのは立ち上って拡散した煙と、抉られて焦土となった大地が広がっていた。リュウヤの放った衝撃波は王宮はおろか町にまで被害が及び、数キロ先までが焦土と化していた。

 その焦土となった大地の中に、ポツリとうずくまる人の影があった。

 時々、影が揺れ呻く声がするのは、その者が生きていることを示している。少しすると、フラフラと立ち上がり、半分折れた剣を構えてみせた。覚束おぼつかない足取りでリュウヤに向かって歩いてくる。


『まだだ……。まだ終わっとらんぞ』


 喘鳴ぜんめいしながら呟くネプラスの声が微かに聞こえたが、あまりに小さな声なのにリュウヤの耳にまで届いたのは、もしかしたら微風にのって聞こえたのかもしれない。


「ネプラス将軍、まだ生きていたか」


 さすがだとリュウヤは大きく息を吐いた。

 疲労とダメージでさすがに身体が重くなってきたが、まだ道半ばだと自らを励まし、リュウヤはルナシウスを握り直した。

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