第16話 暗殺剣「水面ノ灯リ」

 クリューネには時おり見る夢がある。


 場所はいつも狭い小部屋の一室で、ある種の懐かしさを感じるのはそこはクリューネの私室だからだ。まだ幼いクリューネはいつも絵を描いて遊んでいた。その傍で、金髪に髪の長い女性が物憂げに窓の外を見つめている。


 ――あの人、今日も来なかった何が。


 深い嘆息をする母の横顔が映る。いつも横顔なのは、窓の外を眺めていたからだとクリューネは思う。

 来ないのは「あの人」だけではなく、これまでに訪問客があった記憶がない。せいぜい朝昼晩の食事を世話をする係の竜と、厳めしい顔をした人に変身した竜の教育係くらいだった。

 そして幼いクリューネが母の傍に寄り、「お母様、お父様はいつ来るの?」と尋ねると、そっと頭を撫でて「明日にはきっと必ず」と自分に言い聞かせるように話すのだった。

 しかし、父は一向に現れず、母が病に伏しても枯れるように息を引き取る時も現れなかった。

 母は息を引き取る直前まで「明日には……、明日には……」と言い続けていた。

 クリューネは父に対する恨み言を母に言った。すると母は「お父様は忙しいのです」と諭すように微笑んで、それが最期の言葉となった。

 そうして夢がいつも終わる。


  ※  ※  ※


 ――また、つまらん夢を見たの。


 思い出したくもないものはちっとも望んでもいないのに、何故こうして反芻されるのだろう。楽しいことだけ思い出せればいいのに。


「やれやれ……」


 まぶたに光を感じ、重い気分を抱えたまま目を覚ますと、薄汚れた天井を背に少年二人がヘッへと下卑た笑みを浮かべてクリューネを覗き込んでいる。


「……」

「あ、おはようございます姫。けっこう寝相だらしないんですねえ」

「……」

「それにパンツ丸出しで寝てたら、風邪引きますぜぇ?」

「……お主らは地獄を見たいようだの」


 その後に続くクリューネの獣ような咆哮とともに、細い手足がそれぞれ少年たちの顔面にヒットし、彼らはたまらずもんどり打っていた。

 クリューネは少年たちを千切っては投げ、逃げるところを引きずり戻して関節で極め、まるで地獄か獄門か。阿鼻叫喚といった様相を呈しながら、数分後にはボロ雑巾と化した少年たちが転がっていた。


「どうだ、参ったかあ!」


 肩で息するクリューネに対し、虫の息の少年らはまいりましたあと息も絶え絶えに答える。


「でも、姫も酷いすよ。アニキは姫の家の中に泊めているのに」

「パンツ一丁の姫と、一夜過ごすなんてなあ」

「お主らとリュウヤを一緒にするな!」


 真っ赤な顔をするクリューネとその言葉を聞いて、よせばいいのに少年たちは、またニヤニヤとお互いの顔を見合った。


「まあ、アニキは強くて、そこそこイケメンだしな」

「姫も年頃だし、そろそろ二人きりで、いちゃいちゃチュッチュしたいもんなあ」


 こそこそ話しているつもりだが、二人の声はクリューネに充分伝わっている。そんな少年らに一体の影が覆った。強烈な殺気が二人を金縛り、錆びたロボットのようにガタガタと首を上げると、クリューネが紅い光を瞳に宿して仁王立ちしている。


「きぃさぁまぁらあぁぁぁなあぁぁぁ……!」


 再び数分後、三畳あまりのバラック小屋は八熱地獄の有り様となり、憐れな少年二人は筆に記すのも忍びない状態となって横たわっていた。


「そういえば、リュウヤがおらんの」


 クリューネは周囲を見渡す。昨夜は土間で寝ていたはずだが姿が見えない。

 クリューネは横たわる二人を打ち捨て、そこで漸く短パンを履いて外に出た。

 小屋から少し離れた広い草地のなかで、上半身裸のリュウヤが木の棒片手に蹲踞そんきょしている姿が見えた。

 いったいどれだけ振り続けていたのか、滝のような汗がリュウヤの身体から吹き出ていた。朝の光に照らされて汗がきらきらと反射している。

 剣の稽古だろうが、リュウヤは奇怪な動きをしている。

 剣に見立てた棒を左の腰にそなえ、低い姿勢で膝を地面にするようにして前進し、円を描くようにして逆胴から棒を奮ってから立ち上がり、続けて素早く見えない相手に打ち込んでいく。その動作を何度も繰り返しているのだが、リュウヤから伝わる気迫には凄みがあった。


「リュウヤ……」


 圧倒されるその気迫に、クリューネが思わず呟いた一言がリュウヤの耳に届き、おはようと言って近づいてきた。ムッと汗の匂いがしたが、クリューネはそれを不快には感じなかったのが不思議に思えた。


「仲間のガキに起こしに行かしたけど、あいつらは?」

「どうも眠いらしくて、私の家で寝ておるな」


 リュウヤは少年らに会った時、彼らがいつものハイテンションだったことを覚えている。リュウヤは怪訝な顔をしたのだが、クリューネは無視して傍に置いてあるずた袋に目を落とした。ふくらみが柔らかく、中に入っているのは衣類のようだった。


「こりゃ、なんじゃ?」

「おまえの仲間に頼んで買ってきてもらったんだ」


 ふうんとクリューネは言ったが、袋に対する関心はそこで薄れ、稽古に励むリュウヤへと移っていた。


「それよりも剣の稽古か。随分と熱心だの」

「うん。うちの流派にある型を、ちょっと工夫している」

「それは、昨日言っていたことと関係あるのか?」

「まあ、ちょっとはな」

「お前の……」


 曖昧な返答が気に入らず、クリューネはリュウヤに詰め寄った。一見痩せてみえるが厚い胸や背中、盛り上がった肩が断崖の岩肌のようだった。


「私を使って何かやろうとするなら、ちゃんと説明しろ。状況がわからんと、こっちも行動がしづらいんじゃ」

「お前までには迷惑掛からないようにするよ。……町はしばらく混乱するだろうが」

「それなら充分、私にまで掛かるだろうが。絶対大丈夫なんて無責任な話は聞きたくはないぞ」


 下からにらむクリューネの顔がやけに子どもぽく、リュウヤは気が和むのを感じていた。思わずクリューネの頭に手を添えてヨシヨシと優しく撫でてしまう。

 クリューネはクリューネで、リュウヤの予想外の行動に顔が熱くなった。


「こ、子ども扱いするな、バカタレ!」

「……今夜、俺は仕掛ける予定だ」

「仕掛ける?」


 唐突な一言に、じたばたしていたクリューネの動きが止まった。見上げるとリュウヤは無表情のまま頷いた。


「今夜の五番街区のスラムで、魔王軍の連中が人拐いに動く。俺はそこで奴等を叩く」

「……」

「これでいいか?」

「……魔王軍相手に、一人でやるつもりなのか」

「復讐の取っ掛かりとしてはちょうど良い。それに人が拐われているのに、俺は黙って見過ごすなんてやっぱり間違っている。昼のあの親父さんを黙って見てたのも後悔してる」


 リュウヤは何気なく言ったつもりだったが、その言葉はクリューネの胸を苦しめた。クリューネもリュウヤと実際には同様のことを感じていたからだった。何もしない自分が不甲斐なくて情けない存在に思え、ぎゅっと奥歯を噛み締めていた。


「あー、アニキと姫、いちゃついてる!」


 囃す声に反応してクリューネとリュウヤが目を向けると、意識を戻した少年たちが懲りずに二人を指さしている。


「きぃさまぁらあぁぁぁ、いい加減に……」


 クリューネは自分の後ろめたさを誤魔化そうと、いつもより声を張り上げて、逃げ惑う少年たちを追いかけていった。


  ※  ※  ※


 深夜、五番街区の路上には、複数の蹄と車輪の音が重なって響いた。

 長官命令で、午後十一時以降、メキアでは外出禁止となっている。路上には他に人影もなかった。


『よし、止まれ』


 隊長らしき馬上の男が手を上げると後方に従う何台もの馬車が停車した。同時に、十数人もの兵士たちが馬車から降りてくる。


『いいか、本日はここ五番街区AからCブロックまでとなっている。余計な混乱を起こさぬよう静かに始末してから運べ。よいな?』


 隊長が指示を終えると、兵士たちは一斉に右手を挙げてオウと小さく応える。 煌々と照らしている月に厚い雲が覆ったせいで、路地は闇の底に沈んだように暗く、兵士一人一人の姿を判別もつかないくらいだった。


『よし、かか……』


 襲撃の号令を掛けようとした時、隊長はある気配に気がついて手を止めた。

 かすかな物の気配を感じとり、周囲を窺ったが濃い闇がぬたりと広がっているだけだった。

 気のせいかと思いかけた瞬間、重い殺気が隊長の背後に迫った。剣を抜こうと振り向くと、わずかに洩れた月の灯りで地面が煌めいたのを見た。

 月の光に反射する水溜まりを連想した。


 ――雨など降ったか?


 突如湧いた奇妙な疑問を最期に、殺到した影が剣を一閃し隊長の首筋を切り裂いた。


「……」


 隊長は声を立てる間もなく落馬したのだが、その間にも影は動揺をみせる兵士たちに、音もなく襲い掛かっていく。吹き抜ける風のように、影が兵士たちを駆け抜けて振り返ると、既に絶命した兵士の死骸が転がっている。

 すべて一刀で首筋を斬っていた。

 雲が去り、月が路上を照らすと黒ずくめの衣服に包んだ男が立っていた。顔には覆面をし、履き物は靴ではなく、底が厚い革でつくられた靴下のようなものを履いている。今朝、少年らに使いに行かせて特別につくらせた足袋たびと同種のものだ。

 月光に反射して鮮やか煌めく剣――ルナシウス――を鞘に戻すと、男は覆面を外した。


 ――さて、これからだな。


 リュウヤ・ラングは深く息をついて覆面で顔を覆うと、音もなく闇に紛れて消えていった。

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