第二章 メキアの月は美しく

第13話 盗人の姫君

 ――あやつにするか。


 大都市メキアの大通り。

 商店露店がぎっしりと建ち並び、多くの人々が行き交って賑わいをみせる通りの中で、フードを被った若い男とすれ違った時だ。ローブの下からチラリと覗いた布袋を見逃さなかった。

 袋自体はそれほど大きいものではないが、ごつごつとした重量感から金貨ではないかと判断した。

 ハンチング帽を被り直してから、ジャケットの襟を立て、埋めるように背を丸めて顔を隠すようにし、短パンのポケットに手を突っ込んで、何気無い仕草でローブの男の後をつけていく。

 男には隙がない。

 みすぼらしい身なりのわりに、相当な腕の持ち主に思われた。

 刃物が一本佇立しているようで、うかつに近づけばこちらがやられる。

 そんな男が腰に下げている粗末な拵えの剣だって、腕前から察するにおそらく値打ちのある代物に違いない。


「しかし、それでこそやりがいがあるというものよ……」


 身なりは一見少年風だったが、不敵な笑みから発せられた澄んだ声は、明らかに少女のものだった。

 チラリと周囲を窺うと、左右少し離れた位置に仲間の少年2人の姿が見える。

 少女が軽く口笛を吹き、少年たちが少女と目が合わせると、サインとして使っている帽子のツバを上下に動かし、帽子を被り直した。

 この町に潜んで二年近くの間、数百件のスリ、かっぱらいを成功させてきた自分たちだ。もっと危険な連中からも盗みが成功し逃げている。ここの地理は細かく記憶している。

 地の利は我に有り。

 あんな若僧、何のことがあるか。

 自分もまだ16歳に関わらず、少女は心の中で高らかに自らを鼓舞してみせ、若い男につかず離れずついていく。

 その時、男は大通りから曲がって路地に入っていった。人気の少ない路地でこのままついていくと目立つおそれがある。

 少女はおもむろに右耳を弄ってみせると、右手の少年は左耳を弄ってひとごみの中へと消えていった。仲間内で交わされるサインのひとつで、今ごろその少年は別の路地から回り込んでいるはずだった。


 ――これで良し。


 少女はほくそ笑むと、もうひとりの少年にサインを送り、足を早めて男の後を追った。

 大通りから路地に入ると急に静かになって大通りの喧騒も遠くなっていった。人通りもまばらで、そこかしこに酔っぱらいが寝込んでいる。濁った臭いが辺りに漂っている。

 普段、町の住民もあまり近寄らない場所だが、男はどこへ向かうつもりなのか、渋帯のない足取りで進んでいく。

 その男の足が急に止まった。男の前にさきほど人ごみに消えた仲間の少年がふらふらと近づいていく。


「にいちゃん、ちょっと恵んでくれねえかなあ」


 と、少年のにちゃにちゃした声が聞こえる。

 ばか、と少女は舌打ちした。

 腕に覚えがありそうな男には、下手に出て憐れみを乞うた方が相手も油断しやすいのだ。だが少女には実力はわかっても、少年らにわかるとは限らない。

 若くて痩せているように見え、自分たちよりみすぼらしい身なりだから舐めてかかっているのだろう。

 少女は仲間を促し、足を急がせた。


「なあ、ちょっとは持っているんだろ?」

「……」

「話す舌くらいもっているんだろ。それともオタクびびってるの?」


 ニタニタと少年の笑みが大きくなった。

 こいつ、びびってたじろいでいる。

 少年はそう確信していた。脅して金を貰った方が手段として楽だ。


「なあ、何か言ったらどうなの?」


 だが、男は少年の質問には答えず、不意に後ろの少女たちに振り向いた。


「……ようやく、仲間のご到着だな」

「……!」


 少年は見破られたと瞬時に覚り、布袋を奪おうと素早く手を伸ばした。

 しかし、男は身体をわずかに動かしただけで、スルリスルリとかわし続けてみせた。


「こいつ……!」


 少年の頭に血が上り、男のローブを両手でつかんだ。

 しかし、男は掴まれたローブの裾を捻るようにまくり上げると、少年の手首も極められる格好になって、少年の身体はくるりと宙に舞って、そのまま地面に叩きつけられた。少年はなにが起きたかわからず、呆気にとられていたが見下ろす男の姿が視界に映ると、頭が熱くなって咄嗟とっさに跳ね起きた。


「くそ!」

「よさんか、バカモン!」


 すっかり冷静さを失った少年がナイフを取り出したのを見て、少女は怒鳴り声をあげて走った。

 もはや作戦は失敗していた。あとは逃げるのみなのに、仲間の少年は遊ばれた悔しさから意固地になってしまっている。もう一人の少年はどうしたら良いか狼狽えた表情で男を見つめている。元々、盗みには向いていないので当てにはしていないのだが。


 ――このままだと、あやつに斬られるな。


 挟み撃ちのはずだったが男と少年との立ち位置が変わり、少女がようやく追いついた頃には、少年ら3人が剣を持った男を正面から相手する形となっている。

 ナイフを手にする少年の背を見ながら、少女は自分の力を男に使うべきか迷った。

 使えばこの路地どころか、町の広範囲に被害が及ぶ。魔王軍の支配下にあるこの町で、下手に力を使えば自分の居場所が知られてしまうおそれがあった。

 そんな少女の心の間隙を突くかのように、男は腰を沈め、素早く動いた。

 羽のように軽く、稲光のように鋭い動きで、男は三人の間を駆け抜けた。キラキラと光が瞬くのが映り、振り返ると青白く透き通った剣を静かに鞘に納める男の姿があった。


「少しおとなしくしてもらおうか」


 男が言い終わると同時にハラリと何かが落ちた。

 地面を見ると、被っていた帽子が真っ二つに割れている。少女が帽子のなかにおさめていた金色の長い髪も、背中の中ほどまで垂れた。


「な……!」


 愕然とする少女たちだったが、さらにジャケットの下に着ていたTシャツも緩やかに割けていく。少女はその下に巻いていたサラシも斬られて、肌が露出しそうになったのに気がついて、少女は慌ててジャケットで自分の胸を隠した。


「……そんな平らな胸でも恥ずかしいんだな、クリューネ。サラシまで巻いて」

「う、うっさいわ!何を言うか貴様!」


 顔を真っ赤にして怒鳴ってから、男が自分を何と呼んだか気がついて我に返った。


「……どうして私の名を」

「クリューネ・バルハムント。竜の国第14王女、だろ」

「貴様、魔王軍の追手か?」


 身構えるクリューネと呼ばれた少女に男は待て、と手で制した。


「ヴァルタス、と言えばわかるだろう。奴から頼まれた者だ」

「……」

「詳しいことは、ここだと話がしにくい。どこか案内しろ」


 クリューネはじっと男を見つめていた。嘘を言っているようには思えない。よかろうとクリューネは言った。


「我らがアジトに案内してやるが、その前に私はお主の名を知らん。名を名乗らんか」


 リュウヤだと男はフードを脱いだ。殺気の塊と思っていたのに、現れたリュウヤと名乗る男の顔にはまだ少年の名残があり、涼やかな風貌をしていた。


「リュウヤ・ラングだ」


 かつては片山竜也という名を持っていた男は、今は亡き妻の姓に変えていた。


「よし、リュウヤついてこい」


 その前にだな、とリュウヤが無表情のままクリューネを指さした。


「一応女の子なんだから、気をつけた方がいいぞ。人目もある」


 リュウヤの指は胸元を指している。リュウヤに指摘され、クリューネはリュウヤが指した先に視線を落とした。


「あ……」


 クリューネの顔が、みるみるうちに紅潮していく。

 両手を腰にあててリュウヤと話していたため、薄い胸をすっかり露出させてしまっていた。

 周りの酔っぱらいも仲間も、先ほどまでの騒動をすっかり忘れてクリューネの胸に鼻をのばしている。

 クリューネは慌てて胸を隠し、泣きそうな声で叫んだ。


「は、はやく言わんか!このバカモンが!」

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