第8話 夢の終わり

「……んで、どうなの。初夜て」


 セリナが竜也の弁当をとりに奥に消えたところを見計らい、テパという若者が真剣な面持ちで狩猟に使う弓矢をいじりながら竜也に尋ねてきた。


「なんだよ、突然」


 唐突な質問にいささか面食らいながら、捕まえた鳥や野草などを入れる籠を担いで竜也が聞き返す。竜也が手にしている太い棒は護身用のものだが、他にも捕らえた獣を運ぶのにも役に立つ。


「俺、こんなの初めてだからさ。ミナに情けない男と思われたくねえんだよ」

「怖いなら、コウノトリが赤ちゃんをキャベツ畑に運んでくるの待ってれば?」


 ふざけんなよと泣きそうな声でテパが言った。ミナとはテパと婚約している同い年の娘である。来週、ミナとテパは夫婦となる。


「俺、これでも真剣なんだぜ」


 単なる好奇心から尋ねているのではないことくらい、表情からも見てわかる。

 竜也の他にも村の大人たちに聞き回っているようだが、ろくに情報が入ってこないこの村では、テパのような男には不安を拭えないらしく、結婚が迫るにつれて暗い表情になっていく。


「そんな心配するなって。そこまで大したもんじゃねえよ」


 テパは普段、剽軽ひょうきんな性格である。クラスメイトの小野田に似ていて、話していると懐かしい気分になってくる。そんな男の暗い顔を眺めているうちに、何となく同情してしまい、なぐさめるような口調になっていった。


「お互い初めては不安なんだから、相手を怖がらせないためにもがっつかないで、優しく優しく、な?」

「お前もセリナの時、そうだったの?」

「俺はなあ……」


 酔いに任せてがっついてしまった当時の情景が頭を過り、経験談を語るつもりで竜也が口を開きかけたとき、宿から弁当を手にしたセリナがちょうど出てきて、「私がどうしたんですか?」と怪訝けげんな顔をしていた。


「……」


 男二人はばつの悪そうに顔を合わせると、竜也が何でもないよと誤魔化して弁当の入った袋を受け取った。


「セリナのお腹、ずいぶんと大きくなってきたなて話してたのさ」

「もう四ヶ月ですからね」


 産まれてくる我が子を愛しむように、いとおしそうに自分のお腹をでながらセリナが言った。衣服は妊婦用として、ゆったりとしたワンピースに変わり、セリナのお腹はそこに、確かに命が宿っていることを感じさせる膨らみとなっていた。


「お父さん、行ってくるからな。アイーシャ」

「もう、まだ女の子かどうかもわからないのに。それに、どうしてアイーシャなんですか?」

「いい名前だろ?」

「そうですけど……」


 ヴァルタスの亡き娘の名前。

 明確に約束したわけでは無いが、遺志を無視して自分だけ幸せに暮らそうとしているヴァルタスに対する後ろめたさもあって、せめてもの償いという気持ちで、娘の名前をアイーシャと決めていた。

 

「女の子さ。絶対だよ」

「男の子だったらどうするんです?」

「男だったら、適当に名前つけとくさ」

「そんないい加減な……」

「男なんて友達と外で元気よく走り回ってりゃ、何とか育つもんよ」


 言ってから自分の言葉がおかしく、最後は噴き出してしまった。


「どしたん?」


 きょとんとしているテパとセリナに、竜也は何でもないと手を振った。

 数ヵ月前まで竜也は、剣技以外普通の高校生でしかなかった。そんな自分が一人前面したように口を利くのが、我ながらおかしく思えてしまったのだ。


「……それじゃ行ってくる」


 竜也とテパはセリナに手を挙げると、背を向けて歩き始めた。これから、村の外れまで出掛けて狩りにいく。籠やテパの腰に差してあるなたは燃料の薪に、山芋や果実など入れるために使うものだ。

 後ろを一瞥いちべつすると、まだセリナが二人を見送っていて、竜也は軽く手を挙げた。セリナが小さく手を振り返した。

 竜也が村に住むことを決意してから四ヶ月が過ぎた。

 竜也が村に残ると告げた時、セリナの両親は喜んでくれたものの、村人の反応は予想した通り冷たいものであった。

 薬草の見分け方、天候の読み方、縄の結い方や火の起こし方も知らない竜也を嘲り、慣れない野良仕事にヘマばかりの竜也を侮蔑し、罵詈雑言を容赦なく浴びせてきた。

 屈辱の日々だったと言って良い。

 それでも竜也は堪えた。

 セリナのために堪えた。

 村人たちには強固な防衛本能が働いている。

 彼らに受け入れてもらうには、懸命に働くしか竜也には思い浮かばなかった。剣を振るうことも忘れ、若さと人間離れした体力を武器に懸命に働いた。

 その働きが認められたのだろう。二ヶ月も経つと、村人の厳しい視線が和らぎ始め、頑張りが漸く身を結ぼうとしていた。先週は顔役のひとりに酒宴に呼ばれたし、テパのように朝晩、畑や森を行き来を共にする若者なども出てくるようになった。


 ――これからだ。


 竜也は眩しそうに空を見上げた。季節は初夏を迎え、生命力に溢れ青々と茂る森の木々の葉が、照らす日の光を鏡のように反射させている。


「なあ、テパ。結婚はいいぞう」


 突然肩を組んでくる竜也に、テパは閉口していたが、幸福感に満ちていた竜也は構わず肩を揺すりながら野道を歩いた。


  ※  ※  ※


「……確認したところ、村人の数は二百。見張りはやぐらに老人が二人いるだけです。特殊魔法による防備も無し。正面から容易に突入できます」

「聞いたか諸君」


 密偵からの報告を聞き終わると、ベルサムは後ろを振り向いて声を上げた。

 竜也たちが狩りに出掛けてから数刻後、ベルサムの部隊はミルト村数キロ先まで迫っていた。馬上の部下たちはそれぞれ弓のつるを張り直し、弓を射つ動作を何度も繰り返し、張りを確かめている。


「いいか!若い男がポイント5。女が3。老人子どもはいずれも1だ。これで楽をしようとしても無駄だぞ。高ポイントを狙え!」

「オウ!」


 ベルサムの呼び掛けに、部下たちは一斉に右手を挙げて応じた。このイベントでベルサムの評価が上がったわけではないが、気分転換にはちょうどいいかと部下たちは思っている。


「ベルサム……。ハヤク、ハヤク」


 ベルサムの傍では、ガマザがいてもたってもいられないといった様子で、巨体を揺らして跳びはねている。ガマザはベルサムが普段から可愛がっていた部下であるから、無礼な物言いも咎めることはない。


『なんだガマザ、このせっかちめ。獲物は我々の食糧とするのだからな。貴様、つまみ食いなどするなよ?』

『フ、フフ。ガマザ、ツ、ツマミグイ、シナイ、シナイヨ』


 ベルサムには嘘だとわかっている。魔族のなかでも“人間喰らい”と言われるほど人間を好み、貪欲なガマザがそんな殊勝なわけがない。だが、このガマガエルに似た男のそんなところに可愛げを感じていた。この男は自由にやらせておこうと、ベルサムは剣を抜いて切っ先をミルト村に向けた。

 青く透き通る両刃刀が陽光にきらめく。


 我が家代々伝わるクリスタルソード“ルナシウス”よ。これを機に、我に武勲をもたらせ。


「ようし皆の者、かかれ!」

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