第40イヴェ 魂と震え
十一月初旬の土曜、秋人に誘われた冬人が降り立ったのはJR東所沢駅であった。ここから徒歩で十分ほどの所に位置している新空間が「ところざわサクラタウン」である。
ここは、クールジャパンの発信拠点として、二〇二〇年十一月初めにグランド・オープンしたばかりの、ポップ・カルチャーの複合施設である。敷地内には、マンガ・ラノベ専用の図書館や、「訪れてみたい日本のアニメ聖地88」の一番札所があり、そこでは、「アニメ聖地八十八か所めぐり」専用の御朱印帳が購入でき、記念スタンプを押すこともできる。また、アニメ作品をコンセプトにしたホテルもあって、そのホテル内のレストランでは、アニメ作品とコラボしたメニューが提供されてもいる。
秋人と冬人が訪れた日は、オープンの翌日ということもあり、施設内は、非常に多くの人で賑わっていた。
秋人が弟を、サクラタウンに誘ったのは、ここで行われるアニソンのイヴェントのためである。
サクラタウンでは、グランド・オープンの記念として、埼玉県を舞台にしたアニメ作品をテーマとしたラジオの公開生放送が催される事になっていて、その番組内で、県内を物語の舞台にした、〈聖地〉が紹介される事になっていた。そして、その番組のコーナーにおいて、埼玉県を舞台にしたアニメのテーマ・ソングを担当している、二人のアニソン・アーティストを呼んで、施設内のホールで公開生ライヴが催される事になっているのだ。
秋人は、その抽選に、運良く、〈二人枠〉で当選し、冬人を同行させた次第なのである。
兄から誘いを受けた瞬間、冬人の脳天を雷撃が貫いた。
まさに、コレだ!
ライト・ノベルを原作としたアニメ、そのアニメの舞台背景を埼玉とする作品、そのアニメ作品のテーマ・ソング、そして、そのアニソンのライヴ、まさに、ラノベ・〈聖地〉・アニソン・ライヴ、今回のイヴェントのことを材料にすれば、いかようにもレポートが書ける気がしてきた。
冬人は、久々のアニソンシンガーの生ライヴを楽しみにしつつも、同時に、レポートの取材もする心つもりで、このサクラタウンの灰色の建物の前に立っているのである。
今回、ところざわサクラタウンのこけらおとしイヴェントにおいて歌唱する二人のアニソンシンガーは、共に、感染症のパンデミックの影響で、予定していたライヴが中止されるという憂き目にあっていた。
その間、何度かの配信ライヴを行ってきたのだが、実を言うと、感染症の拡大以降、未だ一度たりとも観客の前で歌っていない。
「シューニー、僕、久々に、LiONaさんの生歌を聴けるかと思うと、なんか緊張してきた。始まる前にちょっとトイレに行ってくる」
冬人は、身を横に伸ばして、三席先にいる兄・秋人の耳元で、そう囁いた。
この日、歌唱を披露する歌い手、LiONaの生歌唱を、しかもかなりの近距離で、冬人は、上京直前に参加した「さっぽろ雪まつり」のステージで味わっていたのだ。冬人にとって、およそ九か月ぶりの生の御歌なのだが、実は、LiONaの方も、観客の前で歌うのは、知る限りにおいて、その雪まつりのステージ以来であるらしい。
「雪まつり以来か……」
冬人にとって、あの日、あの時、あの場所でのLiONaとの出逢いと、氷点下でのイヴェンターの熱い盛り上がりは忘れられない衝撃的な出来事であり、あのステージこそが、冬人がアニソンのイヴェンターの世界に入り込む事になる、その大きな牽引力になったといっても過言ではない。
やはり、はじまりは雪まつりなのだ。
トイレから戻ってくると、秋人は、上着とズボンを脱ぎ、上半身はライヴ・Tシャツ、下半身は、動き易いランニング・スパッツという姿になっていた。
「シューニー、あのさ、今日のレギュレーション、立ち禁だよ」
この日のステージは、感染防止のために、声出し応援は禁じられ、声援の代わりに手拍子、さらに、起立も禁止で、着座での観覧が義務付けられていた。
イヴェンターの盛り上がり方の基本スタイルとは、やはり、スタンディングで、身体を揺らしたり、とび跳ねたり、声出しなどであるため、今回のレギュレーションは、いわば、イヴェンターにとって、両手両足を封じられたにも等しい状況である。
だが、演者に逢って、生歌を聴く事、これが今一番大事な事なので、立てない、声が出せないのは今は我慢なのである。
「そうだよぉ、着座、声出し禁止、そんなの分かっとる。だけど、ライヴ・スタイルになるのはさ、フユヒトさんっ、〈気合〉の問題なんだぁ!」
そうスレッガー風に言われた冬人が、周りを見回してみると、さすがに、ランニング・スパッツになっている観客は、兄以外には皆無であったのだが、ライヴTを身に着けているイヴェンターの姿は、他にも何人か認められた。
それにしても、だ。
また僕は好きな演者の生歌を聴けるんだ。こんなに嬉しいことはない。わかってくれるよね? シューニー。
そうアムロ風に思っていると、ついに、雪まつりで冬人の魂を揺さぶった、かの若手アニソンシンガー、LiONaがステージに登場した。
やがて――
一曲目に、いきなり新曲がきたのだ。
その曲は、一か月ほど前に最終回を迎えたばかりのアニメのオープニング・テーマ曲である。
上京してから、兄の秋人の影響もあって、様々な曲を聴くようになっていた冬人であったのだが、イントロが流れた瞬間に、一気にテンションが上がって、まるで天井に頭が突き刺さってしまうような気持になる、そんな魂を揺さぶるような最強の曲はこれ以外にはない。
毎週視聴していたアニメのオープニングにおいてだけではなく、発売されたCDや、配信されたデジタル音源も含め、既に何百回と聴いてきた曲だ。
だがしかし、〈生〉で聴くこの一回に勝るものはない。
LiONaの魂の歌唱、その歌声は耳から体内に入ってきて、身体の中で反響し続け、肉体を内側から響かせているかのようであった。
まるで、身体全体で曲を聴いているような感覚であった。
気持ちだけでなく、椅子までもが激しく揺れ動いていた。
ふと左に視線をやると、二席あけた所にいる兄が、着座のまま前後に身体を大きく揺さぶっており、その振動が冬人の所にまで伝わってきていたのだ。
だから、冬人は思った。
「シューニー、まるで4Dの映画みたいになっているよ」
さらに、歌唱効果を高めるための演出として、歌っているLiONaの背後の大きなスクリーンには、アニメの中での印象的なシーンが矢継ぎ早に流れており、その場面の一つ一つが、歌詞の内容と相まって、物語内容を次々と想起させてゆく。
聴覚と視覚、さらには記憶にまで訴えかけるような演出――
アニメ内容とマッチングした御歌、これこそが〈アニソン〉だ。
冬人のテンションは最高潮に達し、魂は揺さぶられた。
LiONaの歌唱は二曲のみだったのだが、その両方とも、そのラノべを原作にしたアニメと関連した二曲で、そのうちの新曲が、観客の前で披露されたのは、今回が初めてであった。
移動の列車の中で、冬人は、興奮しながら兄にこう語った。
「初披露の曲を聴けて、もう最高だよ。しかも、僕、感染症流行の前に、最後に生で歌った雪まつりと、流行の後の最初のサクラタウンで生歌を聴けた分けだし、これって絶対自慢できるよね」
「まあ、落ち着け、フユ、ライヴ直後でハイになっているのは分かる、でもな」
「でも?」
「そういうのを、〈マウント〉って言うんだよ」
「『まうんと』って何?」
「他のヲタクよりも自分が上だって示す示威行為のことさ。これって、他のイヴェンターの妬み嫉みを買うだけだから、雪まつりとサクラタウンのことは、自分の心にだけ留めておけ。
SNSで呟いたら炎上もんだぜ。かくゆう俺ですら、自分が行かなかった雪まつりの事は、羨ましいと同時にちょっと妬ましいんだぜ」
「う、うん……」
ちょっと言い過ぎたかな。
弟が押し黙って、サクラタウンの本屋で購入したばかりのラノベを開き始めたので、残りの道中、秋人は、アーカイヴ化されていた、この日のラジオ放送をネットで聴き直すことにした。
あれっ!?
会場で聴いていた時には、〈現場〉の雰囲気に酔って、完全に盛り上がっていたので、全く気が付かなかったんだけれど、こうしてラジオで客観的に聴き直してみると、LiONaの声は微かに震えている。
九か月ぶりに生歌を聴ける、ということで緊張していたのは観客だけではなかったのだ。
当たり前の事だけれど、同じ期間、LiONaも観客の前には立っていない。しかも、新曲の初披露だ、緊張しないはずはないではないか。
秋人は、演者の声の震えに、むしろ、ライヴならではの〈生〉っぽさや、〈人〉らしさの温かみをを感じ、〈現場〉至上主義者としての魂の激しい震えを覚えたのであった。
〈参考資料〉
〈WEB〉
『ところざわサクラタウン』、二〇二〇年十二月五日閲覧。
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