第49イヴェ 〈最おし〉案件でのイヴェ納め

 二〇二〇年、令和二年の大晦日に、浅草で催される〈イヤー・エンド・イヴェント〉は、ガールズ・イヴェントであった。つまり、アイドル、ダンス・ユニット、シンガーソング・ライター、そして、アニソンシンガーといったような、様々なジャンルに渡る女性演者だけが出演する対バン・イヴェントなのである。


 これまで、秋人も、幾つかの対バン・イヴェや、フェスに参加した事があり、例えばそれは、声優アーティストとアニソンシンガー、または、アイドルとアイドル声優といった、近接するジャンルの演者の組み合わせであった。しかし、今回のような〈ごった煮〉というか、雑多なジャンルに属する女性演者の〈寄せ集め〉に参加したのは、秋人にとっても初めての体験であった。


 その雑多さゆえに、おそらくは、客層が被る事はないであろう。

 だからなのだが、今回の対バンが、全体的には、一体どのようなイヴェントになるのか、その点に関しては、秋人には全く想像だにできなかった。

 だがしかし、このようなごった煮イヴェントって、演芸の伝統地、いかにも浅草らしい、〈寄席〉集めであるようにも、秋人には思えるのであった。

 また同時に、秋人は、ある意味、今回は、完全なアウェイ〈現場〉になるかもしれない、という懸念も抱いていたのだが、むしろ、このような状況においてこそ、〈最おし〉である真城綾乃(ましろ・あやの)の〈ガチ勢〉は、アウェイ現場とはいえども、会場の雰囲気を作れるように気張らなければならないであろう。


 すでに、イヴェント開催の数日前には、今回のタイム・テーブルが発表されており、秋人の〈最おし〉である真城綾乃こと、〈おしろん〉は、イヴェントの〈トリ〉、すなわち、最終演者を務める事が告知されていた。

 実は、真城は、対バンやフェスにおいて、〈トリ〉を務めた事はなく、そういった意味でも、今回のイヴェで、綾乃の〈ガチ勢〉は頑張らねばならない、と秋人は強く誓ったのであった。


 最初のチケ取りの時に抽選に外れてしまった秋人が手に入れたチケットは、未入金のキャンセルによる再販分だったので、付与された整理番号はあまりよくなかった。入場は整理番号順で為されるので、入場時の秋人は、後方部の座席に身を置かざるを得なかった。

 だが、今回のイヴェは、雑多なジャンルの寄せ集めなので、アニソン界隈のイヴェントでは見かけられないスタイルの〈並行物販〉が行われていた。


 並行物販とは、アイドルなどの対バンでよくあるスタイルなのだが、ライヴの開演前や終演後ではなく、他の出演者が出ている間に、ホワイエで特典会をする事である。

 とまれかくまれ、秋人は、出演順が早めの他の演者のヲタク達が抜けるたびに、少しずつ前方に移ってゆき、トリである〈最おし〉の出演時には、二列目のセンター・エリアにまで移動する事ができたのであった。


 やがて—―

 前四組の演者のパフォーマンスが終わり、秋人の〈最おし〉である真城綾乃の出番が回ってきた。


 このように、二列目という近接した位置から、綾乃を肉眼で視認できるのは、二月のリリース・イヴェント以来である。


 秋人の胸は高鳴っていった。


 そして、 司会の紹介の後にSEが鳴り始めると、そのインストに乗って、真城綾乃がステージに現れた。


 綾乃は、深めのVゾーンの黒い上着を身に纏い、緑のスカートを穿き、厚底靴を履いて、薄めの栗色に髪を染めていたので、秋人は、感染症以前とは、イメージ・チェンジをしたような印象を受けた。


 三十分の持ち時間の中で、歌った曲は五曲であった。

 今回のセット・リストは、アニメのテーマ・ソングだけで構成され、しかも、それらは全て激しい曲ばかりであった。

 これに対して、観客側は、今回のイヴェントでは着座と声出し禁止が義務付けられていた。

 だが、演者からの激しい勢いに反応し、制限された状況下にあっても、頭振り、手振り、手拍子などで、能う限り、演者の歌唱を後〈押し〉したのであった。


              *


 前方に移動した秋人とは違って、冬人は、演者の歌唱と、それを〈押す〉、真城綾乃の〈ガチ勢〉たちの挙動を後方から観察する事にした。


 この日の浅草にいるのは、いわば、大晦日という多忙な時期に、ワンマン・ライヴでもない、数曲だけの対バン・ライヴでの出番の為に、わざわざ足を運んでいるイヴェンターだけなのだ。

 そして、こう言ってはなんだが、真城はトリであるため、他の界隈のヲタクは自主退場するか、後方に下がっていた。その結果、前方は、兄・秋人たち、真城の〈ガチ勢〉だけになっていたのだ。喩えてみると、エスプレッソ・コーヒーのような、〈濃い〉者たちだけで、最前部は固められていた。

 だからこそ、冬人は、ガチ勢とは、いわば、〈訓練されたヲタクたち〉という強い印象を抱いたのである。


 例えば、曲への乗り方が一様で、クラップのタイミング、ヘッドバンキングの回数、ジャンプ・ポイントでは軽く腰を浮かせたり、一体どれほどの〈現場〉を重ねれば、ここまで揃うものなのだろう。

 特に、冬人が感銘を受けたのは、歌詞の中の「君」という箇所で、〈ガチ勢〉が一斉に演者を指刺したり、「手を握り合う」という歌詞の箇所では、掲げた手をぎゅっと握りしめたり、それらは、歌詞を完全に覚えていなければ、不可能であろう挙動だ。

 自分のような〈ライトなヲタク〉は、前方で輝いている、あの白いサイリウムの光の帯の中に入ってはいけない、と冬人は感じたのであった。


              *


 わずか三十分、たった五曲のパフォーマンスで、しかも、着座状態であったのに、秋人の身体は火照り、軽く汗ばむほど、この日のライヴは熱く激しいものであった。


 令和二年は、ほとんど〈最おし〉の〈現場〉がない、まさに受難の一年ではあったのは確かだ。

 だが、この一年の〈おしごと〉を、大晦日の〈最おし〉である真城綾乃の近接ライヴで納めることができて、秋人は、ある種の満足感を覚えていた。


 〈おしごと〉とは、お仕事のことではなく、イヴェンターが行う〈おし活〉の事なのだが、誰が言い始めたのかは定かではないのだが、実に上手い表現である。


 いずれにせよ、パンデミックで満足な活動が出来なかった中での二〇二〇年の〈おしごと〉と、この年の大晦日の〈最おし〉の〈現場〉の事を、秋人はこの先、きっと忘れる事はないであろう。

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