第19話 天魔融合

 ティナがその身に負った宿命。

 グリフィンに体を取り込まれて連れ去られようとしているティナは天国の丘ヘヴンズ・ヒルから切り捨てられることになる。

 運営本部がそれを決めたのは、すでにティナの代わりに天使長にえる人物が決定しているからだという。

 その事実に俺はささくれ立つ気持ちが胸中に渦巻うずまくのを感じていた。


 そんな俺の視線の先ではゾーランが空中で暗幕の帯に捕らわれ、俺と同様に光の槍で胸を串刺しにされている姿があった。

 そのゾーランの向こう側には、メイン・システムを操作しながらやみの宝玉を操るグリフィンの姿が見える。

 グリフィンの頭上に浮かぶ宝玉はすでに直径十数メートルの大きさまでふくれ上がっていた。

 その宝玉からは無数の黒い手が突き出し、ゆらゆらと宙をつかみ取るようなおぞましい動きを見せている。


 グリフィンはあの宝玉にゾーランを食わせるつもりだ。

 地獄の谷ヘル・バレーで現在のナンバーワンと名高い実力者のゾーランをえさとすることで、宝玉は最終段階へ成長を遂げるという。

 俺は塔の外壁に貼られたかがみの前で戦っているゾーラン隊の奴らに向けて声を張り上げた。


「おいてめえら! ゾーランが食われちまうぞ! 何とかしろ!」


 だが俺の声を無視してゾーラン隊の連中は愚直にかがみの前で魔物どもと戦い続けている。

 クソッ!

 テメーらのボスが今にも食われそうなんだぞ。

 命令に従うだけが部下の務めかよ。


 だが、そんな危機にひんしながらゾーランは俺に向かって声を張り上げた。

 暗号言語ではなく共通語で。

 

「バレット! 俺の部下どもは誰ひとりとして持ち場を離れねえよ。それは俺の命令だからってんじゃない。あいつら1人1人が自分の仕事にプライドをかけているからだ。ティナも同じだ。お譲ちゃんが理不尽な運命にもめげずにやっていたのは、プライドかけて使命を果たす覚悟があったからだ。おまえはどうなんだ? バレット。あのインチキ野郎にいいようにやられて、ティナを奪われてそれで終わりか? 情けねえ。俺が目をかけてきた男はそんな程度だったのかよ。あ~あ。ガッカリだぜ。自分の見る目の無さにもな」


 そう言うゾーランの胴を巨大な黒い手がつかむ。

 宝玉がその手でゾーランを引きずり込もうとしていた。

 だがゾーランは一切抵抗することなくニヤリと不敵な笑みを浮かべて言った。


「俺をガッカリさせるなよ。おまえならつかめるはずだ。本当の力をな」


 そのセリフを最後にゾーランはやみの宝玉に食われて消えた。


「ゾーラン……馬鹿野郎!」


 ……くそったれが。

 あいつはいつか俺が倒すはずだったんだ。

 こんな形で消えてんじゃねえぞ。

 本当の力だ?

 またそうやっててめえは俺に見えないものを見させようとしやがるのか。


 俺が怒りと無力感に体を震わせているその時、ゾーランを食らったやみの宝玉が大きく鼓動を響かせた。

 それはまるで心臓が急激に高鳴るかのように速度を上げて連続で続く。

 そして……。


「さらに成長していく……」


 ゾーランを飲み込んだやみの宝玉はその大きさをさらに肥大化させ、それ以上に明らかな変化が生じていた。

 宝玉から突き出していた無数の黒い手が宝玉の中に吸い込まれるようにして消えた。

 そしてそれだけには留まらなかった。


「……風?」


 ふいに微風が俺の髪を揺らし、肌をでる。

 それは徐々に勢いを増し、強風へと変わっていく。

 その風の吹き込む先はやみの宝玉だった。

 その風に引き寄せられて、魔物どもが宝玉の中へと吸い込まれていく。


 そして直轄ちょっかつ部隊の天使や悪魔どもは吸い込まれまいとその場から離脱を試みるが、それをはばむように巨大翼竜の群れが連中を取り囲む。

 その間にもやみの宝玉から吹く風は荒れ狂う暴風と化し、その中で飛行姿勢がうまく取れないまま直轄ちょっかつ部隊の連中は、翼竜どももろとも押し込まれるように宝玉の中に吸い込まれていく。

 その様子を満足げに見ながらグリフィンが言った。


『よく見ておけバレット。破滅のうたげの始まりだ。誰もこの宴席えんせきからは逃れられない。任務に忠実なゾーラン隊の面々ももはやこらえ切れない様子だぞ』


 グリフィンの言葉通り、塔の外壁のかがみの前で魔物どもと戦っていたゾーラン隊の奴らも凶悪な暴風にからめ取られて吸い込まれていく。

 あれだけ腕っぷしの強い猛者もさどもも、まるで成すすべがない。

 先ほどまでこの場にあふれ返っていたNPCたちは天使、悪魔、魔物の区別なく、もうほとんど吸い込まれてしまっていた。

 ただ1人、暴風の影響をまるで受けないグリフィンだけが周囲の惨劇の爪痕つめあと愉悦ゆえつの表情で見渡している。


『素晴らしいショーだろう。バレット。だがまだこれだけでは終わらぬぞ。やみの宝玉が欲するのはちっぽけなキャラクターどもだけではない。この世界そのものだ』


 グリフィンの言葉が示すように、上空の雲や眼下の海水なども次々と宝玉に吸い込まれていく。

 大空は色を失い黒く染まり、海水は枯渇こかつする。

 砂浜や露出した海底、それにフーシェ島の地面はその区別がなくなり、灰色の床と化していく。

 俺の知るゲーム内の景色は様変わりしていき、黒と灰色の無機質な世界が現れた。


『このうたげを特等席で見られたことは、いい冥土めいど土産みやげとなるだろう。バレット。少し早いがそろそろうたげはお開きの時間だ』


 グリフィンがそう言うと俺の胸に突き立っていた光の槍がズズズッと自ら抜けていき、グリフィンの手元へと戻っていく。


「ぐうっ……くはっ! ゴホッ」


 強烈な痛みが胸をさいなみ、口の中に血の味が広がる。

 俺は口内の血反吐ちへどを吐き出すと、歯を食いしばってグリフィンをにらみ付けた。

 だが、光の槍から解放された俺の体は自由を得たものの、やみの宝玉が生み出す暴風にさらわれ、あっという間に制御を失う。

 バグでさんざん痛め付けられた俺は羽を広げることも出来ずに、空中を右往左往しながら宝玉に吸い寄せられていった。


 だが、その途上にはグリフィンの姿がある。

 このままただで吸い込まれてたまるかよ。

 その前にグリフィンの野郎を一発ぶんなぐってやる。


「グリフィィィィン!」


 だが……体に力を入れた途端とたん、俺の胸から大量の血が噴き出した。


「かはっ……」


 胸に刺さっていた光の槍が引き抜かれた後の傷口から、鮮血があふれ出している。

 すでに指に力が入らず、拳を握ることも出来ない。

 不正プログラムによってさんざん痛めつけられた体が限界を迎えていることを如実に表していた。


「くっ……情けねえ。動け……動いてくれ! ゴミみたいな下級種に生まれてゴミみたいに死んでいくのかよ!」


 俺はまともに動かなくなった自分の体に呪詛じゅそのような叱咤しったの声を浴びせる。

 今まで数えきれないほどのケンカをしてきた。

 ズタボロにやられて負けたことだって数知れずだ。

 だが……どんなに一方的に負けようと、いつだって俺は最後まで抵抗をやめなかった。

 こんなふうに何も出来ないまま敗北していくなら……俺は、俺は何のために!


「ちっくしょぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 暴風にあおられてやみの宝玉に吸い込まれていく俺の体はグリフィンのすぐ脇を通り抜けていこうとしている。

 グリフィンの野郎はそれを面白がるようにその顔に冷笑を浮かべて見ていやがる。

 手を伸ばせばそこにグリフィンの野郎がいるってのに、もうそれすらかなわない。

 頭に来るが……俺はここまでか。

 

 そう思ったその時……風に流されていくはずの俺の体が止まった。

 誰かが、誰かが俺の手首を握り締めていたからだ。

 俺は思いもよらないその誰かの姿に思わず目を見張った。


「……ティナ」


 そう。

 宝玉に吸い寄せられていく俺の手首を握って引き留めたのは、グリフィンに取り込まれて人喰い虎チャンパワットの背の上、グリフィンの目の前にたたずむティナだったんだ。

 強制的に堕天使化されたティナの顔色は青白く、生気の感じられない目は俺を見てはいない。

 それでもティナはその小さな手で俺の手首をつかんだまま放さない。


『なっ……馬鹿な』


 唐突なティナの行動にグリフィンは俺以上に驚いて怒声を上げる。


『貴様……あやつり人形の分際で何を勝手なことを!』


 グリフィンはまるで馬の手綱たづなを引くようにティナの髪を引っ張って、その行為をやめさせようとする。

 だが、ティナはかたくなに俺の手を放そうとしない。

 これに激昂げっこうしたグリフィンはティナの後頭部にひじを打ち付けた。


『放せっ! そのクズ悪魔を放すんだティナ! 私の命令が聞けんのか! せっかくえあるこの私のあやつり人形になれたというのに、まだおろかな小娘の意識が残っているのか! 馬鹿めが! 救いようのない能無しの見習いに戻るつもりか!』


 グリフィンは何度も何度もひじをティナの後頭部やこめかみに打ちつけ、ティナの頭からは出血して血がしたたり落ちていく。

 グリフィンに激しい打撃を受けて舞い散るティナの血しぶきが俺の顔に吹き付けてくる。

 俺はグリフィンをにらみつけて怒声を響かせた。


「てめえ! グリフィン! いい加減にしろカスが!」

『ハッ! 悪魔にカス呼ばわりされるとはな。貴様らこそ悪行三昧ざんまいのクズだろうが。クズの分際で天使の小娘をかばうのか? くだらん。本当にくだらん存在だよ貴様らは』


 そう言うとグリフィンはティナの首を背後から締め上げる。

 そしてティナのメイン・システムにアクセスを試みた。

 不正アクセスで再度ティナのプログラムをいじるつもりだ。

 だが、グリフィンは自分の目の前に表示されたコマンドを見て顔をしかめた。


『……なに? アクセス拒否だと? 馬鹿な!』

「ティナ! 俺のことなんてほっとけ! その手でそのクソ野郎の目玉をほじくり出してやれ!」

『おのれっ! さっさとそのゴミ虫を放り出せ!』


 グリフィンはティナの首から手を放すと、光の槍を右手に握り、それを振り下ろした。

 その瞬間、ティナの奴がサッと前傾姿勢を取り、俺の手首を握ったまま、目いっぱい腕を長く伸ばしたんだ。

 するとそんなティナの手首が光の槍の一撃で切断される。

 スッパリと斬られたティナの手は俺の手首をつかんだまま、俺は宙に放り出されてやみの宝玉へと再び吸い寄せられる。


「ばっ……馬鹿野郎ぉぉぉぉぉぉ!」


 俺には分かった。

 グリフィンが切断しようとしたのは俺の腕だったはずだ。

 ティナはそれをかばって自分の手首を切断されたんだ。

 あんな状態だってのに、どこまでお人好しなんだアホめ。


 俺は歯を食いしばるが、支えを失ったこの体はもはや寄る辺もなく、風に舞う木の葉のごとく宙を舞った。

 そして……俺は成すすべなくやみの宝玉の中へと吸い込まれていった。

 すでにどのくらいの大きさになっているのかも分からないほど大きく成長した黒玉に足から吸い込まれた俺は、自分のくつや胴着が溶け始めるのを感じた。

 

 自分が吸い込まれてみて初めて分かった。

 ここに落ちた者の体はやみの宝玉によって完全に分解消去されちまうんだ。

 ゾーランもそうだったんだろう。

 もちろん俺も例外じゃない。

 

 顔を上げるとグリフィンの野郎がいびつな笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。

 そして……グリフィンにやられて血まみれとなったティナの目からは血の混じった涙が流れ落ちていたんだ。

 

「チッ……泣いてんじゃねえよ。ガキめ……」


 そんな光景さえも黒いやみに閉ざされていく。

 俺の体は底なし沼に落ちていくかのようにやみの宝玉の中へと沈み込んでいく。

 最後の時が来た。

 俺は自分の意識がはっきりしているうちに、この手首をつかんだままのティナの手に触れた。

 クリフィンによって手首から切断されたティナの手は、血の気の無い土気色をしている。

 俺はそれを自分の手首から外してそっと握った。

 ティナがどんな気持ちで生きてきたのか、この時になって俺は初めて感じ取ることが出来たんだ。


「ティナ……生き方も死に方も自分で選びたかっただろうよ。そうじゃなきゃ、この世に生まれた甲斐かいがねえよなぁ。だが、自分ではどうすることも出来ないって点じゃ俺もおまえも大して変わらねえ。どうせ俺らはNPCだから。けどよ……この命を最後まで燃やし尽くして戦いたかったぜ」


 そう言った俺は自分が感じている悔しさが、いつもとは異なる類の感情だと気が付いた。

 ケンカに負けてムカつき、復讐を誓ったあの気持ちとは違う。

 もちろんグリフィンの奴をぶっとばしてやりたい。

 だが、それは俺のためだけじゃない。

 理不尽な生き方を強いられ、死に方すら選べないティナの代わりに、グリフィンの野郎をぶっ飛ばしてやりたい。

 ティナの悔しさを晴らすことが、俺のこの胸のムカつきを晴らすことでもあるんだ。

 何とも居心地の悪い奇妙な心持ちだが、それが今の俺の偽らざる心情だった。


 そう思ったその時、ふいに俺は左の太ももに痛みを感じて顔をしかめた。

 先ほどから太ももの傷が熱く痛む時がある。

 一体何なんだ?

 グリフィンの槍でえぐられた左の太ももには、傷当てとして巻いたティナのレッグ・カバーが残されている。

 俺はそのレッグ・カバーを見て思わずまゆひそめた。

 それが今、うっすらと桃色の光を放っていたからだ。

 ……何だ?


 俺は右手に握ったティナの手首を自分の胸に押しつけつつ、左手でレッグ・カバーをずらし痛む傷を見る。

 そして俺は目の当たりにしたんだ。

 太ももに刻まれた傷跡きずあとが痛々しい血の色から温かみのある桃色へと変化していくのを。

 次の瞬間、その俺の太ももにコマンド・ウインドウが記された。

 そこにはこう表示されていたんだ。


【パスワードを入力して下さい】


 ……俺にまだ逆転の目が残されているってのか。

 それが本当に細い糸だったとしても、この命を最後まで燃やし尽くすチャンスが目の前にあるのだとしたら……。


「俺は手を伸ばすだけだ。この命が欠片かけらも残らなくなるその瞬間まで、戦い続けるだけだ!」


 俺は一も二もなくすぐに頭に浮かんだワードを入力した。


【HARMONY】

【パスワードを認証いたしました。コード管理者:ティナ・ミュールフェルト。天魔融合プログラムのインストールを開始いたします】


 その表示を理解する間もなく、俺が自分の胸に押し付けていたティナの手首が……グリフィンの光の槍に貫かれた俺の胸の傷口に吸い込まれていったんだ。

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