DOOR THREE 開かれた扉
わたしが死んだのは三十七歳の冬。幼い頃からずっとずっと勉強をして、二十二歳で教師になって、それから十五年ずっと身を粉にして働いてきたわたしは、生徒に殺された。
普段から憎まれ役を買っていたけど、まさか殺されるほど憎まれていたとは、思っていなかった――教師に対して殺すほどの憎しみを持つ生徒がいるなんて、思ってもみなかった。
二月の初旬だった、と思う。本当に昔のことだから日付は覚えていない。でも感情は全て覚えている。わたしは風邪を引いていた。少し熱もあった。それでも仕事はしないといけなかった。部活が終わるような時間帯になると、薬の効き目も切れて、熱は上がったし咳もたくさん出た。喉が痛くて洟も出ていた。生徒には極力うつさないよう距離をとっていたけれど、どうだかなあ、と思っていた。
中庭を歩いていた。池があった。二月の凍えるような寒さのなかで眺める水面は、ともすればマグマの海のように恐ろしく、薄暗いものに見えた。
校舎の傍にいたのがよくなかったのだろうか。わたしは窓から降り注いだバケツひとつぶんの冷たい水を、そのまま浴びてしまった。冷たいというか、痛かった。心臓が停まるかと思った。生徒の悪戯だろうか、と不良生徒の顔を思い浮かべながら上を見上げた。
そのせいでわたしは、背後からやってきた生徒に気がつかなかった。背負い投げかな? わたしは池に投げ込まれた。
ああ死ぬ、死ぬ、寒い、服が重い、冷たい、心臓がドキドキとする、寒い、死ぬ、殺される。
助かりたくて池の岸に手をかけた。でも駄目だった。両手首が柔道着の帯らしきものであっという間に縛り上げられ、頭を蹴り飛ばされてしまった。
意識が薄れていった。いま思うと浅い池だったはずなのに、わたしは立ち上がれなかった。深い深い深海にいるような覚束なさのなか、わたしは眠ってしまった。
「本当にお辛かったですね」僕は目の前の女性に言った。「あなたは何も悪くないし、どこかが悪かったとしても、そんな目に遭っていいはずがなかったのに。僕もすごく悲しい気持ちです」
「ありがとうございます……本当に、誰かに聞いてほしくて、そんな風に慰めてもらいたくて……でも、誰に言っても、死んじゃって、辛くて」
「あなたは悪くありません。あなたは何も悪くない」
僕は女性が泣き止むのを待って、念仏を唱える。すっきりしたような表情で、彼女は成仏していく。
ふう。
「お疲れ様です」襖が開いて、着物の男性が出てくる。加藤さん。「休憩に致しましょう」
「ありがとうございます。そうしましょう」
僕は汗だくになった身体を布で拭いて、衣装を交換する。窓の外の枯れ木を眺めながら、熱い茶を啜る。
「それにしても」加藤さんが僕の傍らに座って、少し心配そうな顔で言う。「ここ最近、働きすぎではないですか」
「仕方がありませんよ。幽霊達の間でじわじわと名前が広がって、こうして戸を叩いてくれるからには、バリバリやって印象をよくしないといけませんから」
「そうですが、やはり、精神的負担が大きいと、もしかしたら……」
「耐えるために、修行を積んできたのですよ」
そう言いつつ、確かにそろそろセーブしていかないとな、と僕は思った。普通の人なら死んでいるようなことを、鍛えた精神力でどうにかこなしているだけなのだから。
そもそも歳も積まれている。油断していたら、ストレスでいつ死んだっておかしくない。
田家達や、多摩奈さんのように。
恋川中学校で田家達がゴミの部屋で自殺していたのは明らかに怪談の『幽霊ことば』のせいだ。
では『幽霊ことば』とはなんなのだろう? 僕の友人達はどういう仕組みによって亡くなったのか?
幽霊の発する言葉そのものが『幽霊ことば』であり、それを聞くと発狂し自害に至る。そういう仕組みなのだろうと死後すぐ解釈し取り敢えずの納得をしたが、それは高校二年生の夏には脆く瓦解した。
その原因は多摩奈さんと『吉田慎太郎』である。
多摩奈さんは『慎太郎』と自然に会話をしていた。僕自身、『慎太郎』との会話は何事もなく行えた。つまり幽霊の言葉そのものが『幽霊ことば』という訳ではないのだ。
となると可能性はふたつだ。恋川中学校の幽霊のみが人を狂わせる『幽霊ことば』が使える可能性、それから、幽霊の言葉全てが『幽霊ことば』であるという可能性。
前者を証明するにしても後者を証明するにしても、僕は『慎太郎』について調べあげる必要があった。『慎太郎』が『幽霊ことば』を使えるかどうかを知る必要があった。
喜井黙公園に現れ、多摩奈さんを慰めた、中学生くらいに見える吉田慎太郎。喜井黙公園で何か、『慎太郎』が居着くだけの何かが起こっていたのではないかと思ってインターネットのニュースサイトやまとめサイトを洗った。
結果としては、喜井黙公園では吉田慎太郎という名前の死人が出た事件はなかった。しかしながら、喜井黙公園の怪談と呼ぶべき現象はどうやら起こっていたようだった――調べた当時から十年ほど前、喜井黙公園らしき場所で、足のない男の子に声をかけられたと書いているブログ、怪談BBSの書き込みがいくつかあったのだ。なかには声かけ事案として扱われているものもあった――小学生からすれば十分大人なのだろう。
そしてそのどれもが、
「ねえ、俺が死んだときの話聞きたい?」
と言われ、怖くなって逃げたという報告。記憶で書いているからだろう、表記揺れや単語抜けもちらほら見られるが、恐らくは同じ男の子からだ――『慎太郎』。
報告者達に共通する点は、その問いかけにイエスと答えずに逃げたというところだ。そして多摩奈さんも《いいや? 聞きたくないって言った。そしたら慎太郎、こっちの話を聞いて、慰めてくれたんだよ》と言っていた。
じゃあ、もしも聞いていたらどうなっていたのか?
聞いた結果が『幽霊ことば』なのだとしたら?
僕は再び、今度は吉田慎太郎に拘らずに喜井黙公園での死亡事件を調べた。インターネットだけではなく、図書館で昔の新聞や怪死を纏めた書籍にあたった。すると一件、喜井黙公園のトイレで不可解な死が起こったとする記事が出てきた。
その高校生は、深夜の公園トイレの傍で、便座に座ったまま溺死をしたらしい。
もちろん、洪水が起こっていた訳ではなく、ただただ、溺死と思われる状態で発見されたそうだ。
溺死? どういうことだろう?
僕の推理はそこで止まった。気が狂って自殺をするんじゃないのか? トイレの手洗い場の水で頑張って溺れたとでも? それならば、手洗い場で死んでいるべきじゃないのか?
警察は、どこかで溺死させられたのちにトイレの傍に放置されたという見方で捜査を進めたが、その痕跡もまったくなかったようで――ついに、迷宮入りへと至ったらしい。
でもそれが『慎太郎』と関係があるのか? と言われると何も言えなくなる。何せ幽霊が実在するようなこの世だ、まったく別の構造の怪奇現象があってもおかしくはない。その高校生が『慎太郎』に出会ったかどうか解らない限りは、『慎太郎』を疑う訳にはいかない。
そんな風に悩みつつ僕は、より霊的存在を理解するために、高校卒業後は叔父の寺院に行くことに決めた。いわゆる出家である。他にやりたいことがある訳でもなかったから、僧侶として生きていくのもいいと思った。高校三年生の夏休みが終わる頃、多摩奈さんにそれとなく報告すると、驚きながら「頑張ってね」と言ってくれた。
ついでに『慎太郎』と出会った時期を訊き、家に帰って確認してみると、公園で「ねえ、俺が死んだときの話聞きたい?」と訊かれたという報告が書き込まれなくなったのはちょうど、その時期からだった。
僕は、やはり独りで考えているより多摩奈さんから話を聞いたほうがいいんじゃないか、いやいっそ『慎太郎』からの聴取をしたらいいんじゃないか、と活路が見えた喜びで浮き足立っていた。
その日の夜に多摩奈さんが喜井黙公園のトイレで溺死してしまうだなんて、まったく考えていなかった。
人が突然死んでしまうことなんて、在り来たりなほど当然の話なのに。
その報せを学校で受けた夜、喜井黙公園に立ち寄った。『慎太郎』はそこにいた。僕を見て、
「ねえ、俺が死んだときの話聞きたい?」
と言った。
僕は彼を睨んで、深呼吸をして、それから言った。
「多摩奈さんにもその話を聞かせたのか」
「解らない」と『慎太郎』は言った。「タマナが誰なのかも解らない。でも、でも、ただ、ただ、この話を聞いてくれた人はいないんだ。俺の話を聞いてくれた人はいないんだ。いないんだ。なあ、お前は聞きたい?」
「聞きたくない」僕は言った。「どうせ、苦しむんだろう。溺れて死ぬんだろう」
「おぼれてしぬ、溺れて死ぬ? なんで」彼は不思議そうに言った。「なんで俺の死にかたを知っているんだ。お前」
いま思うと、全てが繋がっているように見えていただけであって、推理とするには瑕疵のあるものばかりだと思うけれど――それでも、あのとき僕は正解に辿り着いた。
つまり『幽霊ことば』は幽霊による死因語りであり、それを聞いた者は同じ苦しみを味わうことになる。
溺れて死んだ『慎太郎』の話を聞けば息が出来なくなり体温が下がり死ぬ。
恋川中学校の幽霊の『幽霊ことば』を聞いたなら、三姉妹が遭った暴行、身体の発達に合わない強引な性行為による苦しみ、そして焼却炉で焼かれる痛みと温度を感じることになる。
確かに、そのストレスがあるなら気色悪さなどから身体を掻きむしったり、ショック死をしたり、地獄の苦痛から逃れるために自分の首を絞めてしまうかもしれないし、遺体だけを見たらそんな感覚を味わっていたとは思わないだろうから――発狂して自殺をしたと思われてもおかしくはないか。
どうして幽霊は『幽霊ことば』を聞かせるのか?
生者に恨みがあるから?
違う。もしもそうなら、『慎太郎』が優しい瞳で見ていた多摩奈さんに聞かせるとは思えない。
そもそも他人をどうこうするためじゃないのだ。ただ、自分の気持ちをどうにかしてほしいのだ。自分がどんな風に苦しんで死んだのか、誰かに打ち明けて、慰めてほしいのだ。
本当に辛くてしんどかった記憶の話を、誰かに聞いてほしいのだ。
生者と同じように、そうしてスッキリしたかったのである。
でも、伝わってほしいという気持ちが強すぎるのか、薄っぺらく聞き流してほしくないのか、幽霊は実際に感覚の追体験までさせてしまうようで――映画などでシーンに合わせて椅子を揺らしたりするみたいに、全力で体感させ、理解できるように伝えてしまう。
そして、生者が死をそのまま体験するとなると、どうしてもストレスで狂ってしまったり、ショックで死んでしまったりするし、呼吸ができない感覚のせいで窒息死もする。体温も下がる。
それが『幽霊ことば』の正体であり、原因だ。
幽霊達はただ心の扉を惜しみなく開いただけで、聞き手が返事もできずに死んでしまうことは本望ではなかったのだろう。
幽霊同士で慰め合えば解決するのではないか? と僕はまず思ったが、聞くところによるとそう上手くはいかないらしい。
負のマウンティング、というのか。
それは辛かったね、まあ自分のほうがもっと辛かったけどね。
と返され、矮小化のようなことをされて、よりフラストレーションが溜まることも多いようだ――幽霊同士だと追体験も起こらない、というのも理由としてあるのだろうか。
だから、追体験をして、心から慰めることのできる、人間の聞き手が必要だ。
僕がそれになろう。
そう思い立った僕は、寺院で精神力を鍛える厳しい修行をこなした。長年取り組んだ甲斐あって、普通の人よりも強いメンタルを手に入れた。その精神力を駆使して、各国を行脚し幽霊達の話を聞き、満足させ、成仏に至らせてきた。
その行脚も一年前の話で、最近はそこで上げた知名度(幽霊にも口コミがあるらしい?)によって幽霊達のほうから訪問してくれるので、住職として寺に住み込み、先程のように話を聞く活動をしている。僕のメンタルも無限ではないので、一日の件数には限りがあるが、それでもだんだんとこなせる数が多くなってきている。
今日も、あとひとりくらいなら頑張れそうだ……。
「間仲住職」加藤さんが襖を開ける。「お客様がお越しです」
「ああ」お客様とは幽霊のことだ。「次で今日は終わりにしますよ」
「三人組でいらっしゃいますが、大丈夫ですか」
「三人組、ですか」僕は少し考えて、やるしかないか、と腹を決める。「どうぞ」
三人の女性が部屋に入ってくる――みな幼い。小学生くらいだ。顔が似ているが、姉妹なのだろうか。
もしかしたら、と僕は思う。もしかしたら。
もしもそうなら、なんだか皮肉だ。僕は結局のところ、あの怪談から、あの幽霊からは逃げ切ることはできなかったということなのだから。
むろん、それは僕にとって不幸ではない。より多くの幽霊を満足させ成仏させるのが僕の使命なのだから、これが不幸であろうはずがない。大丈夫だ。僕はきっと耐えられる。
と、勝手に覚悟をして姿勢を正してみるけれど、よく考えてみたら、そういうのもよい姿勢ではない。まだ僕の思っている幽霊だと決まった訳じゃない。会ったばかりの人を前に、先入観を以て挑むような気合いで迎えるなんて、それじゃあ対決だ。
僕は対決じゃなくて対話をするのだ。
応対でもするように――相手の話を聞くのである。
ふむ。ならば敢えてリラックスをしよう。お茶菓子を持ってきて、ゆっくりと和やかな雰囲気で、繊細に傷ついた幽霊達の心の扉を開いていこうじゃないか。
だからほら、まずはそこに座って。
緊張しないで。
本題に入るのはいつでもいいから、好きに喋ってみてほしい。
どれだけかかったって構わないよ――だって。
僕は君の話を聞くために、ここにいるんだから。
了
DOOR 名南奈美 @myjm_myjm
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