第8話

「カチュア。

 ここが君のための離宮だ。

 君に仕える侍女達は、数は少ないが私が選び抜いた者達だ。

 何も心配する事はないからな」


 ウィントン大公アレサンドは、心から慈愛の籠った言葉をかける。

 だがその言葉も、今のカチュアには届かない。

 聞こえていないわけではない。

 意味が理解できない訳でもない。

 だが、今迄の地獄のような日々では、与えられたモノは必ず奪われるか壊された。


 おもちゃも菓子も服も、与えられ喜びの表情を浮かべたら、取り上げられた。

 取り上げられるだけではなく、眼を離したら完膚なきまで破壊されるのだ。

 カチュアが一番辛く心を手放す直接の原因となったのが、与えられた子犬が頭を潰されて殺されていた時だった。

 その時は特に酷く、与えて直ぐに殺すのではなく、子犬がカチュアに懐き、カチュアが子犬に心を開いた頃合いを見て殺すという、悪逆非道の極みだった。


「カチュア様。

 どうかこちらに。

 立ったままではお疲れになります」


 ウィントン大公アレサンドは侍女一人一人の仕草、言葉遣い、目配りまで厳しい視線を向けてチェックしていた。

 アレサンドは、最初に用意していた侍女の大半を役目替えして、自身が心から信頼している女だけをカチュアに付けた。

 当然の事だが、人質の人間を世話する次女と、大公のつがいに仕える侍女では、身元調査の基準が天と地ほど違うのだ。


「アレサンド様。

 部屋着に着替えてきてくださいますか。

 その間にカチュア様にも部屋着に着替えていただきます。

 この服装はあまりに負担でございます」


 アレサンドの乳母マリアムが、アレサンドに提案した。

 アレサンドが心底信頼できる女性となると、その筆頭は、その乳で自分を育ててくれた乳母になるのは当然だった。

 あまりに突然な願いを言えるのも、乳母マリアムだけだった。

 だからこそ、乳母マリアムの提案に逆らうことなどできない。


 それでもつがいの呪縛だろうか。

 アレサンドはその場を立ち去るのに躊躇した。

 躊躇するアレサンドに、マリアムは絶妙な言葉をかける。


「アレサンド様。

 アレサンド様が柔らかな部屋着に着替えてくださったら、カチュア様を膝枕して差し上げることができますよ。

 カチュア様は肉親の情が薄いと聞いております。

 昔私がアレサンド様にして差し上げたように、今度はアレサンド様がカチュア嬢に膝枕をして差し上げたらどうですか?

 私はその間にカチュア様の報告書を読ませていただきます」


「そうか!

 そうだな!

 急いで着替えてくる。

 その間にカチュアも安らげる部屋着に着替えさせてやってくれ。

 ああ、マリアムが膝枕をするのは禁止だ!

 カチュアに人生最初の膝枕をしてやるのは私だ!」

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