第19話 ……目立たないって難しい②
「お父さん、どうして……?」
どうして、お母さんばかりなの? 私は、要らない子だったの?
私を産んで、体が弱くなったから? 私が生まれたから、お母さんは早く死んじゃったの?
だから、私の事は嫌いだったの?
訊いても答えはないと解ってても、あの日以来どうしても、何度も繰り返して訊いてしまう。
それでも、やはり父の姿はいつも背中だった。
父が私の名を呼んだことが殆どなく、覚えてないのではないかと心配するのと同じように、私も、父の笑顔がどんなだったか、思い出せない。
「今は手が放せないから、あちらで好きにしてなさい」
シャツの裾を引く私に言い放った父の言葉。
「頼むから、あちらでいつものように本でも読んで大人しくしててくれ」
母の病室で、パイプ椅子に腰を下ろし、頭を抱えるようにして項垂れる父の背に、声をかけようとして追い払われた時の父の言葉。
特別邪険にしてるとか、機嫌が悪くて当たっているとか、冷遇しているとかって言うのではなく、これがいつもの自然な父との会話だった。
「お父さん、本当は私の事、嫌いだったの? 要らない子だったの?」
それを声に出して訊いてみたことは、ついぞなかった。
訊いたら終わりだと思ったから。
訊いてしまったら、家族という形が壊れてしまうと思ったから。
だから、私は、父の言うように、邪魔にならないように、与えられたお小遣いで買える限りの本を読み、具合のよくない母の代わりに家事をして、少しでも必要とされたかった。
でも、もうそんな努力は必要なくなってしまったけど……
* * * * *
ヒヨドリが鳴いてる。ヒ~ヨヨ、ヒ~ヨヨ。明け方なのかな?
チューハチュハチュハチュハ。
チーィチチーィチチーィチ。
チーフィチピピピチチピピピピ……
ヒタキや四十雀、コマドリなんかもいるの? 可愛い姿、観れるかな。
目を覚まして、最初に見たもの。
白い天井。ペーパークロスでも合板でもない。石膏かな? コンクリートとはちょっと違うみたい。
「え……どこ?」
「わたしの寝室だね。起きたかい? シオリ」
なんだかハリウッドスターみたいに、そんなに美形やハンサムって訳でもなくても、どこか目をひくような印象的な、金髪と青銀の眼が爽やかな外人が側にいる……居ル?
「え? ……誰?」
「おやおや、昨夜の事は忘れてしまったのかな。オニーサン、寂しいな」
日本語上手だな。移住して長い人かな……な?
急に頭がハッキリして大慌てで飛び起きる。
クイーンサイズの、私が3人寝ても余裕ある幅広いベッド。
天蓋はついてなかった。
「え……と。カインハウザー様?」
「頭も起きてきたようだね。よかった。忘れられたのかと焦ったよ」
「いえ、そんな、恩人を忘れたりしません。すみません、寝惚けてました」
「目が覚めたら何もかも忘れてしまうほど、心に傷を負って嫌われてしまったのかと思ったよ。
昨夜は失礼したね。もう、許可なく湯殿には立ち入らないと誓うよ」
顔に急速に熱が集まるのがわかる。手も右手だけ熱い。……右手だけ?
見ると、右手はカインハウザー様の大きな手に覆われるように、握られていた。強くなく、かといってすっと抜き取るには動かない程度の力で。
「熱にうかされて、よくない夢を見てたようで、少し
カインハウザー様の後ろから、リリティスさんが顔を出し、私の手を握るカインハウザー様の手をペシッとはたく。
「すみません、ご心配をおかけしてしまって……大丈夫です」
カインハウザー様は、傷ましげなお顔で、右手は私の右手を握ったまま、左手の人差し指の背で、私の頰をすっと引くように撫でる。
「まだ涙が。よほどつらい夢だったんだね」
お父さんの夢は、事故以来毎日のように見る。もう慣れたと思ったけど……
改めて周りを見てみると、明るい窓際に巨大なベッド。現代のもののようにスプリングは効いてないけど、マットレスの中は上等な詰め物のようで、体も一晩でスッキリしている。筋肉痛になるかと思ったけど。
真綿のつるやかな掛布も滑らかで温かくて、絹って素敵♡と改めて感じる。素肌に滑らせてみたい。
調度品も、飴色の木工品で、落ち着いたお部屋だった。
「えと、ここは、カインハウザー様の寝室で? どうして私がカインハウザー様のベッドに?
昨夜はちゃんとおやすみになられたのですか?」
「自分が倒れたのに、わたしの心配をしてくれるのかい? 優しい子だね。大丈夫、仕事をしながら君の様子を見て、それでもキリがついたらちゃんと休んだよ」
「看病させてしまったのですか?」
「解熱剤を飲ませたり、夜着に着替えさせたのは、私とメイドよ?
「そ……!」
「それだって、一の刻頃には休まれて、後はメイドが交代で看てたわ」
華麗にウインクするリリティスさん。
それでも……!!
「ベッドを占拠してしまって……!! 私なんか、床に転がしておいてくれれば……」
「シオリ」
それまでの柔らかい感じの言葉とは違って、ただゆっくりと名前を呼んだだけなのに、硬くて冷たい感じの声だった。鬼将軍と呼ばれてた頃はずっとこうだったのかな。
「君は、わたしが年端もいかない少女を床に転がして、自分はゆっくりベッドで眠るような男だと?」
「いいえ、そうではなくて……!!」
「君がそう思ってないのは解る。が、同じ事だよ。君がわたしに床に転がせと望むのはそういう事だ。わたしに、そういう男になれと言っているのだよ」
「ちっ、ちが……」
ポロッと零れた涙を、温かい大きな手の金星丘から地丘にかけてでぐいっと拭い、カインハウザー様は、私の左手を寄せて握っていた右手に重ねて、纏めて覆うように両手で、痛くない程度に力を込めて握り締める。
「詳しくは知らないが、育ちから自分を低く扱うのは、昨日の様子で解っているよ。
だがね、そういうのはもうやめなさい。もっと自分を大切にしなさい。君が君を大切にしてあげないと、せっかく生まれてきた君が可哀想だろう?」
一転、柔らかい声で、優しく諭すように言って聞かせてくれる。
せっかく生まれてきた私が可哀想? もっと大切にしてあげろ?
もしかしたら、初めてかもしれない……そんな風に言って貰うの。
たぶん、記憶にないほど小さい頃は、お母さんはそんな風に言ってくれてたのだと思う。他人にはそういう考え方出来るのだから、素地はあるはず。でも、お母さんがつらそうにしていて、お父さんはお母さんにかかりきりで、私は、誰からも相手にされなくなって……相手を思いやるのと同じくらい自分を大切にするという基本は、忘れてしまっていた。
後から後から、熱いものが流れて止めどなく流れて、声も震えて喉の奥が詰まったようになって、硝子の壁の流水越しに向こうを見てるようで、よく見えない。
「ふ……うっ、クッ……」
甘えた小さい子のように上手く泣けず、汚いすすり声がもれるばかり。
カインハウザー様は目尻を下げて微笑まれ、
「いいね? 私やリリティスを気遣うのと同じかそれ以上に、自分を大切にしてあげるんだよ?」
私の手を纏めて包み持っていた片手を、私の背中に回してそっと抱き寄せ、腕で背を支えながら頭を撫でてくれた。
お父さんとは違う。
お父さんより力強い腕。
お父さんより厚くて温かい胸。
お父さんより大きくて硬く、でも優しい掌。
昨日まで知らなかった人なのに。こんなに気を許して、泣き顔を見られても逃げ出したくならないなんてこと、あるんだ。
* * * * *
ティッシュペーパーがない世界、リリティスさんに手渡されたのは薄手の手拭いでした。
「さあ、泣いたら体力使うでしょう? 朝食にしましょう」
この部屋とリリティスさんの主人なのにカインハウザー様が追い出され、柔らかい木綿のワンピースに着替えると、にこやかにリリティスさんに促され、昨夜食事を摂った食堂へ移動する。
街並みや人々の様子は古代~中世ヨーロッパ風だけど、食事も西洋風かと思ったら、わりと無国籍風でした。いや、私がそんなに外国の食事に詳しくないだけかな?
蒸したジャガイモを潰して他の野菜と和えた、ポテトサラダっぽい主食と、大きめに切った温野菜のサラダ。昨日の猪肉かな?の薄切りの入ったスープ。
「朝からしっかり食べられるんですね?」
「そうかな? 朝と昼はしっかり摂らないと、働けないし体が保たないだろう?」
そこは元軍人さんなのね。
「でも、どうして私がカインハウザー様のお部屋に? これだけ広いお屋敷なら、客間でも納戸でも……」
「こら。女性を物置部屋に寝かせる訳ないだろう。そういうのはナシって約束したね?」
「……はい。すみません」
ニッコリ笑うが、ちょっと圧を感じる。
「あ、あの、今のは私が悪かったので、カインハウザー様を叱らないでください」
小さく抗議すると、驚いた顔で、リリティスさんがこちらを見る。
「ハハハ。なんとも心強い、しかも可愛い、初めての味方が出来たな。みんな、いつもリリティスの味方なんだよ。冷たいねぇ」
本当にこの主従関係は良く解らない。
「君が私の部屋に泊められた理由、だったかな。簡単だよ。
まず、私の目の届く範囲である事。
これは、よく言えば保護の意味でもあり、悪く言えば監視の意味もある。
真実の精霊の判定もあるから、君の言葉を信用していないわけではないのだけどね。
しかも、君は、かなり神殿関係者の目を気にしていたから、周りからの隠蔽の意味もある。
領主の部屋に、許可なく踏み込む輩は、国王の勅書を持った上層のお役人くらいだろう?」
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次回、Ⅰ.納得がいきません
20.ここはどこ? 目立たないって難しい③
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