第79話 火蓋

 昨夜の不在を詫び、立候補の意志を伝える挨拶で、会合は始まった。

 挨拶はひどいものだった。昨夜の内容を聞かされていないために悪い想像ばかりがふくらみ、重苦しい場の雰囲気に飲まれた。

 途中で何を話すのかを忘れ、心臓が激しく脈打ち始めた。周りから見えないように、演説用のメモをポケットから取り出して握り締める。だが、手のひらを開くことができず、何の役にも立たなかった。隣でうつむきながら座る父が、「焦らんでもいい。落ち着け」とささやいた。

「わだかまりなく応援してもらうために、お集まりの皆さんにはこの場で言いたいことをすべて話していただきたいと思います」

 副区長が、口火を切った。副区長は教師を定年後、新たにこの町に転入してきた人で、古いしがらみのない中立的な立場である。今晩の会議の前、父に「ともかくも我慢してくれるように」と話していたそうだ。

 議題はすべて、前回の選挙のことだった。

 父の又いとこが、落選確定後、事務所に挨拶に来なかったことを責めた。この人は遠いながらも親戚であり、選対本部の責任者の一人であった。事務局長だった父のいとこが判断して、事務所に来ないほうがいいと自宅に連絡した事情を、その場に居合わせて知っているはずだった。

 他の人からは、僕が星天堂など市の活動ばかりに参加して、町内の活動に顔を出さないという批判が出た。

 前区長の奥さんである婦人会会長は、

「前回は、うちの人も区長としてお手伝いさせてもらったけど、あんな選挙運動はただのお祭り騒ぎや。候補者は足引きずって、母ちゃんの肩につかまって歩くんやし。みっともない」

 と大声を上げ、言いたいことだけ言い終えるとすぐ、

「用事があるので、これで失礼します」

 とそそくさと帰っていった。

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