第45話 悪魔の微笑み

 その後、彼女との付き合いは、候補者と支持者の関係というより、親しい友人と呼べるものになっていた。仕事の終わるのを待って夜のドライブに出かけたり、幼稚園が夏休みに入ると、昼の小一時間ほど店を母に任せ、喫茶店で会ったりした。選挙をきっかけに卒業アルバムから現れた女性は、いつしか現実の肉体を持つ存在へと変わっていった。

 しかし、何度か会うことで彼女の存在感が強まるにつれて、彼女が「友達」と呼んだ人の存在もまた実体化してきていた。今では、はっきりと「彼氏」であることを認めていた。

 土日に彼氏と会うため、僕と会う時間は平日に限定されていた。土曜の昼に会うと、これからその人の部屋に料理を作りに行くから、あまり時間がないと腕時計に視線を落とす。

 時間つなぎのような存在の軽さは、天秤にかけるまでもなく明らかだ。その上、こちらの気持ちを試すように、「倉知君だったら何が食べたい」と問いかける。そのときの微笑みは、恋愛に手馴れた悪魔のようであり、また自らの欲求に忠実な、純真ないたずらっ子のようにも見えた。

「香山さんの作ってくれるものなら何でもいいよ」と切り返し、悪魔の微笑みに精一杯の抵抗を試みたつもりだったが、案外この答えは彼女の心に一撃を加えたのかもしれない。笑みを失った美しい彫像のように、彼女は大きな瞳で僕を見つめていた。しかし、真剣な眼差しの奥にある気持ちまでは測りかねた。

 恋人のもとへ向かう彼女を見送り、手を振る心は重く苦しく、今にも胸が押し潰されそうだった。次の約束に期待しながらも、これが最後の別れであるなら、きっとこの重圧感から解放されるのだろうと考えていた。

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