第48話 人の名

 ラビィ・ヒースフェン。


 聖女と呼ばれる恐ろしい生き物に操られ、長年戦い続けてきた哀れな少女。その姿は小さくて、可愛らしくて、健気で、とっても繊細で――――





「噂が、重い!!!!」



 ラビィは叫んだ。

 掌返しも、大概にしましょう。





 ***





 あのとき崩れ落ちたネルラは、混乱の中取り抑えられた。ラビィが三番目の聖女から手紙とともに贈られた魔法を使った影響で、あの場にいた誰もが少なからず混乱していた。わけもわからず、しっちゃかめっちゃかとなったとき、最後に強烈な記憶として残ったことは、『なにかすごいものを見たような気がする』ということだった。



 それからどんどんと噂が広まり、悲劇の令嬢として、ラビィは世間の人々を騒がせることとなった。


 今まで悪名ばかりを轟かせていたので、正直なところ違和感しかない上に、なにやら背筋が寒々しい。様々な人に声をかけられて、わけもわからず称賛されて、中にはその反対の行動を行う人間までもいた。ちなみにバルドとの婚約は、ラビィがヒースフェン家に軟禁されていた間どさくさに紛れて解消されていたらしく、今現在はすっかり自由の身だ。たまにはネルラもいい仕事をする。





 ――――聖女と言えば、この国の絶対的な象徴である。


 例え魔法が解けたとしても、隷従の力の存在など絶対に信じるものかと主張する強硬派は数多くいる。けれどもラビィにとって、そんなことはどうでもいいことだ。彼女にできることは、全て終了した。そのつもりなのだが。



「……姉上、またこちらにいらっしゃるのですか」

「あらフェル。高等部まで迎えに来てくれたの?」



 すっかり本の虫となってしまったラビィを呆れた顔で図書室まで迎えに来てくれたのは弟だった。家族とは少しずつ関係性を取り戻すことができた。とは言っても、フェル以外の父母とは未だに気まずいし、うまく会話を重ねることができない。互いに、様々な葛藤があるのだ。



 原作での彼らは、ラビィを見殺す。そして、過去のラビィをいないものとして扱ってきた。けれども、彼らは父と母という役割以外にも、公爵家という立場を守っている。彼ら自身も被害者の一人であるとラビィは認識してはいるが、そう簡単に説明できるものでもなかった。距離を探り合って、恐る恐る相対しているのが現状で、腹を割って話し合うことができるのは、ずっと先の未来になりそうだ。仕方のないことなのだが。



「もう中庭には行かれないのですか?」

「そうねえ。魚につつかれる自分の髪を見るのも、なんだか気分が悪いしね」



 ちなみにラビィの媒体である髪はそろそろ消え失せて、すっかり効力もなくなっている頃だろうか。何にせよ、魔法には縁がない体である。「それに筋トレは、堂々と部屋でできるし」「きんとれ……?」 フェルが不思議に舌の上で言葉をのせた。この世界に筋トレという言葉はない。ちなみにもちろんヨガもない。



「まあ、色々とすることがあるの。申し訳ないけれど、先に帰っておいてもらえるかしら」

「それは構いませんが。また馬車を寄越しておきます」

「ありがとう」



 どういたしましてとへにゃりと笑うフェルを見ると、妙に気持ちが幼くなった。まるで小さな彼の姿を見ているようだ。



 すっかり学舎の中はオレンジ色の光でとろけていた。調べ物も、丁度終わった頃合いだ。




 ゆっくりと、ラビィは回廊を歩いていた。窓から映り込む夕日が溶け込み、ラビィは僅かに瞳を細めた。そうすると、一人の少年が窓枠に手をつきながら、外を眺めていた。真っ赤な髪だ。彼はすぐさまラビィに気づき、細い目尻を緩めて頭を下げた。



「……あなた、ユマン・ルプレノン、だったかしら。お久しぶりね」

「ああ、覚えていてくださいましたか。光栄です」



 少年が出した片手に、ラビィが反応することはなかった。ユマンは少しばかり口の端を上げて、手のひらをもとにもどした。



 ユマン・ルプレノン。


 ゲームに出てくることはなかったが、おそらくラビィと手を組み、ネルラをいじめている“ふり”をしていた少年。そしてラビィを見捨てて逃げ出し、陥れたものだ。


 ネルラにどう言いくるめられたのか知らないが、今回のユマンはネルラを嫌っているそぶりをつくって、ラビィに接触した。その体裁を崩すつもりはないらしく、少年は大げさなほどに両手を打って、ラビィをたたえた。



「噂はお聞き致しました。あの忌々しい女を退治なさったとかで! まったく、すばらしい!」



 ぱちぱち、とひどく空っぽに響く拍手に、「どうも」とラビィは興味がなさげにそっぽを向いて返事をした。そうして、しばらく窓の外を見つめたあと、ユマンと少し世間話をすることにした。



「ネルラは、裁判にかけられるそうよ。結果はまだ出てはいないけれど、現在は調査を行っている最中ときいたわ」

「なるほどなるほど。あの悪女なら、叩けばいくらでも埃が出てくるでしょうからね」



 ユマンはラビィに相槌を打った。ラビィは気にせず続けた。



「ネルラは、ハリィ家の実子ということで引き取られたけれど、実際はただの孤児だったらしいわ。ハリィ家に訪れてみれば使用人も誰もいなくて、もぬけの殻だったそうなの」



 不思議な話だ。一体、彼女の親を偽ってネルラを連れ出したものは誰なのか。ハリィ家とは、一体なにものなのか。いやそもそも、彼女に聖女であると、そして魔力の扱いを教えたものは、“誰”なのか。



 考えてみれば、様々な疑問はつきない。ネルラは稀代の悪女であったけれど、彼女を作り上げた人間が、どこかにいるはずだった。


 それは案外近くて、こちらの様子を窺ってにんまり笑みを作っている最中なのかもしれない。



「ネルラは、私に毒を飲ませるようにしていたのよ」



 まあ、ラビィの魔力は水であるので、ティーカップに忍ばせた毒なんて、簡単に見破ることができたけれど、あれは人の思考を緩やかにさせるためのものだった。あれを飲むと、頭の中が霧がかったようにおかしくなる。人の思考を奪う毒だ。



「あれって、一体どこで手に入れたのかしらね。ただの少女が持つべきものではないわ」



 毒、といえば思い出したことがある。


 マシューのエンディングだ。彼は手に入らない聖女に狂って、最終的にネルラに毒を飲ます。今でこそ、聖女にそれほどまでには執着をしていない様子だが、ゲームでの彼は、「あれはない」とファンの間で首を振られることもあるほど、類まれなるヤンデレだった。

 そんなマシューに質問してみた。あなたなら、どこで毒を手に入れるのかと。



 さすがの彼も面食らった表情をしていたが、例えの話であると告げると、



 ――――そうですね、私なら



 ふむ、と顎に手をあてて考えた。『確実な効能のものを求めますから、自作はまず行わないでしょう。名のしれた、信用のおける商人からいくらでも金を積んで取り寄せるでしょうね』 なるほどの言葉だった。商人と言えばレオンだ。彼なら表の噂も、裏の噂も知っている。だから、そういったことを専門にしているものはいるかと、問いかけたのだ。



『俺も詳しい話は知らないけど、親父からきいたことはあるなぁ。男だよ。なんでも何世代も同じ名前の人間が、ときどきそういったものを卸しに来るんだとか』



 姿が変わったとしても、その名を告げることで、その身を証明するのだ。



「学院の図書室には、名簿があるの。歴代の生徒たちの名簿よ」



 サイと以前図書室に訪れたとき、気づいたことだ。もちろん鍵付きではあったが、そこはバルドの許可を得て確認した。



「ユマン・ルプレノン」



 幾度も、幾度も、名簿の中にはその名があった。顔を変えて、年を変えて、それこそ長きに渡って、狂うほどに。




「あなたは、一体何者なのかしら?」




 ユマンは笑った。オレンジ色の光の中で薄っすらと。


 奇妙に、薄ら寒い笑みであった。

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