第7話 健康に健全な日々を目指す

 せめて魔力の総量を増やすことができたらいいのだけれど、そんな方法は今現在も、ゲームの中でも聞いたことがない。ラビィの魔力の総量は、だいたいティーカップに一杯程度。多いか、少ないかと問われれば、圧倒的に少ない。せめて風呂桶程度は欲しかったけれど、そもそもこの世界に風呂桶という言葉はない。



 ネルラから逃れるためには魔力の底上げをすることが一番だったのだけれども、ないものを嘆いても仕方がない。だから別の方法を模索する。



 というわけで、ラビィは日々おかゆを手に入れることにした。飢えの日々からせめてもの食事を得たのである。未だに骨と皮のこの体だが、それでも思考が以前よりもクリアになってきた。カロリーが体から消えていくと、まず無くなるものが思考力だ。ラビィにとって、あまり思い出したくはないが、心にも体にも、深く刻み込まれている記憶だ。



 ネルラに操られ続けた10年間、ただ毎日生きることすら辛かったから、何も考えることができなくなるのは、逆にありがたいと感じたこともあった。それでも、できる限りに歯を食いしばって生きてきたのだ。


 今はゆったりとソファに座り、足を動かし空腹を感じる。わずかばかりであるが、健康的という言葉が近くなった、と僅かな喜びがあった。



「よし」



 魔法学院は、今現在長い春休み中だ。入学式はすでに終わらせているものの、学院には貴族が大半であり、冬を越え、暖かくなってくるとパーティの誘いが多くなる。明るい花のような色合いのドレスを着て、淑女は多くの家との交流を楽しむ。ちなみにラビィにはそういった誘いの一つもなく、あったとしても、父や母、そしてラビィよりも信頼のあるネルラが彼らと一団となって握りつぶしているのだろう。まったく興味のないことだが。



 春休みが終わりしばらく経つと、時期外れの入学生としてネルラはその可愛らしさと共に注目を集める。現在彼女は入学準備に追われているに違いないが、こちらとしては体力準備に励まなければならない。本格的に動けるのは、学院が長期休暇であるこの時間のみだ。とはいいつつ、いきなり健康的な見栄えになっていても、ネルラと再会した際、疑われてしまえば全てが終わる。証拠となる隷従の証は、すでにラビィの胸元から消えているのだ。



 不健康な見かけを維持しつつ、いざというときには素早く動けるようにならなければいけない。いや素早く、とは言わないまでも、人並み程度には。



「難しいな……」



 ちなみにこう考えている最中も、ラビィはソファから立ち上がり、部屋の中をぐるぐると歩き回っている。おかゆパワーのおかげか数日前よりもずっと体も動きやすい。時々ぺきぺき体中から音が鳴っているような気がするが。



 体力をつけたい。


 しかし健康になりすぎてもいけない。さじ加減が難しい。「しかし、やらねば生き抜けない!」 拳を握った。気合だった。少なくとも、ラビィは成長している。長年家族や使用人たちからゴミを見るような目で見られてきたのだ。魂の力は恐らく人よりも強い。それについこの間までなんて、数秒立つ程度で目眩がしていた。やはり食の力は偉大だった。



 食事の次は睡眠。最近はネルラが屋敷にいないと思うと、上質過ぎる眠りに包まれて、目覚めもぱっちりだ。ネルラの代わりに、新しいメイドに替わったが、ネルラから色々と聞かされているのか、今日も朝の紅茶を入れた程度で、それ以外の関わりもない。数年前から男爵家から嫁入りまでと行儀見習いのため預かっている、ラビィと年の頃も変わらない少女だったが、口元だけ笑みをのせて、ぴくりとも瞳が笑っていない様は、ネルラとよく似ていた。



 まあ、それでも関わりがない分、ネルラよりはやりやすく、ありがたい。そして睡眠とくれば、次は運動。今までラビィの体は不安ばかりを抱えていたから、その段階に移るにはいささか不安があったが、悠長なことは言っていられない。ふん、ふん、と彼女は生前の記憶を元に、準備体操を始めた。ぺきぺき体中の骨の音が鳴っている。そうして始めた。ウォーキングを。








「ひ、ひゃ、ヒャアアアアッ!!!!」



 そっとラビィが屋敷を徘徊すると、使用人が悲鳴を上げてひっくり返った。へたり込んだ男をずんと見下ろし、ぎょろりと大きな眼球を動かす。ボロボロの爪と髪を振り乱し、彼女は近づく。



「アアアアアーッ!! 命ばかりはーーー!!」

「誰がゾンビか」



 思わず彼の反応を見て、突っ込んでしまったが、この世界にゾンビの概念はない。そして見覚えのあるこの青年、調理場でおかゆを作るラビィを、魚のような目で見ていたあの男である。ズボンをバンドで吊り上げて、汚れたシャツは腕まくりしているが、今はバケツに頭からつっこみビショビショだ。ちなみに彼の周囲にも複数人の使用人たちがいたのだが、ラビィの姿を見つけ、慌てて背中を向けたところ、この男のみがバケツにひっかかりその場で悶え苦しみ悲鳴をあげた。



「あ、アッ、お、お嬢様でしたか。俺はてっきりどこぞの悪霊かなにかと」

「昼間から堂々と出てきすぎじゃないかしら」



 というか今こいつ人のことを悪霊と言ったか。びしょびしょの中、びくつきながら小さくなる青年に手を伸ばしてやりたい気持ちにかられたが、そんなことをすればラビィ共々水たまりに沈み込む。ラビィは風邪をひかない自信などない。



「お嬢様、怖いんですから、あんまりゆっくり近づかないでください、お願いします」

「むちゃくちゃ言うわね」



 こいつ見習いにしても失礼にもほどがないかと思いつつ、アドバイスに従って、ラビィにできる限りの速さで“健康のためのお散歩”を行ったところ、その姿を目にした多くの使用人たちが心労のため体調を崩した。何を企んでいるのだと疑われたためだ。



 彼女自身も足首に負担がかかり、翌日は筋肉痛のため動くことができなくなったため、今後は適度に、そして控えめに運動は心がけよう、と胸に誓った。歩くことさえままならなかった。

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