第46話 ケンカ指南
街に帰る前、田舎のコテージで、開催されていた作戦会議では、対策が綿密に練られていた。
出席者は、フィオナ、クリスチン、マルゴット、マリアの女四人である。
「一番、厄介なのがアンドルー様でしょうね」
「なぜ?」
「アレクサンドラ様がどんなに遺産の遺贈を求めてこようと、断ればいいだけです。財産はあなたのものなのですから」
「兄はダメなの?」
「お兄様も財産には手が出せません。でも、お兄様は家長として、あなたの結婚を取り決める権利がおありです。特にあなたは未成年ですから、父や兄が決めた結婚を違えることは難しいのです」
「お金があっても?」
「財産と結婚の決定は別問題です。分別のない若い娘が変な男と駆け落ちするのを止めるのは家長の役割でしょう」
「でも、相手はあのグレンフェル侯爵なのよ? 全然変じゃないわ」
マルゴットは、首を振った。
「身分も釣り合えば年頃も何もかもお似合いの方々が、父親の意向で別の方と無理やり結婚させられたケースがよく噂になっていますでしょう?」
作戦会議の出席者四名は押し黙った。
父親が娘を可愛がっていても、この手の悲劇はよく起きる。
娘が選んできた男とソリが合わなかったとか、娘の気持ちより自分の直感を信じる頑固者の父だったりとか、そんな割と些細な理由で悲劇は起きる。
母親とか、親戚の叔母とか、年長の兄や姉が間に入ってくれたりで、どうにかなることも多いのだが。
「ですから、フィオナ様、アンドルー様だけはどうしようもありません。ジャック様もわかっていて、アンドルー様を籠絡したのだと思います」
「ジャック……我が弟ながらやるわね……。さすがは、私の弟だわ。ポイントだけは、押さえてくるのね? でも、ここまでよ!」
クリスチンは闘志をかき立てられたらしい。
「クリスチン様、弟と敵対してどうするおつもりですか……」
どうせ、具体的な方策は何もないんでしょ?と言いかけて、マリアは、そこは飲み込んだ。
「ですから、フィオナ様、そこは兄上と思いっきり派手にケンカしてきてくださいませ」
「は、派手なケンカ?」
マルゴットが真剣な面持ちでうなずいた。
「いいですか? フィオナ様は、生まれてこの方、ケンカなんかなさらなかった方です。多分」
フィオナはふんわりとうなずいた。彼女は徹底した事なかれ主義である。
「出来るだけ問題に触れないで過ごしてきたと思います。しかし、今回のは、人生をかけた真っ向勝負」
クリスチンがアップしてきた。
「ケンカは相手の言う事を聞いてはダメです。何を言われようと自分の主張だけを繰り返して、1インチだって譲ってはいけません。理屈や勝ち負けではない。怒鳴り合って来てください。揉めた方が勝ちなのです。後先考えなくて結構です」
「でも、マルゴット、そんな事をして、お父様やお母様、義姉のアレクサンドラの顔は見たくもないけど、アンドルーと絶縁にでもなってしまったら、私はどうすれば……」
マルゴットは、ニヤリと笑った。
「あり得ませんよ、そんなこと。思いっきり怒鳴って来てください」
「あり得ない?」
「絶縁なんて、望むところです。フィオナ様、今のところは絶縁すればよろしいのです。式に親族が誰も出ないなんて外聞が悪いとか考えなくて大丈夫。その頃までには、伯爵家一同、ガン首揃えて、あなたのところへなんとか機嫌をとりに伝手を頼ってくるでしょう」
マリアが分かったぞと言う顔をした。
「絶縁してもらって来て欲しいのです。そうすれば、堂々と家を出られます。クリスチン様が貸してくださると言うアパルトマンに移れます」
「でも、それで? そのあとは?」
「もちろん、結婚の準備をするのですよ。ジャック様には礼を尽くして断りを入れるしかありません。そのあと、二、三回、お友達や親戚、クリスチン様やマーク様をお招きした、ごく内輪のパーティを開いたらいかがでしょう?」
「わ、私が主催するのですか?」
「伯爵夫人の名前を使ってもいいと思います。どうせなんのことだか、夫人にはわからないと思うので」
フィオナの母は、名うての社交オンチで有名だった。逆に影響が全くない。つまり、彼女の真意は誰にもわからない。
「アンドルー様が、ジャック様を選んだのは、金銭的な面の問題が大きかったのではないでしょうか。ジャック様もわかっていて、アンドルー様に援助の申し出をされている可能性があります。でも、いまや、誰よりもお金持ちなのはフィオナ様……」
それこそがポイントだった。
「すっかり事情が変わってしまっています。フィオナ様に嫌われると、今後、フィオナ様からの援助が見込めなくなります。皆さま、お立場をまだ飲み込めていないだけです。侯爵家との結婚は、誰が聞いても祝福してやれと言われるのがオチでしょう。すぐに反対なんか取り下げですよ」
「確かにそうね」
クリスチンが考え考え言った。
「もともとグレンフェル侯爵とのご縁でも、まったく問題なかったのだから」
「ですからね、利用したらいいのですよ、その大げんかと絶縁」
マルゴットが言った。
「家族から自由になるために。まだ、未成年だけど、自分がしたい事をするために」
「いいわねー」
感想はクリスチンだった。
「でもね、自由は、責任を伴います。誰も助けてはくれませんよ?」
「自由じゃなくても、兄や父は助けてくれませんでしたわ」
「ですけど、今度ばかりは、万一、うまくいかなかった時、恨むべきはお父様やお兄様ではありません。自分自身です。それでも、よろしいか?」
フィオナは考えた。彼女自身がジャックとの結婚を真剣に考えたのは、周り中が太鼓判を押したからだ。
絶対にお似合いだと。
あのモンゴメリ卿が勧めてきた男だった。
そして、マルゴット自身も勧めてきた。
自分だって、好ましいと思った。
夢中にはなれなかったが、その分、客観的に見ることができて、大丈夫だろうと思えた。一生を左右する結婚だ。失敗したくない。
でも、グレンフェル侯爵は違う。
会った瞬間から、心がざわめいて、もう一度何とかして会いたくなった。
あの時の自分は貧乏伯爵家の娘だったが、セシルはそんなこと気にもせず結婚を申し込んできた。
冷静なんて、何処かへ飛んでいってしまった。自分で自分が信用できない。
「マルゴット、聞きたかったの。私はグレンフェル侯爵と結婚して幸せになれるかしら? 彼は浮気するかしら? 彼は優しくしてくれるかしら?」
三人は、押し黙った。
「あのー、フィオナ、わからないの?」
「幸せになれそうで、優しそうで、浮気しないと思うのだけど、自分のことがわからない」
みんなが黙り込み、随分経ってから、気難しげにマルゴットが答えた。
「未来のことなんか、誰にも保証できませんよ、フィオナ様。自分を信じるしかありません。でも、幼なじみで、その頃のあの方を当時のあなたが好きだったと言うなら、大丈夫じゃないですかね。人間、そうそう変わるもんじゃないですからね」
そんなわけで、フィオナは本日の本番勝負に臨んだ。
アレクサンドラなんて、チョロいもんである。
ここからが勝負だ。
相手は、兄のアンドルーだ。
「ジャックは、裕福で立派な青年だ。お前のことを大事に思ってくれている。どこに問題があるのか」
「私はグレンフェル侯爵と結婚します。もう、お返事しました」
「侯爵は、当家に挨拶にも来とらん。本気かどうかわからない」
断ったくせに。そのほか、母親が病気の噂がある、収入がジャックの方が多そうだ、もともと兄の方と婚約していたのに鞍替えはおかしい、ジャックの方が優しい、姉が美人だ、伯爵にとって有利だ、もう約束してしまった云々。
全部、反論できる内容だったが、あえてしなかった。
「私はセシルと結婚します!」
金切り声で繰り返し、アンドルーの話に割って入った。アンドルーもイライラしてきた。
「ジャックと話を決めたんだ!」
「ジャックとは結婚しません。セシルと結婚するんです」
「兄の言うことが聞けないのか!」
アンドルーは、真っ赤になってきた。長年、妹をしてきたから、兄が怒りだすツボは心得ている。
「お前は出て行け!」
「出て行きますわ!」
フィオナは、手にした扇をテーブルに叩きつけるとクルリと部屋から出て行った。
「お嬢様、どうかそんなに興奮なさらないで。お兄様は、お嬢様のお幸せを考えてジャック様に決められたのですから……」
おろおろしながら取りすがる執事に、フィオナは顔をハンカチで覆いながら、「この家に私の居場所はないのです!」と、泣いているにしては、いささか明瞭にすぎる発音で宣言して、外への階段を駆け下りて行った。
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