第31話 手紙

「ねえ、今度はあのお城に行ってみない?」


二度と村に行ってはいけませんとマリアに念押しされた二人は、次の暇つぶしに古城探検を思いついた。


「古城は廃墟だもん。人がいないんだから平気よ」


こう言ったのは、もちろんクリスチンだ。


クリスチンはフィオナより、だいぶ年上なのに、好奇心旺盛で無鉄砲だ。

わかってはいるけれど、フィオナは彼女の提案には、つい、ドキドキして一緒に出掛けたくなってしまう。

これまでフィオナは伯爵家の邸内に閉じ込められてきた。友達を家に誘うのも、逆にお茶に誘われて出かけるのも、義姉の許可が必要だった。アレクサンドラに子供が生まれるまでは、そこまで厳しくなかったが、生まれてからは、経済的に厳しくなってきたのと自分が出られないせいか、締め付けがキツくなってきていた。


クリスチンと出かける時にも、かなり嫌味を言われた。

ただ、今回は、アンドルーが激推ししてくれたので比較的簡単に出られたのだが。



アンドルーは反対するアレクサンドラに向かって言った。


「考えてもみろ。パーシヴァル家と縁が出来れば、何かあれば援助してもらえる。貧乏エドワードが相手だったら、それこそうちが援助しなくちゃならなくなる。そのお姉さまからのお誘いなんだ。断れるはずがないだろう」


逆にむしろいつもは勧めてくれるマルゴットが不安そうなくらいだったが、そのマルゴットに、力強く頷いて見せたのは、今ここで、疲労困憊しているマリアであった。


完全なる誤算ではあった。


おとなしそうなフィオナだったが、クリスチンが見込んだだけあって、なかなかどうして冒険心と実行力のある勇敢なお嬢様だった。

クリスチンのブレーキ役としては、完全に失格である。



「古城……ホントにロマンティックですわ、お姉さま」


そう言われると、クリスチンは、ニッと笑いかけた。


お姉さま呼ばわりが嬉しいのだ。


それはちょっとわかる気がした。


フィオナもシャーロットにお姉さまと呼んでもらいたかった。


おとなしくて、自分の提案に喜んで乗ってくる。かわいい。


「もしかしたら、魔法使いが住んでいるのかも」


「塔以外に他に何か残っていたら探検できるわね」


マリアが聞いたら肝をつぶしただろう。


「それ、ステキだわ! 結構近いんじゃないかしら。牧草地を越えていけばいいだけだし」


「丘の上になるけど大丈夫かしら?」


「そこだけ登ればいいじゃない」


淑女はふつう山へは登らない。


「ちょっと登ればいいだけよ、きっと」


キラキラした目でクリスチンは言う。



なんで彼女がそんなにハイテンションなのかというと、夕べマークからの手紙が届いたのだ。


街にはマルゴットが頑張っている。二人の行方を適当にゴマ化したり、届くはずのない手紙を「お戻りになりましたら渡しておきます」などと言いながら、こっそり届けたりしてくれる。


フィオナのところへも、深刻な書き振りではないが、心配している様子のジャックから数通、グレンフェル侯爵から長い1通の手紙がマルゴット経由で来ていた。


マークから手紙をもらって嬉しそうなクリスチンと違って、フィオナの方は、手紙を見て重苦しい気持ちにならざるを得なかった。


今、彼女がしていることは、単なる逃げだ。


嫌なこと、面倒なことを全部ほっぽって、彼女は田舎に逃げてきた。

考える時間が欲しい……というのは言い訳かも知れない。


でも、マルゴットはフィオナに言ったのだ。


「後悔しないためには時間は必要です」


その言葉を免罪符に、彼女はクリスチンに付き合っている。



ふたりはいつもの東屋で、お茶をしながら手紙を読んでいた。


クリスチンの顔からとめどなく笑みがこぼれる。


「マークは怒っているらしいわ。本気よ」


フィオナは少し不安そうな顔をする。クリスチンは嬉しそうだ。


「手紙が来ればいいのよ。怒ってる手紙なんかサイコーよ。マークったら、すぐにアパルトマンに戻れって言ってきてるわ」


「ええと、そんな命令できまして?」


「戻るべきだ、ですって。マークらしくないわね。行き先が分からないから届かないって、言われてると思うの。それなのに、懸命に書いてきてるのよ。書かずにはいられないらしいわ。あの冷静な男がね。ほんと、面白いわ」


「まあ、まるで、いじめているようよ?」


「いいのよ。戻ったら、彼が望んでいるお礼はたっぷりするつもりよ。だから意地悪でも気にならないわ」


フィオナは、上機嫌のクリスチンの顔を見た。とても嬉しそうで、ほんのり上気している。

本気でマークを好きなんだと気がついた。


両想いならいいか。


「でも、少なくともあと十日ほどは帰らないわ。あなたはどう? フィオナ?」


フィオナはうつむいた。


兄はジャックと結婚させるつもりでいる。


グレンフェル侯爵はアンドルーではなく父の伯爵と連絡を取った。アンドルーはそれが気に入らない。今の実質的な当主は自分だと言う思いがあるのだろう。


それに、グレンフェル侯爵はアンドルーにとっては多少けむたい存在だった。貴族の格は上だし、貴族院やら海軍やら、アンドルーでは太刀打ちできない世界で生きている。ただの金持ちのパーシヴァル家の方が気楽だ。下でに出てくれるし、万一の場合は、金を用立ててくれる可能性があった。グレンフェル侯爵にそんなことを持ち出そうものなら、思い切り軽蔑されそうだ。


「私はもうずっと帰らなくてもいいです……」


クリスチンはフィオナの顔をのぞき込んだ。


「二人とも嫌いなの?」


思わず首を振って、フィオナは気が付いて真っ赤になった。どちらかは好きということだ。


「あらあら。どちらがお気に入りなの? それとも、あの二人以外?」


ジャックの姉に言いたくない……


クリスチンは勘のいい女性で笑い出した。


「やっぱり侯爵が好きなのね? 罪作りね、あの男は。でも、私はあなたの味方よ? ジャックを無理に勧めたりしないわよ。でも、姉として言うけど、ジャックは妻を大事にすると思う。なかなかの優良物件よ。それに……」


急にクリスチンが真剣になった。


「わたしはグレンフェル侯爵狙いじゃないのよ? 侯爵はとても気さくに話してくれたわ。話題にも事欠かないし。完全な大人だわ。でも、私のことなんか、全然考えていなかったわ。あなたのことが気になっていたんだと思うの。ただ、彼にはうわさがあって……」


その話は、ジャックから聞いた。マルゴットからも。


「……マルゴットが少し時間を置いて考えなさいって」


クリスチンは合点がいったようだった。


「それで家から出してもらえたのね」


そのとおり。でも、十日くらいで答えが出るだろうか。




その晩、フィオナは、セシルからの長い手紙を寝室で読んだ。


『正直に言わなかったことを後悔している。言いにくかったのは本当だ。

僕は、母が兄を殺しただなんて思っていない。

そして、今となっては、それはどうでもいいことだと思っている。なぜなら、どう釈明しようと、事態に変わりはないからだ。


兄は死んでしまった。誰かを罰しようが生き返るわけではないのだ。


もちろん、警察というものもあるし、罪人には刑の執行がある。母だけを特別扱いするつもりはない。


だが、母のしわざだという証拠は、一切ない。


母が昔、兄を羨んでいたことは本当だが、僕が海軍で身を立てていけそうだとわかってからは、僕のことを自慢に思っていた。


悪意ある噂を撒いている連中がいることも知ってる。それを気に病んで、僕の母は調子が悪い。そして、田舎の城に閉じこもって暮らしている。これ以上どうしろというのだ。おそらく、母が君と会うことはほとんどないだろうと思う。


そして、正直なところを言っておくと、侯爵家はあれほど遺産問題を取り沙汰されたが、財産家ではない。兄の母の実家の財産は父がすぐに食い潰していた。兄が死んだからって、僕がもらえるものはほとんどなかった。母だってその事は知っていた。僕が爵位に興味がないってことも、母は理解していた。だから、余計、噂はウソだと思うのだ。


あのパーティーの時に、マーク達とも話したけど、爵位なんか時代遅れだよ。


僕は父と違って自分で稼ごうと思っている。

僕は次男で父みたいな御曹司ではない。人に頭を下げることだって、社交界でお世辞を振りまくことだって出来る。


でも、それには、君がいなくちゃダメなんだ。


何のために成功するのか、努力するのか。


君を見て思い出したんだよ。


もし、君に会わなかったら、僕はきっと根無草みたいにフラフラしてたと思う。食べて寝るだけなら、大したものはいらないしね。

厚かましいかも知れないけど、自分で自分のことは優秀だと思ってる。

こんな男がちっとも努力しないのは無責任で社会の損失だともわかっているけど、気が向かなかった。軍だって面白いからやってただけだ。


だけど、君の顔を見たら、それじゃダメなんだって悟ったよ。

君を取られるわけにはいかないからね。あのジャックとか。他にも誰かいるのかも知れないけど。

もう迷わない。戦い続けるつもりだ。


きっと、何を言ってるのかわからないよね。

僕が言いたいのは、夜会でしたキスを覚えている?ってこと。

もう一度、もっと何回もキスしたい。

そのためには、ずっと一緒にいられるようにならなくては。

君に尋ねたよね? 昔の侯爵家の田舎の館で、婚約者になってくださいって。

あとで兄に殴られたけど。

婚約者は一人だけだからって。


そう。愛する人は一人だけ。大人になって、僕は理解した。

この世でたった一人だけ、君だけを待っている。


セシル・ルイス』

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