第54話 腹が立つ
少しだけ。その言葉を聴いたとき、私のなかに霧島さんに対する申し訳なさが、ほんの少しだけ膨らみました。
「……ごほっ、ごほっ、……は、ぁ…」
だけどそれは現実の前に、すぐに水泡の泡のように消えていきます。
息をするのさえままならない現状を招いたのは誰なのか。ついさっきまで私の首を締め上げていたのかは誰なのか。
それを考えたら、同情なんて吹き飛ばざるを得ない。自分を殺そうとした相手を憐れむほど、私は善人ではないのですから。
「そ、れは、お門違いという、ものです、よ…」
痛む体でゆっくりと上体を起こしながら、私は言葉を吐き出します。
だけど締められていたせいか、上手く声を出せない。代わりに私は彼女を睨み付けることにしました。
この場で弱さを見せれば付け込まれる。それをもう文字通り、痛いほどに理解できたからです。
未だ見下す霧島さんの冷たい瞳。その圧に負けるものかと、強く強く怒りを込めながら。
「……へぇ。まだそんな目ができるんだね。やっぱり気に食わないなぁ。で、なにがお門違いなの?」
私の怒りを受けてもまるでたじろぐことなく返事を求める霧島さん。
やはり彼女は私のことなど、まるで意に介していない。
その悠然たる態度は明らかに自分が有利であると確信してのものなのでしょう。
確かにそれはその通り。私では彼女に勝ち目はない。だからあるとすれば、やはりそれは―――
(渚さん…!)
今の霧島さんに対抗できるとすれば、きっとあの人だけ。
彼女にとっての天敵であり、湊くんを守れる人。
月野渚さんに他なりません。
「私は、動きました……湊くんを好きだって、そう思ったから…貴女はそもそも、自分の気持ちに気付いてすら、いなかったじゃないですか…私からすれば、あなたのほうがよほどむかついて、邪魔だったんですよ…!」
そして連絡は既にいれてある。私ができることは、もはや時間稼ぎしかない。
最悪、湊くんも含めれば三対一の状況に持ち込めます。だから、それまで、なんとか耐えれば―――!
「うるさい」
そう考えた束の間。吼える私のお腹に、霧島さんの足がめり込みました。
「あっ、がっっ!」
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。うるさいよ」
蹴られた。そう考える時間もない間に起きた出来事でした。
一切の加減も遠慮もなく放たれたその一撃は、私の急所へと思い切り突き刺さります。
その衝撃に耐えられるはずもなく、あっさりと私は吹き飛び、あお向けの状態で無防備な体を、彼女の前に晒してしまいました。
「あ、あああ、う、ぐぅぅ…!」
「なに?自慢?自慢してるつもり?それとも私を馬鹿にしてるの?自分の気持ちに気付けなかった私より、みーくんと付き合えた自分のほうがすごいって、そう言いたいんだ?」
再び襲ってくる苦痛に悶える私。これはまずいと本能が警告を発しますが、体はいう事を聞いてくれません。
荒事になんて慣れてない私にとって、今日体験した痛みは全て未知のもの。
対応なんてできるはずもない。自分の弱さを、私はただただ呪います。
「ああ、本当にむかつく。貴女は形だけでもみーくんと恋人になれた。渚ちゃんは最初からみーくんの心を手に入れていた。私だけなにも持っていないんだ。それがもう、本当に」
無論、弱者である私を今の霧島さんが見逃してくれるはずだって、ありませんでした。
「殺してやりたいほど、腹が立つの」
霧島さんはそう言うと、私の顔めがけて思い切り足を振り上げるのでした。
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