第29話 いるよ
「うりゃ!この、この!」
「おっと、その手は喰わないよ」
現在、我が家のリビングでは、渚との白熱したゲーム対戦が行われていた。
あの後、なんとか渚を引き止めることに成功した僕は、彼女を半ば強引にリビングへと連行し、二人で某レースゲームをプレイしてこの場を凌いでいた。
一時たりとも渚のそばから離れる気がないという固い意志を、僕の背中から感じ取ったのか、今の綾乃は台所で大人しく三人分の夕食を作っている最中である。
見事に作戦は成功したし、少なくとも今日はなんとかなりそうだ。
「うりゃ、隙あり!」
「あっ!」
綾乃を出し抜けたことで油断したのか、キノコで巨大化した恐竜に僕のキャラが踏み潰されてしまった。ゴール手前ということもあって、もう逆転は無理そうだ。
そのまま渚が一位でゴールし、今回は僕の負けとなってしまった。
「やられたなぁ」
「にゃははは、まだまだだね。湊くん」
うしししと歯を見せて笑う渚を見て、僕は内心救われていた。
渚がきてくれなければ、どうなっていたことか。
少なくとも、今のような気持ちでこの時間を過ごしていることはできなかっただろう。
「ありがとね、渚」
「ん?負けたのにお礼なんてどうしたの。湊ってMだっけ?」
「それはない」
思わず口に出た感謝の言葉を、軽口で切って捨てられた。
反射的にこちらも真顔で返したが、内容はともかく、本当に助かったのは事実なのだ。
今度渚好みの漫画でもネットで探そうと考えていると、渚がこちらに顔を寄せ、小声で話かけてきた。
「とりあえずゲームしながら聞いてほしいんだけどさ…今日、綾乃となにかあった?」
「うん、まぁいろいろとね」
さすがに渚も気付くか。今日の綾乃は、明らかに渚のことを邪険に扱っていた。
当初、家にきた渚を見た時ほど露骨な態度を取ることはなく、ゲームを始めた僕らを見て頬を膨らませる程度のかわいいものだったが、それでも不機嫌なオーラは完全に隠しきれていなかった。
今も僕らに話しかけてくることはせず、黙々と調理を続けている。
「喧嘩でもしたの?湊と綾乃にしては珍しいね。まぁそれは構わないんだけどさ。あたしを巻き込むの辞めてくれない?最初めっちゃ睨まれたんだけど」
「ごめんって。後で漫画買ってあげるからさ」
「んー…じゃあ許す」
なんとか許されたようだ。もともと漫画自体は買うつもりだったので確定事項になっただけである。必要経費だと思えば痛くはない。
僕らは再度、対戦コースとキャラを選択し直しながら、話を続けた。
「でも、今日誘ってくれたことは素直に嬉しかったよ。三人こうして集まるって最近なかったしね。春休みの頃は毎日集まって遊んでたのに」
「…ごめん」
「責めてるわけじゃないって。私達もそういう年頃になったんだなって思っただけだよ」
渚は笑っているが、それでも昔を懐かしがっているのだろう。
どこか遠い目をしていた。きっと渚だけは、僕らの中で変わっていないのだと思う。
関係の変化を望んだ僕や綾乃と違い、渚だけは純粋に幼馴染の関係を保つことを願っているように僕には思えた。
そんな渚を見て、何故か僕はこんなことを聞いてしまった。
「渚は、好きな人っていないの?」
言った後に、しまったと思った。
当然のように零れ出た言葉だったが、自分が何故こんなことを口にしてしまったのか分からない。
僕の質問に渚はきょとんとしている。
まずい、すぐ訂正しないと――
「いるよ」
渚は真っ直ぐこちらを見て、一言だけそう言った。
その吸い込まれるような綺麗な青い瞳を決してそらすことなく、僕だけを見つめている。
時が止まったような感覚すら覚えた僕は、次の言葉を発することすらできずにいた。
しばしの間、呆然とする僕を見て、渚がぷっと吹き出した。
「アハハ。本気になっちゃってかわいー!湊はほんと純粋だねぇ」
「渚…あのねぇ」
ようやくからかわれたのだと気付いた僕は、安堵の息を吐き出した。
…ん?なんで僕は安心しているんだろう?
「私はまだ彼氏とかいいよ。二人見てると恋愛って大変そうだなって思うし、運命の相手が現れるまで待つのも悪くないじゃない」
「渚って案外乙女なとこあるよね…」
「浪漫があるって言って欲しいなー。こんな世の中だし、夢くらい持ってもいいじゃない」
そう言って笑う渚の笑顔があまりに綺麗で、先ほど浮かんだ僕の疑問はすぐ消えてしまっていた。
その後、料理ができるまで僕らはひたすらゲームで盛り上がり、放置してしまったことを綾乃に怒られるのだった。
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