第15話 名前
「湊くんはなんでここにいるの?一人?あー、でも湊くんに限ってそれはないか。いつもみたいに渚と綾乃っちも一緒なの?それともナツとデートなのかな?」
人に口を挟ませない幸子のマシンガントークは、今も健在のようだった。
対抗できるのは渚くらいのものだろう。
圭吾も一緒にいて疲れないのだろうか。あれか、惚れた弱みってやつなのだろうか。
中学の頃から変わらない、元気すぎる彼女に向かって僕は口を開いた。
「佐々木さんとデートだよ。綾乃はおじいさんの家に行くんだってさ。渚はなにしてるかちょっと分からないかな」
「ふーん、そうなんだ。それで、ナツはどこにいるの?」
ナツとは佐々木さんのことだろう。さっそくあだ名を付けたらしい友人を、幸子はキョロキョロと探している。
「飲み物を買うから先に中に入っててもらってるんだよ。上映時間も近いし、万が一暗くなってから一緒に入ったら周りの人にも迷惑だしね」
「なるほどねー、湊くんは相変わらずそういうとこよく気が付くよね。ほら、圭吾も見習いなよ」
そう言いながら幸子は空いた手で圭吾のことを小突いている。
…いや、圭吾はそのままでいいだろう。むしろ近くで幸子を見ていてもらわないと困る。
まぁどう考えても圭吾が手綱を握れそうにはないが、などと考えていると、圭吾は肩をすくめた。
「俺には俺のやり方があるんだよ。これで俺らはなんだかんだ結構長く付き合えてるじゃん」
「えー、なにそれ。まるで自分のおかげみたいな言い方。私だっていろいろ我慢して圭吾に付き合ってあげてるんですよーだ。今日観る映画だって、圭吾が見たいって言ってたアニメじゃん。私は恋愛もの観たかったのに」
「そう言いながらお前いつも途中で寝るだろ…金出してるのも俺だぞ」
なにをー、と言いながら楽しそうに二人はじゃれあっていた。周りの注目を集めていることに気づいていない、典型的なバカップルの姿だった。
ちょっと離れてくれないかなと思いつつ、心のどこかで二人を羨ましがっている自分がいた。
この二人はちゃんと分かりあっている。喧嘩をすることもあるけれど、それはお互いが本気で相手のことを考えているからだ。
ぶつかりあって、喧嘩して、人に相談して、仲直りして、
そうやって仲を育んできた姿を、僕は中学の頃から近くでずっと眺めていた。
…僕にもいつか、できるんだろうか。
嘘をつかず、本音を晒して、誰かと心から分かり合うことが。
その相手が佐々木さんなのかは、まだ僕には分からない
無事飲み物を購入し、劇場の中に入ったところで二人と別れた。
最後まで賑やかなまま、スクリーンの扉を開けている。
劇場では静かにという上映前の注意を幸子が受け入れてくれることを祈りつつ、僕も扉を開けた。
幸いまだ照明は落とされておらず、列の確認をスムーズに行うことができた。
あまり大衆受けする題材だとは思わないが、やはりそこはゴールデンウィーク効果なのか、結構な人が席に座っていた。年配の方も多い。佐々木さんを疑っていたわけではないが、古い名作というのは本当らしかった。
予約していた席は後方中央のため、既に座っていた人たちに、すみません、と声をかけながら真ん中へと進んでいく。
映画を観るのは好きだけど、こういうのが映画館のちょっと不便なとこだよなと内心ぼやきつつ、僕は佐々木さんのところへとたどり着いた。
「佐々木さん、お待たせ」
「あ、湊くん。大丈夫でしたか?」
うん、と頷いて僕は席に座った。その際、頼まれていた烏龍茶を佐々木さんに手渡す。
僕もジンジャーエールを、備え付けのドリンクホルダーへと置いた。
どうやら、ちょうどタイミングが良かったようで、急に館内が暗くなっていく。
始まる合図だ。
某映画泥棒はスクリーンの中で軽快に踊り始める。相変わらずキレがいい。
楽しみだね、と小声で話しかけると佐々木さんは頷いてくれた。もう彼女の顔色も判別がつかないほど、辺りは真っ暗だ。スクリーンだけが光っている。
映画の上映が始まった。
「今日は本当にありがとうございました。楽しかったです」
「うん、僕もだよ。思ったより映画は過激だったけど…」
あはは、と苦笑いしながら僕は頬をかいた。今は佐々木さんの家の前にいた。
映画を観終わった僕らは、そのままショッピングセンターの飲食街へと向かい、少し遅めの昼食を取ったあと、適当に街を散策して少し早めに帰宅することにしたのだ。
元々今日のデートのメインは映画鑑賞であったため、午後からのウインドウショッピングにも気まずさはなかった。むしろ、途中で寄った書店で交わした漫画トークのほうが盛り上がったまである。
映画の内容に関しては…うん、すごかったといっておこう。
あれは本当に子供にも見せていいんだろうか。僕が小学生の時に観たなら確実にトラウマものである。女性不審になってもおかしくない。
倫理機構は本当に仕事してるのだろうかと疑問を抱きつつも、今日のデートは無事終了することができた。僕は内心ほっとしていた。
本当に、良かった。
僕は別れの挨拶をしようと、口を開いた。
「それじゃ佐々木さん、また…」
「あ、あの…」
それを遮るように彼女も口を開く。
…なんだろう。なにか僕はやらかしたのだろうか。
「なにかな?」
「名前…」
目を伏せながらぼそりと佐々木さんは呟いた。
名前、と言ったのだろうか。
「えっと…」
「私のことも、名前で呼んでもらえませんか?彼女、なんですから」
あの日のように顔を赤くしながら、彼女は言った。
そう言いえば、僕はこれまで一度も彼女のことを、名前で呼んでいなかった。
なんで気付かなかったのだろう。僕らしくない、初歩的なミスだった。
「あ、ごめんね。変えるタイミング分からなくって…それじゃ、次は学校でね。夏葉さん」
「…はい、また学校で。湊くん」
僕が名前を呼んで別れの言葉を言うと、佐々木さんははにかむように笑っていた。
…本当に僕は最低だ。彼女の笑顔を見れた喜びよりも、上手く取り繕えた喜びのほうが、ずっと大きかったのだから。
僕は一度も振り返らず、家に向かって歩きだした。
あの笑顔を見る資格なんて、今の僕にはなかった。
家に帰り、ちょうど夕食の準備をしている時だった。
キッチンに立ち、簡単にモヤシ炒めでも作ろうかと思っていたところで、スマホが急に震えだした。誰からだろう、と思い確認すると画面に表示されているのは、前原健人の名前だった。
彼からのチャットにはこう書かれていた。
――明日、会えないか?相談したいことがあるんだ、と
暖めていたフライパンの油が、パチンと跳ねた
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