6-5.

 戦場でクジラの歌が聞こえたら、あいつらが来る――。

 極端に引き延ばされた、単調に繰り返されるELF波。

 可聴域に加工したその波形は、なるほどクジラの歌声に似ていた。

 

 戦場を手つかずの廃墟を見つけたのは2日前。搬入した直後に今回の騒ぎがあった。

 防砂シートの下でカチカチと最終調整を行う。一次機関は止めたまま、外付けした発電機からの供給で電装を動かしているが、ジャミングは全開出力でも問題なくカバーできている。


「シーフ!」

 後面ハッチから、あの男のロシア訛りの声が飛び込んだ。

 最終調整をしていた指を止めて振り向く。さっきから銃声が止まっているのには気付いていた。RAMたちが攻勢に回った、ということだ。

「動いたか」

「ああ。RAMの三八式だ」

 男はカチカチと抱えた書類のクリップをはじいた。

 難民たちに寄越した武器は予想以上の効果を上げている。今のところ迎撃に出ている戦闘車輌はゼロ。即席の作戦を見直してなお時間に余裕があった。

「難民どもが奪取したのか」

「格納庫はまだ交戦中だった。向こうの整備員が急速起動させたのかもしれん」

「あんな実証機を優先に? 妙だ……」

 呟いたとき、受信機に感度があった。シーフは周波数をチェックする。極端に帯域が低い。

「どうした」

「いや」

 すぐに無線を切った。ヘッドセットから流れる残響が耳の奥を揺らす。

 間違いない。あの三八式たちだ。


「気のせいだった。急ごしらえにしては上手くやってくれたな」

「みんな、きみに期待してるということさ」

「ああ……5分後にジャミング帯域を広げる。無線封鎖の指示を頼むぞ」

「本当にサシでやり合うつもりなのか?」

 この男は陸軍出身だったはずだ。兵士ソルダートであっても戦士ヴォインではない。

 シーフは唇の端を持ち上げた。

「アレが戦術に組み込まれることはない。ウォーラスと同じだ」

「国軍はどうする?」

「連中にも耳と口はある。兵站を壊されたら嫌でも交渉の席につくだろうよ」

 出るぞ、と言って男を下がらせる。

 ハッチが閉じる一瞬、うんざりした顔が見えた。この男は馬鹿じゃない。こちらが作戦通りにやる気が無いことは、とっくに見抜いている。


 無理やり組み込んだ操作機器は、まだ少し引っかかりがあった。

 モニターを起動し、マニピュレータのハンドサインでエンジンの始動を指示する。

「ご武運を」

 作業員たちがスタータを始動した。伝達されたトルクがタービンを回し、ブレードの風切りが空気を揺さぶる。回路を開放した瞬間、コンソールパネルが光のラインに包まれた。

「第1主機、巡行出力!」

「パワーを第2に回す。モニターしてくれ」

「第2主機、始動。同期しました。両機とも発進出力まで上げます、オーバーブースト」

「オーバーブースト、了解。駆動モジュール、AアンナからИイヴァンまで回路を開放した。ロック、解け」

「ロック解除、了解。作業完了後、制御権を委譲します」

「躯体は外から見てどうだ?」

「はっ。駆動に支障なし、いつでも行けます」

「分かった」


 ノイズの入った光学センサ越しに、作業員に指示する班長の顔が見えた。

 オイル染みのついた帽子の下の肌はまだ白く、前線に出て日が浅いと分かる。使い古されたツナギを着ていたが、これも袖が余っていて本人のものでは無いようだった。

「敗戦の将か……」

 ハードウェアの確認はシーフが自分でやった。MLFVの整備士といっても、ここにいる連中はマニュアル通りの保守点検で精一杯だ。

 クラスターパネルに目を落とすと、プラスチックのカバーから光が漏れていた。

 あの少女は「光が見える」とよく言っていた。遠心性神経に電流を流され、前頭葉に言語イメージが形成されるたび、まぶたの裏に光が散るのだと。

 

恐れを知らぬ者ドレッド・ノート』――あれが戦闘するたび、志願したドライヴァたちは負荷に耐え切れずつぶれた。彼らも決まって最期は「光がある」と言っていた。

「裏返るの」

 ある日、端子のテストが終わると、彼女はそう語った。

「私の中身が薄くなって、マシンの光が入ってくる感覚があって。自分が少しずつ吸われて、そのうち無くなっちゃうっていうか。人間と繋ぐべきじゃないわ」


 シーフは、コンソールから端子を引き出した。

 光はさらに強くなっていて、指先に熱が感じられるほどだった。

 裏返る、というのもあながち嘘ではない。道具とは人体の延長だ。そして可塑性のある脳は道具に適合し、身体の構成を変えていく。それが戦いのためのツールであるならば、身体もまた戦闘に最適化されていく。人体こそが道具の延長、と言い換えてもいい。

 道具に使われる人類。武器がヒトを殺すのだ。ダイナミクス・スケールではあたかも意思を持つかのように振る舞っていても、ミクロ・スケールでは細胞のように主体性のないユニットの総和があるだけで、そこに意思というものは存在しない。

 あの少女はどこまでも道具だった。

 今ごろは自治区で避難しているのだろう。こちらに最後まで従わなかったのは、本能的な警戒意識が働いたのかもしれない。繋がってしまえばドレッド・ノートのように、このMLFVに食われてしまう。


「B-M端子を接続する。作業員は退避しろ」

 髪をかき上げ、汗で濡れた接続口に触れる。

 この接続口ばかりは代用品が無く、傷だらけでリムもゆがんでいる。こちらではオーガノメタルはまだ実用化しておらず、修理もままならない。

 施術したのは何十年も前だ。ここではない、もっと進んだ場所だった。

 あそこのことでまず思い出すのはシカのことだ。週末になると、部隊員を連れて狩りに行った。あの張りつめた首の筋肉にナイフを軽く這わせると血の玉が浮かび、毛皮のくぼみに沿ってつるつると流れ落ちたものだった。あのシカだけは、ここでは獲れない。


 端子を首に挿す。


「ぐうぅぅ!」

 まぶたの裏に血の花が咲いた。指がビクリと丸まり、身体を掻きむしる。シナプスの発火が頭蓋の内側を連鎖していき、脳の上を無数の羽虫がうごめくような感覚が広がる。喉から声にならない叫びが絞り出される。

 光が収束し、やがてピンホールカメラのように小さな像を結ぶ。

 焼けた汗が蒸気となって、頬をなぜた。そろそろと〈目〉を開ける。

 歪んだ景色が飛び込んできた。ジャンク化したバイナリデータがまだら模様として現れ、その奥に作業員たちの、恐怖に歪んだ顔が並んでいる。

「……接続完了した。点検項目、14番を実行しろ」

「りょ、了解」

 操縦桿を握りなおす。

 駆動系はあえてコクピットからの間接操作のままにした。

 流入する情報量を抑え、光コンピュータの補助を加えても、まだ人体には負荷が大きい。


 やはりあの女は正しかったのだろう。

 人機一体ではない。こいつらは人間を食らうモンスターだ。その躯体がすでに完結した系であり、人体と同じ強度を持っている。ゆえに最高のマシンをぎょすのは最高の乗り手以外にない。

「やれるさ……もう慣れただろ」

 システムの点検が終わり、コンソールの表示が緑色に点灯する。

 始まった。

「最終ロック、解除。システムを切り離せ」

「了解。最終ロック解除。制御権を移譲します。ステータス、スタンドアロン」

 コントローラのロックが外れる。踏み込んだアクセルペダルがマニピュレータをわずかに軋ませ、排気で地面に砂煙を上げる。


「『ウォーラスドゥヴァー』、出撃するぞ。各部隊に伝達しろ」


 ケーブルが接続部からはじけ飛び、四肢が動く。

 右手のクローが砂をこすった。黒い肩が上体を押し上げ、躯体を覆う防砂シートを引きちぎる。

 背負ったツインエンジンが震えながら轟音を立てる。陽炎が幽鬼のような巨影を落とし、見上げる作業員たちの顔を隠す。

 シーフはギアを入れた。各関節の歯車ががちりと噛み合い、挙動のぎこちなさが消える。神経接続と比べると反応は遅いが、そのわずかな手ごたえが、こいつの強さを教えてくれる。

 まだ、頭の中では羽虫が動いている。そいつらが脳に牙を立てると、視界に赤いものが散った。鼻の奥にも生臭いニオイがあった。シカの血かもしれないし、自分の血かもしれない。


 また、どこかで低い声が聴こえた。センサが拾った音は増幅されて、脳の中を何度もこだまする。

 声に合わせて羽虫たちが騒ぐような感覚があって、シーフ自身も口がわななくのを感じた。

「クジラ、か」

 向こうもこちらを認識している。

 陸に上がったクジラだ。ただれた皮膚には硝煙が染みつき、肉を割って突き出した目が、青く燃えながら銃火を待っている。

 クジラはまだ狩ったことがない。これが、一頭目だ。


◇◆◇


 辺りにはまだ白燐の煙が地面を這っていた。

 真紀が焼けて硬くなった指をこすり合わせると、ぱらぱらとリンの粉が落ちた。破片がかすめた腹の血はすっかり乾いて、動かすとほのかに引きつるような感覚があるだけだった。

 見上げた先で、三八式の青いカメラアイが明滅する。

 メインの水素バッテリーは抜いてあった。さっきの発砲でキャパシタも放電しきって、今のところ動く気配はない。


 床では整備員たちが12.7ミリ機銃を引き出して、弾倉を詰め込んでいた。その隣では合流してきた歩兵分隊が警備している。彼らもときおり三八式の頭部を見上げては、不安そうに銃のストラップを調節していた。

「勝手に動いたのか?」

 健斗が防弾チョッキにトラウマプレートを差しながら言った。

 しばらく次は来ないだろう、というのが歩兵分隊長の見込みだった。装備だけ整えたら、キャンプを制圧にかかるらしい。

「だってあれ、座席も抜いてますし……」

「味方かも分からないのに武装するっていうのも変な話だな」

 三八式の手には、倉庫から引っ張り出した機関砲が握られている。詰めた弾も戦場で拾った検品前のものだ。半壊した姿のまま武装していると、まるで巨人のゾンビのようだった。


「使えるものは何でも使うさ」

 羽田がやって来て言った。片手に真っ黒に酸化したカソードをぶら下げていた。

「もう1輌のサンパチもスタンバイさせている。もうすぐ行けるぞ」

「スラッシュ水素がよく間に合いましたね」

「前線からの報告で燃料の計算が早く終わったんだ。赤坂さんもこれで出撃だ」

 その言葉通り、黄色い回転灯が点灯した。

 アナウンスがあり、格納庫の奥から脚部にかんじきをはめた真っ赤なガレアスが現れる。通信室の作業員がマイクを握った。

「ビショップ、こちらテックブランチ。使用回線は4B。チェック」

「こちらビショップ、感度良好ラウド・アンド・クリア。重量の確認を求む。オーヴァ」

「装備重量、規定値クリア。進路よし。発進を許可する、オーヴァ」

「了解。ビショップ、ガレアスMk‐Ⅲ。攻撃戦闘観測混合装備で出る。アウト」

 カメラアイの標識灯がグリーンに発光する。

 背面グリルから排熱が噴き出し、光線を棚引かせてガレアスが格納庫を歩き去っていく。その後ろから対空レーダーを背負ったキャラヴェルが進み出て、同じように発進していった。


「フェイズド・アレイレーダーで交信ですか」

 国軍の方でも観測機を出していることをアテにして、キャラヴェルを選んだのだろう。

「あれくらいでないと指向性が不十分なのでな」

 羽田は渋い顔だった。

 ガレアスはロケットと機関砲の混合装備だった。交信が確立したら、そのままひとりで遊撃戦を行うつもりだ。これも詩布の技量なら問題は無いだろうが、無茶な作戦であることに変わりはない。

「私も出ます。サンパチの調整はシングルですよね」

「ああ。補助は要らないのか?」

「ガレアスじゃ歩兵まで手が回りませんから、誰かが入らないと」

 ヘルメットのひもを締めなおし、格納庫の奥に向かう。

 三八式は拘束具が外されているところだった。肩のクランプが外れて、わずかに身体が前傾して止まる。すぐに整備員が駆け寄って梯子を立てかけた。


「ドライヴァの小牧です。サンパチの準備はいいですか」

 整備員は真紀に目を向けた。それから穴だらけの服に目を移し、梯子から手を離した。

「その身体、大丈夫なんすか」

「ちゃんと手足はそろってます!」

 真紀は白く焼けた手をポケットに突っ込んで言った。

 整備員はため息をつく。彼も急ぎの整備で、顔が火傷とすり傷だらけだった。

「試作装備はぶっつけ本番です。なるべく使わんでください」

 彼は小さく言った。

「ありがとうございます」

 さっさと梯子を駆けのぼり、ハッチに飛び込む。

 ガンナー席はいつもと変わらず硬い座り心地だった。右側にタービンエンジン用のコントローラが追加されて以前よりも狭いが、これも操縦桿を握れば関係ない。


「スターターはそこの赤いボタンです。隣のバーが吸気弁で、その次が回転数の制御。メタノール噴射はギアを6に入れて押し込めばオーバードライヴがかかります」

 整備員がハッチから顔を出して言ってきた。

「この針金で巻いたレバーは?」

「ぶっ壊れる出力でタービンを回すやつです。逃げるときに使ってください」

「あ……分かりました。ありがとうございます」

 整備員がモニターするために離れていく。真紀もコンソールに指を置いた。

 部品こそ増えたが、メインの系統とは独立していて、いつでも切り離せるらしい。

 スタビライザーの調整に移ったとき、デフォルトの設定が変わっていることに気が付いた。

「これって……」

 乾燥状態の数値じゃない。実際に動かしながら調整してある。

 これで戦うことになると分かっている人が、真紀より前に乗っている。


 真紀にも、ようやく理解できた。

 詩布は、囮になるつもりだ。

 国軍と交信するのは第一案。上手く行かなかったときの第二案まで、彼女は考えている。

 次で敵はきっと車輌を持ち出してくる。だから自治区の外周で時間を稼ぎ、その隙に別動隊が市街地で陣地を構築する。格納庫に増援が来ないのは、そちらに戦力を回したからだ。


 計器の照度を弄っていると、後ろの座席に誰かが降りてきた。

「まだ何か――」

「俺も出る」

 ハーネスを締めて、健斗が座席を前後させる。ライフルと防弾チョッキは預けてきたらしく、ずたずたになったシャツとカーゴパンツだけの恰好だった。

「は、何やってんです?」

「動かすなら俺の方が上手い。医者にも大丈夫だって言われてる」

 健斗はうるさそうに背中をさすった。

「それに独りじゃ無理だ。後ろの外付けのエンジン、そこの席から右手で動かすんだろ」

「やめてくださいよ! あのシュイって子もいるじゃないですか!」

「あいつにはカルガさんを探しに行かせた。あの人のところの方が安全だ」

 ドライヴァ席のコントローラが起動し、駆動系の制御を持っていかれた。

 健斗はいくつかアクチュエータをいじると、眉をひそめた。

「詩布さん、こいつに乗ったな?」

「ええ……まあ」

 真紀が振り向くと、健斗は駆動システムの数値を合わせていた。

 詩布を除けばウォーラスとまともに戦えるのは彼だけだ。認めるのは癪だが、三八式のドライヴァとしてこれ以上の適任はいない。


 燃料電池を起動すると、サインを見た整備員が電源ケーブルを外した。

 回転灯の黄色い光に照らされながら、真紀は火器管制システムを立ち上げる。

「私たちで敵車輌を足止めします。展開速度から考えて、標的は6輌ほどでしょう」

「分かった……」

 健斗は整備班に連絡を入れて、燃料の残量を確かめていた。予備の咽喉マイクを巻いた喉はすすけていて、ときおり声にうがいのような音が混ざった。

 ふと、今、彼の手を握ったらどうなるだろう、という気持ちが浮かんだ。

 前は驚いた顔をした。今は違う顔をする気がする。

「死ぬかもしれませんね」

 真紀が言うと、健斗はマイクに手を当てたまま、こちらを見た。

 相変わらず整備員に指示を出しながら、黒々とした目が細くなる。それがどういう意味なのか、真紀には測りかねた。ただ、さっきヘルメットを渡してくれた兵隊の、死に際の目にそっくりだった。

 また、分かってしまった。


「私、遺書まだ書いてないんですよ」

 真紀は右手でコンソールのつまみを回してみた。燃料弁は開いていないのに、わずかな重みがあった。まるで、誰かの指があいだに挟まっているみたいに。

「だから死ねませんよ、健斗君」

 健斗が通信を切り、微笑みを浮かべてうなずく。

「行くぞ」

 アクセルが踏み込まれ、三八式のダンパーが沈み込む。格納庫の扉が大きく迫り、通り抜けた瞬間に光が画面を白く染める。


 砲声が遠くで響いていた。どちらの音が知らないが、あまりにまばらなように聞こえた。

 今からあそこに加わる。

 真紀は操縦桿を握った。ちょっと触っただけで感が良く据え付けてあると分かる。詩布はほとんど操縦桿に遊びを作らない。そんな彼女が自分から他のMLFVに乗って、調整したのだ。

 とても、嫌な予感がした。

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