4-1. 繋がれた麀

 ここ半年、鹿屋健斗という人間にとって、射撃は日常だった。

 オイル臭いMLFV、雨と腐葉土が香る山奥、あるいは熱砂の舞う荒野。

 RAMである限り、火器はいつも手元にあった。


 ひと息入れて、親指の力を抜いた。

 ばね仕掛けが跳ねあがり、ハンマーが弾底を打つ。

 バレルに刻まれた六条の溝に削られながら弾頭が飛び、ゆるい回転運動を描いて壁に突き刺さる。

 

 あとは、不自然な沈黙が残るばかりだった。

 これが戦場なら、叫んで応射する馬賊がいる。

 山であれば、シカだったら逃げる。イノシシなら向かってくる。

 撃って静かになるのはリアルじゃない。


「またダメか……」


 健斗はふたたび拳銃をホルスターに差した。

 親指でハンマーを押さえたまま、人差し指でトリガーを引く。

 銃を引き抜き、さっと親指を放す。

 爆音こそ上がったが、やはり、撃った弾はターゲットを逸れてしまった。


 じんじん痛む肘をさすりながら、健斗はテーブルに銃を置いた。

 用意した弾はあと3発。

 伸びた髪がシューティング・グラスにかかって、蛍光灯の光をちらちらと隠した。

 当たらないのは環境が悪いのかもしれない、と思った。

 戦場か、猟場か。

 緊張感が続かない。だから外れる。

 

 健斗は正面のマンターゲットをにらんだ。

 距離は15フィート。胴体にひとつだけ穴が開いている。

 8発撃って、うち7発が外れるとは大したプロフェッショナルだ。


 拳銃のセイフティを下ろし、イメージだけで練習を続ける。

 このあいだの真紀はこの距離で早撃ちをしていた。

 速さだけなら慣れたら難しくない。

 あらかじめ撃鉄を起こし、トリガーも引いて、親指の力だけでハンマーを押さえる。あとは力を抜けば弾は飛ぶ。


 照準が上手くいかないだけだ。


「妙な男だ」


 後ろから声がした。

 聞いたことがある。馬賊特有のロシア訛りが入っていた。

「撃ち方も妙なら銃も妙だ。今日も独りか?」

 健斗はそっとセイフティを上げた。

「暇なんだよ。あんたのところのドライヴァが検査中で……」

 振り向くと、シーフはズタ袋を抱えて座っていた。

 たしか、あそこの床は監視カメラの死角だ。

 ズタ袋の中身は缶詰、医薬品、衣服。前と同じだ。


「今日はあの子じゃないのか?」

「シュイはしくじった。やり方を知らないからだ」

 シーフは喉で笑うと、ズタ袋を床に置いた。

「大人として、まずは手本を見せてやることにした」

「俺はてっきりカルガを連れ戻しに来たと思ってた。あんた、証安党だろ?」

「一応、だ」


 用心深いこの男なら銃を携行しているだろう。

 健斗は手元の拳銃と見比べた。

 条件だけなら五分と五分、だが技量を考えたら勝ち目は一分も無い。

「あの姑娘クーニャ、お前たちはマーケットにも連れ出したらしいな」

「ああ。なぜ奪わなかった?」

「国軍とを構えるにはまだ早い」

 シーフは面倒くさそうに言った。

「見え透いた罠にわざわざ乗ってかかる狐狸フーリはいない」

「罠?」

「どうでもいい。早撃ち、だろ?」


 シーフはベルトに差した拳銃を抜くと、斜めに構えた。

「あんたも的に構えろ」

 こちらを狙ってるわけじゃないらしい。

 言う通りに、健斗もマンターゲットに向かって構えた。

 馬賊というのは思ったより暇なのだろうか。

 成り行きとはいえ、敵にシューティングを習うのも変な気分だった。

「何が見える」

「そりゃターゲットと……照準と……」

「その風景を覚えろ」

 シーフは拳銃を片手で持ち直した。

「もっと右肩を出せ。左足も引いていい」

「あ、ああ」

「風景は同じように見えているか?」

「たぶん……」

「それが当たるときの風景ピクチャだ」


 シーフはさらに「右肩を押し出せ」と言った。

「いや、これ以上は無理だ」

「拳銃を撃つときは狙うな。風景に敵をハメろ。そうすれば当たる」

「でも、これじゃ片目でしか……」

「その方が速い」

 型は崩れ、もはやサウスポーの投球フォームみたいな姿勢になっていた。

 銃は完全に横に寝ていて、90度に傾いたサイトが視界に広がっている。

 ぴんと伸びた肘の先で、サイトとターゲットが重なった。

「撃て」

 銃が大きく跳ねた。

 ありえない方向に腕が曲がり、足元に薬莢が落ちる。


「ぐぅっ!」

 健斗は思わず腕を押さえた。

 これはマトモな撃ち方じゃない。数発撃ったら関節ごとイカれてしまう。

「覚えたか?」

「めちゃくちゃだ。出来るわけがない!」

「出来ないのは、お前の脳がヒトの形で動きを考えているからだ」

 シーフは拳銃のフレームをなぞった。

 指の腹が、凹凸に合わせてぐにぐにと曲がる。

 愛用している銃らしく、表面の傷がシーフの指にぴったり重なった。


「同じヒトが飛行機で空を飛び、杖をついて数千里を歩き、履帯の機械で虐殺できる。何故だ? 脳が認識する身体が変わるからだ。銃は持つな。銃を含めた身体になれ」

「身体って……」

 ホルスターに戻した銃を確かめる。

 少しグリップが太いが、後ろが削ってあって握りやすい。

 真紀はいい銃を選んでくれた。それは確かだ。


「分かったよ」


 掴んで、構える。

 風景ピクチャを意識して前を見る。

 横倒しになったサイトには青白い光が3つ。マンターゲットの頭がその先にある。

 片目だから焦点はすぐに合う。

 さっき撃った弾はターゲットの胸を貫いていた。

 手元、銃、サイト、ターゲット。4つでひとつの風景だ。


「どうだ?」

「分からないけど、当たると思う」

「よし。早撃ちしてみろ」


 健斗はホルスターに拳銃を収めた。

 ぐっと腰の右に重量が乗った。

 軍用拳銃だ。重い。まだ自分の身体になっていない。

 

 ものにしてやる。口の中で呟き、息を吐く。

「3、2……」

 ハンマーを下ろし、トリガーを引く。

「1!」

 右足を踏み出し、勢いに乗せて銃を抜いた。

 サイトの光が縦に並ぶ。

 ターゲットが隠れ、右手の親指が離れた。


 腕が肩から吹き飛ぶような反動があった。

 足がたたらを踏み、右耳はじんじんと痛み、目も発砲煙でしみた。

 反射的に、もう一度構えなおす。

 だが、すでにスライドは開きっぱなしになっていた。

 健斗は銃を置く。

 見なくても結果は分かっていた。今のはターゲットの胸に当たっている。


「なるほどな」

 拳銃も戦車も同じだった。

 正解の動きは決まっていて、それを選ぶだけだ。


 振り向くと、シーフは消えていた。

 きっと撃つ前に、上手くいくのが彼にも分かったのだろう。

 代わりにドアが開いた。

 そばかす顔の女が、微笑みながら入ってくる。

 健斗が手を上げると、千歳は意外そうにターゲットを見た。


「近いのね」

「まあ。遠いのはライフルの仕事なんで。カルガさんは?」

「それ、全部撃ったの?」

 健斗は拳銃に目を落とし、つまみ上げて、うなずいた。

「当たったのは3発だけ?」

「2連続で当てましたよ。次も当たります」

「そう……ああ、手術は無事に終わったから」

 真紀たちと比べると、この女はよく話が飛ぶ。

「会えますか」

「ユニットの定着待ちだから、もうちょっと時間がかかるかも」

「でも1日で終わるんですね」

 健斗は銃のマガジンを挿し替え、ホルスターに突っ込んだ。

 もう重さは感じなかった。

 殺さないとき、兵器は別人みたいに眠る。


「俺たちのところで整備したときは5日かかりましたよ」

「物資のせい?」

「いや。でも術後のあの人、自分で歩けなかった……」

 千歳は何も答えなかった。

 馬賊に肩入れしてると思われたかもしれない。

 健斗はかぶりを振って、シューティング・グラスを外した。

 撃ってるときは気が付かなかったが、汗でつるが濡れていた。


「俺、ぎこちないんだな」

「はい?」

「いえ、何か時間潰せる場所とかありますか」

 千歳の左手にファイルが見えた。

 MLFVの資料だ。手術に使うものじゃない。

「え、ええ……時間がいいならちょっと」

「大丈夫です。付き合います」


 千歳がハイネックを着ていることに、そこで初めて気が付いた。

 そこまで寒くもないのに、ちょっと不思議だった。

 この人はあまり身なりに気を遣うタイプじゃない。


 シーフは、罠だと言っていた。何かが動いている。

 健斗はそっと、ホルスターを撫ぜた。

 こっちの練習はもう少し必要になりそうだ。

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