3-3.

 店主のバンは、中古のパーツをつぎはぎしたような代物だった。

 かつてはテクニカルトラックだったこともあるのだろう。壁に意味深な溶接痕がある。

 カーゴの中だって座席は無く、荷物が裸で転がっているありさまだった。


 天井には裸の電球がぶら下がっている。

 その薄明かりに、ちょっと隣の段ボールを見ると、簡体字とロシア語が書いてあった。

 中身は空だが、注意書きのアイコンからして薬物だろう。

 あの店主、PMCだと思ってたら、とんでもないゴロツキ傭兵だったわけだ。

 健斗は尻を叩くコンソールのジャンクに顔をしかめる。


 快適な助手席は真紀に取られた。

 向かいではカルガがぼろぼろのチャイルドシートを座布団代わりにしている。

 ガリガリの細身だと、あんなに小さなものでも座れるらしい。羨ましい。

「……なあ普通、あんたが助手席だよな」

「でもコマキさんが最年少よ」

 わざわざゴネて譲ってもらったと聞いた。

 この調子では真紀もさらに不機嫌になっていることだろう。


 バンはたびたび激しく揺れた。たぶん、まともな道を走っていない。

 外の様子が見えないので、正直のところヒマだった。

 カルガも同じようで、チャイルドシートの脇をかつかつと叩いていた。


 捕虜にしてから数ヶ月、未だにこの女の人柄が掴みかねる。

 年齢、本名、生い立ち。ぜんぶ自称だ。

 頭は悪くない。むしろ、ぞっとするような老獪ろうかいを感じることすらある。

 言動も一見すると奔放なようで、どこか本音を隠している節がある。

 さっきの暴露も、この女にメリットがあるようには思えない。

 

 じっと観察すると、白い皮膚の下にみっしりと詰まったマシンが目に浮かぶようだった。

 女は、立てた片膝を抱いている。

 ワンピースの丈が短くて、縫い痕だらけの白い腿が見えた。

 肉と脂肪でふっくらとした肌に、ひときわ真っ白なライン。詩布の血は混合だったが、こちらには純度100パーセントのプラスチック製人工血液が流れている。

 彼女の心臓がピストン運動をするたび、女の血管はひくひくと脈打った。

 骨格筋をひたひたと濡らすぬめりのある体液が、細い血管から太い血管へとつながり流れていく。

 目で追うと、白いラインはワンピースの暗がりへと消えていった。


「がらんどうでしょ」

 カルガの言葉に、健斗は我に返った。

 いつの間にか凝視していた。そんなつもりじゃなかったのに。

 ふふ、と笑って彼女は続けた。

  

「お腹の前側は空っぽなの。そこのスペアは作れなかったみたいね」

「……いや、違ってて」

「いいの。男の人が黙るときって、そういうこと考えてるって分かってるから」

 いよいよ健斗は耳のあたりが熱くなった。

「ねえ、がっかりした?」

「さあ……悪いけど、あんたのことは身体目当てで見たことはない」

「あら? まあ、そういうことにしておきましょう」

 どこか世間ずれした笑い方をしていた。

 カルガは馬賊では装備品として保管されていたと聞く。

 この笑顔も、自分の顔も分からないのにどうやって覚えたのだろう。


「さっきの話だけど、俺から真紀に言いたかった」

「そうでしょうね」

 カルガは座りなおして言った。白い腿が布地に隠れる。

「あなたを動揺させたかったの」

「……またそうやって冗談ばかり」

「ずっと誤解してるみたいだけれど、私はいつも真剣よ?」

 彼女の髪がこぼれて、首にこぼれかかる。

 そういえば、さっきからワンピースなのに首の端子が見えない。

 わざわざ服を選んでいる。少し、意外だった。


「不思議なのだけど、あなたはコマキさんのどこを気に入ってるの?」

「なあ、やめないか……」

「やめない。どうせ聞かれてないんだからハッキリさせて」

 カーゴの端にカルガはあごをしゃくった。

 運転室とは壁一枚で隔たっていて、防音もしっかりしているように見える。

「いやダメだろ」

「じゃあ聞きます、私とコマキさんが全裸でベッドに転がってたらどっち選ぶ?」

「あのな!」

「その八方美人の態度がイラつくって言ってるの」

 カルガの頬がぴくりと動いた。

「あなた、本気じゃないでしょう?」

「なんだよ」

「あなたこそ何よ、ちんちくりんにかまけてると思ったら私に鼻の下伸ばして。観念した女の子がシナ作って股ぐら開いてるんだから、据え膳にむしゃぶりつくくらいの度胸は見せなさいよ……!」

「は……もうちょっと自分を大事にしろよあんた!?」

「ああもう、まーたそうやって私のことに怒る!」


 カルガは立ち上がろうとして、よろめく。

 健斗が駆け寄って受け止めようとすると、腕を振り払われた。

 ふらふらと壁によりかかりながら、カルガは片手を健斗の頬に這わせる。

 彼女の縫い合わされた皮膚が、ごつごつとした凹凸で感じられた。


「あなたの色、とってもごちゃごちゃしてる。面白いけれど、そろそろ本当が見たいの」


 外ではタイヤが岩を砕く音が響いていた。

 まだ目的地までは遠いようだった。答えるまで着かない予感すらしてくる。

 健斗はもう一度だけ、カーゴの壁をうかがった。

 運転室の音はまったく聞こえない。


「悪いけど、俺だって迷ってるんだ」

 カルガの表情は変わらなかった。

 彼女をふたたび座らせて、健斗も正面にあぐらをかく。

「でもあんたには些事さじなんだろうな。ここは誰の命も軽すぎて……」

「忘れたい人のこと?」

 健斗はゆっくりとうなずいた。

「大事なやつだった。誕生日に死んだよ」

「ええ、ありふれた不幸ね」

「ああ。やっぱりだ。そう言うと思った」

 膝に目を落とす。初めて、落ち着いて考えられた。

「……それでも、誕生日だったんだ。死ぬような日じゃない」

 声がかすれてきて、咳をうつ。

「返答すらできなかった」

「でも、死に目に会えたんでしょう」

「まあな。家に帰ったら大事な話をするって。ほら、向こうの女の子は16歳で結婚とか考えられるようになるから……あいつ、そういうところが真面目でさ。勉強は全然できないのにな」


 笑おうと思った。でも失敗して弱々しい泣き顔になってしまった。

 誰にも見られていないのが幸いだった。

「俺、ずるいんだよ。代用品みたいに真紀を見てる。やり直すための道具にしてるんだ」

 待っても、カルガは何も言わない。

 軽蔑の沈黙だと思った。

 少なくとも彼女は馬賊だ。平等に相手を見てくれる。

「その人のこと、今も好き?」

 ようやく、彼女はそれだけ言った。

「いや。終わった話だ」

「現在形で話してるのに?」

 手を握られた。

 息が詰まる。目の前で、真っ白な顔が笑う。

「男が迷うのもカッコいいけれど、このままだと見透かされちゃうかもね」

「でも……」

「大事な人なら、絶対に忘れちゃダメ。ただ決めるの」


 バンの速度が落ちた。エンジンの音が止まる。

 慣性でぐらつきながら、手を握ったまま、カルガはまばたきを2回した。

「それともやっぱりあなた、八方美人なのかもね?」

「わ、悪いかよ」

「ええ、大っ嫌い。私が<マキちゃん>でもきっとね」


 手が離れる。

 彼女が座りなおすのとほぼ同時に、カーゴの扉が開いた。

 まぶしい外の光に、健斗は目を細める。

 小柄な人影が見えた。どうやら扉を開けたのは真紀らしい。

 外はどこかの自治区のようだった。砂ぼこりの臭いに交じって、オイルの臭気がある。


 助手席で独りだった真紀は、やはりむすっとした表情だった。

 健斗たちが下りても何も言わず、ずっと地面を見ている。

 さすがに健斗も話しかけにくくて、ちらりとカルガの方を見やった。

「その……何か手伝うことは?」

「選択肢」

 カルガの頬がまたヒクついていた。

 まったく、この人はやけに気が強い。

「仲が良さそうですね」

 真紀が地面を蹴った。土くれが飛んでくる。

「何かあったんですか? いえ、べつに言わなくてもいいんですけど」

「あ……その」

 健斗も下を向いた。真紀はカーゴパンツをぎゅっと握っていた。

 こっちはこっちで、いつも頑張ってくれている。

 少しだけ、微笑んだ。


「薄々思って、秘密にしてたんだけどさ」

 バレないように唇を湿らせた。

 余裕綽々は見た目だけ。心臓が痛いくらいビートを打ってる。

「俺、たぶん24時間ずっと真紀のことばっかり考えてるんだよな」

「……は?」

「だから……そういうことだから。1番なんだよ、分かれ」

 カーゴパンツから手が離れた。

 驚いているのだろう。でも、とても顔を直視なんてできない。

 健斗はカルガに手を伸ばす。

 指が触れる直前、真紀に横取りされた。

「あらら」

 カルガが笑う。

 真紀の荒くなった鼻息が、健斗の位置でも聞こえた。


 3歩ほど離れてから、突然、真紀は立ち止まった。

「ちょ、ちょっとは見せる甲斐性があるじゃないですか」

 と、そっぽを向いたまま、真っ赤になった顔で言う。

「仕方ないので、その、私も恥ずかしいんですけど、き、機嫌を直すことにします!」

「ああ。……ありがとう」

「じゃあ行きますよ! ふざけていたら日が暮れちゃいます」。

 まるであの日と同じだった。彼女も恥ずかしいと言っていたから。

 懐かしい――ちくりと心が痛む。

 

 カルガの手を引いて、真紀の姿が遠ざかっていく。

 とっさに走りたくなる気持ちを抑えて、健斗はわざと大また歩きであとを追った。

 彼女は彼女、あの子はあの子。

 ゆっくりと歩いても、この人にはちゃんと追いつける。

 まだずきずきと心は痛む。でも胸に手を置くと、今までと違って耐えられる気がした。


「なんだよ。あいつのこと好きじゃないか」

 健斗は呟く。

 今になって、初めてすっきりと笑えた。

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