3-2.

 朝は鏡を見て、まずは自分の位置を確認する。

 鏡は素晴らしい発明だ。他人から見た自分が、そのまま映っている。

 小動物みたいなしょぼくれた顔、少し背は伸びたが、それでも中背止まり。

 傷だけはかなり増えた。

 目の上には擦り傷、頬には火傷のあと。RAMとして、整備や戦闘でこさえた生傷だ。


「おまえは誰だ」

 毎日そう鏡に言うと、自分が分からなくなる――そんな実験があるらしい。

 健斗は言葉に出さず問いかける。あんたは誰だ。

 鏡の彼は答えた。

 俺は鹿屋 健斗。

 小牧 真紀の、今のところは相棒。今のところはそれでいい。

 ……本当に?


「大丈夫。今日もカッコいいですよ」

 いきなり声がかかって、健斗はむせた。

 口をぬぐっていると、鏡の端に真紀の苦笑顔が映った。

「最近、長いですよね。実はナルシストだったり?」

「いや。傷が増えたなって」

「そうですか?」

 真紀はつかつかと歩み寄って、健斗に顔を寄せる。

 指が伸びてきて、健斗の頬をなぞった。

「言われてみればちょっと、目立つかも……」


 こうやって真紀がしげしげ見つめていると、変な気分だった。

 出会った頃は名前を呼んだだけで顔を爆発させていたのに。

 ふと気になって、健斗は視線を下げる。

 真紀のシャツは、もう初めみたいにカーゴパンツに突っ込まれてはいなかった。

「真紀も、男慣れしたよな」

 真紀の指が止まった。

「ま、まあ……いきなり何を言うんですか」

 ちょっぴり赤くなった頬を隠して、彼女はさっさと荷物を整理しに行った。

 遠慮が無くなっても、こういうところは変わってない。

 もう一度、健斗は鏡を見つめた。

 幸い鏡の自分は、二度と答えることはなかった。

 

 昨日出した外出許可願はすんなり受理されて、今日は完全フリーだ。

 部屋のドアを開けた瞬間、遠くで兵士たちのかけ声が聞こえた。

 時間からすると、腕立てをやっているらしい。前線基地といっても、訓練カリキュラムのほとんどは基礎体力作りばかりだ。RAMも自主トレーニングはやっていたが、軍隊とは比べ物にならない。


「あなたたち、外に出るそうね」

 施錠した瞬間、少しかすれた声で尋ねられた。

 すぐそばに黒いワンピースの少女が立っていた。今日は介助の人間がいない。

「入間さんはどうした」

 カルガは笑っているだけだった。

 きっと、ここまでの道は歩数で覚えてしまったのだろう。


 真紀がうなだれる。

「……あのー、検査があるのでは」

「お邪魔だった?」

 カルガは右手を上げた。

「ま、奇遇ね。私も申請したら、許可されちゃった」

 健斗たちが持っているのと同じ、外出許可証がひらひらと揺れる。

 サインは水巳 千歳。へたくそな氏名欄は、カルガが手探りで書いたらしい。

「許可って言われても……その、困るんだが」

「なんで?」

 カルガが詰め寄ってくる。

 濁った目がぐっと近付くと、射すくめられたような気分になった。

「いや、あんた、どうやったんだ。千歳さんたちだって、まだ忙しいはずだ」

「あの人たち、今日は自分たちの用事があるみたいね」

「それで外出だの外泊だのって……」

「だから、なんで?」

 彼女は同じ調子で繰り返して、まばたきをした。

 健斗たちは顔を見合わせて、お互いにため息をつく。こうなったら、どうしようもない。


 ロビーでバスを待つあいだ、酒保のサンドイッチをかじりながら、健斗はふたたび隣をうかがった。

 真紀はむすっとジュースを飲んでいる。カルガは変わらず微笑んでいる。

「昨日のこと、聞いちゃった」

「はい?」

 真紀の応えに、カルガは首を振る。

「カノヤ君のこと。盗みに入った馬賊に会ったんでしょう」

 真紀がこちらを向くのが分かった。

 なにごとも思うようには行かないものだ。

 内緒にしておきたかったのに、少しこの人は正直すぎる。

「大した話じゃない。せいぜい10歳くらいだった」

「でも拳銃を持ってた……」

「千歳さんか? あの築城とかいう大尉と仲いいみたいだしな」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 真紀が立ち上がる。

 さすがに今、目を合わせる勇気は、健斗にはなかった。

「なんで黙ってたんですか? そんな大事なこと、わ、ワケ分かんないです!」

「違う。機会があれば伝えるつもりだった」

「その機会っていつですか! 私、えと……やっぱり納得いきません!」

「悪かったよ」

「そういう話じゃないでしょう!」

 外でバスが止まった。

 降りてきた運転手に、健斗はジェスチャーで違うと伝えた。

 数人の兵士を乗せて出発したバスが、ディーゼル機関の音と一緒に遠ざかっていく。


 健斗は手元のサンドイッチに目を落とす。

 どこかで伝えるつもりだった、というのは本当だ。

 あのシュイという馬賊の少年は、住んでいる場所の水が悪いと言っていた。

 きっとまた来る。

 次は誰が出くわすかも分からない。真紀が戦うことだってあり得る。


「余計なことだった?」

 カルガが正面を見たまま言った。相変わらず微笑んでいる。

「でも、あなたってこうでもないと言わない人でしょう」

 ずいぶん信用されたものだ。健斗は自嘲っぽく笑った。

「勝手に決めないでほしい」


 サンドイッチを頬張り、立ち上がる。

 鍛えてきたのに、やけに身体が重い。まだ力が足りない。


 歩くあいだ、後ろで真紀たちが追いかけてくるのを感じた。

 たぶん、健斗自身も怒っていた。今も最前線で銃も携行せず歩いている。

 甘かった。昨日の事態は、運が良かっただけだ。


 酒保の店主は、カウンターの前で腕を組んでいた。

 近付く健斗に、片手を振ってみせる。

「今日こそ酒か?」

「聞こえてたんですよね」

「まあな」

 店主はカウンターに手をやり、拳銃を取り出した。

 下半分がポリマーの高級品。間近で見ると、口径はそこまで大きくなかった。

 粗い削りのグリップが、店主の手に深く食い込む。


「見覚えがあるだろ」

 店主は拳銃のスライドを引いた。

 健斗の視線が引き寄せられるのを見て、満足そうにうなずく。

「ノリンコだ。こいつの亜音速サブソニック弾はサプレッサ要らずで、せいぜいカギを床に落としたくらいの音しかしない」

 かちん、と口で銃声を真似する。

「詳しい事情は知らない。だが、あんたも銃を持っておくことには賛成だ」

「待ってください!」

 真紀がカルガの手を引いてやって来た。

「健斗君の武器だったら、私がいつか選びますから」

「は、いい子ちゃんだな」

 店長は拳銃から手を放した。

「この人が命を預ける道具なんです。勝手に決めないでください」

「じゃあ、あんたもプロならさっさと選ぶべきだったな」

 そこまで言って、真紀の空っぽのホルスターに目をやる。

 唇が動いていた。「まさか」とでも言ったようだった。

 

「なにか?」

「いや。お嬢さん、馬賊のビーは持ってるか?」

「ええまあ……ヤミで使うくらいには」

 店主はポケットから車のキーを出して、くるくると回した。

「来い。国軍の豆鉄砲よりはマシなものを買わせてやる」

 そのままさっさと店主は立ち去ってしまった。


 そっと、健斗も真紀のホルスターを見たが、古びた市販品にしか見えなかった。

 来ないのか、と正面ドアで店主が呼ぶ。

 健斗たちは慌ててあとを追った。

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