3-1.誘(いざな)い
地獄はとうに見た。
悪魔をこの目で見たのだから間違いない。
以来、あそこだけが俺の居場所だ。
踏みしだいたアスファルトに、オイルが飛び散る。
モニター越しの風景は遠く、どこも炎で溶けたように揺らいでいる。
吊り下がった信号機、交差点で燃え盛るバリケード、戦車、人間だったもの。
反応があった。右を向いて撃つ。星マークを付けた泥だらけの多脚戦車が膝をつく。
「1両やった。残りは?」
「知らないよ。2個師団のうちの残りいくらかじゃない?」
ビルを突き崩して赤いガレアスが現れ、中のドライヴァが怒鳴った。
「ガレアスの9番……きみは学徒兵だったな」
「兵じゃなくて員ね。あたしは徴員」
「他はどうした」
ガレアスのドライヴァが鼻を鳴らす。
いちどだけ顔を合わせたことがあったが、ドライヴァはまだ若い女の子だった。
焦土戦術に合わせて、こうした場繋ぎの学徒兵が多く動員されている。
俺も本部からお呼びがかかって、数日後には再編された教育隊に組み込まれることになっていた。
ガレアスからはひりつくような視線を感じた。
彼女たちを教育したのは俺だ。軍人として、最も長い時間を共にした。
友達が死んだときも、一緒に手を合わせた。そのたび「次は大丈夫だ」と言ってきた。それを何回も繰り返してきて、今じゃ彼女を含めてわずかな学生しか残ってない。
「ねえ……」
冷たい声だった。
「うん?」
「こうなること、分かってたんだよね」
もちろんだ。俺は精一杯の笑みを浮かべた。「次は大丈夫」と言う時と同じように。
「別にいいぞ、撃ってくれて」
「……良いの?」
手持ちのバトルライフルが、こちらを照準する。
土埃が舞って、ガレアスの緑の三つ目をわずかに曇らせた。
数秒だけ、間があった。
三八式とガレアスの水素エンジンの低いうなりだけが響く。
「……やめた」
ガレアスのドライヴァは鼻声で言って、ギアを入れなおす。
戦闘システムが切り替わり、背負ったロケットが発射された。遠くで悲鳴と爆音が上がる。
「あんたを撃っても、殺したうちに入らないし」
「残弾はどうだ、伍長」
「あたし? 今ので打ち止め。ライフルも装填されてる分でぜんぶ」
――だから帰るね。
そう言って、彼女は交差点を出ていった。
強い子だと思う。だから生き残った。
この戦線はあと一週間ももたないだろう。
かつての帝都には、今や
煙と炎の黒とオレンジに染まった空を仰いで、少し考えた。
半島のアメリカ参戦で気を抜いていたら、予想より早く中共が動き出しやがった。おまけに密約があったらしく、ソ連が同時に南進してきた。おかげで北海道、東北と一気に食われた。
2回目の会戦でどっかのアホが核ミサイルのボタンを押した。
3回目で
さっき殺したやつが日本人か朝鮮人か、ロシアか中国かアメリカかなんてもう分からない。
銃口を向けてくるやつはみんな敵で、殺すべき兵棋の駒だ。
爆発音がとどろく。遅れて衝撃波が届いたとき、ビルにわずかに残っていた電線が切れて落ちた。
核爆発もすっかり慣れた。
EMPノイズだけ気にしながら、ハッチの減圧層を確認する。耐核、問題なし。
今のは歩兵用の迫撃砲を撃ったのだろう。
危害半径が投射距離より大きな
ここには十死零生の兵士しかいない。
そのとき受信機がビープ音を鳴らした。
周波数――全周波帯に向けた平文の通信だ。
「誰か! 助けて、しいのが……しいのが!」
女の声だった。
さっきのガレアスの子と同じくらいだろうか。俺が教育した一人かもしれない。
通信は、地形図の座標と助けてという単語を繰り返していた。
こっちの残弾はまだあった。ギアを2速に入れて、アクセルペダルを蹴り飛ばす。
崩れた建物を踏み越えて、固まって転がる肉塊を押しつぶし、積みあがった掩体も蹴り壊す。
不思議と、その道は敵が少なかった。
だんだんと道端の残骸が減っていく。
一陣の風が、吹き抜けた。
払われた煙の隙間から、夕日が差し込む。
斜めになったビルの影に、桜色の光線が閃いた。
正面の暗がりから、吼えるような轟音が大きく、急速に近づいてくる。
反射的にギアをリバースに入れていた。
クラッチを離した瞬間、視界を銀色のフラッシュが染める。
一歩下がったのと、超硬合金のクローが空を切ったのはほぼ同時だった。
「速い……」
三八式の動きじゃない。東側の
そいつは飛びのくと、腰を落とした姿勢でクローを構えなおした。
ツインアイのような複眼、細身の胴体。黒い塗装のせいで細部のシルエットはおぼろげだが、腕に振袖のような膨らみがあるようだった。
火花を散らして、三叉のクローが展開する。
スパイクのついた脚が動き、巨体が跳ぶ。道路の破片を巻き上げながら大質量が迫る。
回避。間に合わない。踏み込んで間合いをずらす。
胴の装甲が浅く切られて、耳障りな音をたてた。
30mm口径のAP弾までなら耐えられる鋼鉄とクロムの均質圧延装甲が、まるでチーズのようだった。
胴体がかち合い、敵のカメラアイが目の前で明滅する。
迷わず機関砲のトリガーを引いた。この距離なら正面装甲でも貫徹できる。
爆火が上がり、弾が空間を切り裂く――だが、命中することはなかった。
「なに……」
ちらちらと赤く燃える曳光弾が、空中で止まっていた。
モニターの焼き付きじゃない。矢じりのような徹甲弾も一緒に止まっているのが見えた。
機関砲はまだ火を噴いている。
徹甲弾のサボットが銃口から散り、細長いウラニウムの弾芯が敵をめがけて飛翔する。
衝突まであと数十センチのところでいきなり運動エネルギーが消えて、止まる。
敵のピンクの目が細められた。
いきなり躯体が何かに押され、シートベルトが胸に深く食い込む。
遠ざかっていく敵のシルエットと、アラームで真っ赤に染まるコクピット。
吹き飛ばされながら理解した。これは弾を止めた力と同じものだ。
センサがへしゃげて、計器が次々と沈黙していく。
あいつは振袖のような腕を広げて、高らかに機関音を響かせた。
またどこかで核爆発があって、ビルが消し飛ぶ。
爆炎に包まれた街並みに、隠れていた無数の残骸があらわとなった。
赤いガレアスが、腹をえぐられていた。ハルクは四肢をもがれ、戦車たちは原型をとどめないほどに破壊されていた。
東も西も関係ない。ぜんぶ、こいつにやられていた。
悪魔が爪を伸ばす。今は、こいつがMLFVじゃないことを理解できた。
こんなものが兵器であるはずがない。
俺は、自分の唇がめくれるのが分かった。恐怖で指が震えている。操縦桿に置いた右手がかちかちと無意味にボタンをまさぐった。
夢だ。
さっさと醒めてくれ。
三叉になったクローが迫るのを見つめながら、ひたすらそう祈ることしかできなかった。
◇◆◇
エレベータが下がっていく。
隣の千歳は、さっきから黙ってファイルを見つめている。
だが仕事の内容を確認しているのではない。スリーブに挟んだ写真を眺めているだけだ。
この女は、大戦以来、すべての感情を失ったようだった。
笑いもする。怒りも、悲しくて涙を流しもするが、それらは社会に溶け込むために、感情をエミュレートしているだけだ。皮膚の下にはひたすら無表情な女の顔がある。
「中尉は32
彰真はいま思いついたように言った。
「はい。何か?」
「『燃える帝都』をじかに体験しているわけだ」
極東戦争の最終局面で、歩兵部隊による大規模な核弾頭砲撃が行われた。
あの日の光景を思い出すと、今でも身体が震える。
この女とは逆に、こちらは感情が激しくなったように思う。
「ひどい戦争だったよ」
「あの……申し訳ありません、大尉どの?」
「すまない。たまに独り言を他人に向かって言う癖があってね」
いつも気が付くと、意識があの戦場に飛ぶ。
核の衝撃波で押しつぶされる街並み、炎で押し流される兵器たち。
そして、爪を持つ黒い悪魔。
「時代はいつも予想を上回って変わる」
千歳は何も言わない。
「WW1では装甲巡洋艦をヨーロッパに派遣するだけでやっとだったこの国が、今や世界有数の軍事大国だ。おまけに実戦で最も原子爆弾を消費した軍隊も抱えている」
そのときエレベータが止まった。
ドアをくぐりながら、彰真は微笑んだ。
「21世紀はこれから凄いものになるぞ。しかも、それのきっかけになった出来事で、俺たちはサバイバーになったんだ。世紀に一度のイベントを経験できた。幸運じゃないか?」
「私は、あの戦禍を幸運だとは思いたくないです」
千歳はかぶりを振った。
「それが普通の感覚だよ」
彰真はうなずいた。
「だが、俺にとっては幸運も不幸も大した違いはない。大事なのは、そこに俺がいるということだ」
廊下が終わると、巨大な空間が現れた。彰真は足場の手すりからのぞき込む。
先の極東戦争で、司令部は転身を繰り返した。
やがて軍用シェルターごとに、通信施設と整備機能を持つものが現れるようになる。
「ようやく、この日が来た」
コンクリートで補強された
天井は縦横にガントリークレーンが据わり、床には整備用ジャッキが敷かれている。
最奥で、調査中の兵器がライトアップされていた。
黒い外装のMLFV。両手を失い、頭部が半分砕けていても、細身の躯体は見間違えようがない。
「手術の準備ができました」
足場を昇ってきた技官が、千歳に報告する。
「ありがと。でも、あと少しだけ」
彼女も手すりに寄りかかり、奥のMLFVを見つめた。
薄い色の瞳には、相変わらず何の感情も無いように見える。
しかし彰真は、それが表情を失った彼女なりの、怒りの表現だと知っている。
この日のために、多くを犠牲にしてきた。彼女のことは、誰よりも知っている。
「行こう」
彰真は、千歳の手を握った。
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