第25話 真田衆として
伊達屋敷まで、潜んでいる長屋からそう距離があるわけではない。しかし落人狩りは今だ盛んで、もし阿菖蒲の素性がバレでもしたら即座に徳川へと突き出されてしまうだろう。
「道には何名か黒脛巾組を置いてある。あとは真田の者で護衛を固めろ」
「はっ」
金助の指示に佐渡は楓を見た。
「楓、お前が阿菖蒲様をおぶってゆけ」
「はい」
楓のような若い女が小さな阿菖蒲をおんぶしていたところで怪しまれはしない。
「では、明日の昼過ぎ。伊達屋敷で待っているぞ」
「分かりました」
夜であれば人目につきにくくはあるが、それゆえに見つかれば怪しまれる。
「では楓のことは、ねぇね、と呼びますね」
そう言った阿菖蒲を金助は感心したように見た。
「やはり、というべきか。利発なお子だ。待っておりますよ」
「はい!」
物怖じしない阿菖蒲を安心したように見て、金助は佐渡に頷くと長屋を出ていった。
「さて。では、明日に備えましょうか」
「ああ、そうだな。俺は他の者達に指示を出してくる。楓、ここを頼むぞ」
「はい。承知しました」
佐渡も長屋を出ていくと、しんとした部屋のなかで阿菖蒲が楓の手をきゅっと握った。
「必ず、姉上達と会えますよね」
楓は思わず阿菖蒲を抱き締めた。
「阿梅様に誓いました。貴方様を白石までお連れすると。その誓いに変わりはありません」
「……………一緒に行きましょう、楓」
「はい」
二人は誓いを新たに、明日への準備を始めた。
伊達の屋敷へと移る日は、まったくの散歩日和だった。
晴天の下、阿菖蒲は無邪気な笑顔で楓の手を引いた。
「ねぇね、ねぇね! おんぶしてください!!」
「まぁ、甘えん坊さん」
人通りの多い道で、ちょっと歳の離れた仲の良い姉妹のように振る舞って、楓が阿菖蒲をおぶる。
佐渡はその斜め後ろで油断なく周囲に気を配った。
(これといって、怪しまれてはいないようだ)
視線があった楓に佐渡は目の動きだけで「行け」と指示を出す。
楓は阿菖蒲おぶって大通りを進みはじめた。楓は伊達屋敷にいたる道は細道まで全て暗記してあった。
「ねぇね、風車が売っています」
「………買ってあげようか?」
「本当!? あ、でもでも、お団子も食べたいから、うぅん、どうしよう」
演技とも思えない阿菖蒲の口ぶりに、楓は口元に笑みを浮かべ呑気に話した。
「団子なら河原へでも行って食べようか」
「わぁっ、いいの?」
「でも、ねぇねは露天も覗きたいなぁ」
「うん! ねぇねのご用事のあとでいいの!」
嬉しくって堪らないというように阿菖蒲が楓の耳のあたりに頬を寄せる。
「ねぇね、大好き」
「ふふっ、くすぐったいったら!」
仲の良い姉妹にしか見えない二人は大通りをどんどんと進む。人通りの多い往来はどちらかといえば安全だ。
問題は武家屋敷が並ぶ区画。それこそ、疑いの目がわんさか光っているそこを、若い女子と幼女だけで抜けるのは難しい。佐渡は大通りから武家屋敷へと続く道の手前であえて楓に近づいた。
「そこの女子」
「はい、何でしょう?」
「少々、聞きたいことがある。かまわぬか」
「はぁ。何でございましょう」
「伊達屋敷はどちらか?」
「伊達様のお屋敷ですか? それなら、この道を行ったところですが」
「…………案内を頼めるか」
楓はおぶった阿菖蒲をちらりと見ると、阿菖蒲はすぐに楓に応えた。
「ねぇね、案内してさしあげましょ。困っているのだもの。ね?」
「そうね。急ぐ用があるわけじゃないものね」
芸が細かいことだと佐渡は内心で驚いた。
「こちらですよ」
案内する楓の演技も自然だ。
佐渡はつかず離れずの距離で二人について行く。
色々な方面から探られているのが分かるが、所々に露骨なほどの忍びがいて、それがまた同業者の足を止めていた。おそらく、あれが黒脛巾組だろう。
だが一番の難関はやはり伊達屋敷の周辺だった。伊達の動向を探る為の徳川の者が、あの場所を見張っている。
大阪の役の直後、混乱に乗じた時ならまだし簡単だったろうが、今は警戒度も上がっているのだ。
(人の出入りは見張られていると考えた方がいいな)
と、道角に立っていた行者が、すっと佐渡の方に足を向けた。
警戒した佐渡だが、行者は楓や阿菖蒲には目をやらず、ただすれ違っただけだった。佐渡にだけ聞こえる低い声で「見張りはいない」と囁いて。
(今ならば怪しまれない、ということか)
佐渡は金助と打ち合わせした通りに、伊達屋敷の板張りの土塀の脇の小道を進んだ。すると中程で土塀の板がガタリと外され、楓と背格好の似た女子と、これまた阿菖蒲と同じくらいの幼女がそこから現れた。
そして出てきた女子は楓に目配せする。楓は素早く塀の内へ飛び込んだ。と同時に、板はすぐにまた元のように戻される。佐渡はひとまず安堵した。
これで少なくとも落人狩りからは逃れることができる。
楓の身代わりである女子は幼女をおぶり、佐渡に頷いた。佐渡は彼女について表の門までまわると、そこで彼女と別れ伊達屋敷の門を叩き、門番と二三言葉を交わして、中へと入った。
「首尾よくいったようで」
外からは見えないところで待っていた金助が真っ先に佐渡に言った。
「どうでしょう。多少、怪しまれたように思いますが」
「だとして屋敷の内までは見通せまい。それに外の動きもない。入れ代わりに気付いてはおるまい」
「であればよいのですが」
そこで佐渡は楓と阿菖蒲の姿を見つけてやっと警戒を緩めた。
楓が思わずといったように聞いた。
「あの、先ほど身代わりになってくれた彼女達ですが、大丈夫でしょうか」
憂い顔の楓を安心させるように金助が頷いた。
「大丈夫だ。護衛をつけてある。それにあの娘達は本物の伊達の女中達だ。何かあれば伊達を敵にまわすことになる。もし怪しまれたとして、そう大事にはなるまい」
ほっとしたような楓と阿菖蒲に佐渡は言った。
「俺は一旦ここを離れて外の様子を探る。他の真田衆の者達のこともあるからな」
「そのことなのだがな」
ふいに金助が佐渡に文を差し出した。佐渡はそれを受け取り、目を通すと瞠目した。
そして目を開け、金助に頭を下げる。
「かたじけのう、ございます」
「私の決定ではない」
「それでもです」
「………………そなた等の忠義と働きに対する証と思われよ」
「有り難き、お言葉です」
佐渡はそれ以上は何も言わず、ただ楓に「あとは頼んだ」とだけ言って伊達の屋敷を出た。
警戒を怠らず、佐渡は周囲を探りながら移動する。身代わりに気付かれた様子はこれといってない。
これで阿菖蒲は疑われることなく京を離れることができるだろう。
(そして、我等は真田衆ではなくなるのだ)
阿菖蒲を白石に送り届ける、この仕事を最後に。
あの文は、太宰金助の主、伊達成実からのものだった。文には生き延びた真田衆の者を、黒脛巾組として雇いたい旨が記されていた。
そうなることを佐渡は薄々察していた。否やもない。有り難いことだ。
(もう、真田の者ではなくなる――――だが)
あの御方の意志は守ろう、と、佐渡は思った。
阿梅をおかねを、大八を。そして阿菖蒲を。何としても守らんとした、彼の人の意志を。
だからこそ佐渡は真田衆ではいられない。黒脛巾組となって、奥州の地を守る忍びとならねば、あの子供達は守れない。
おそらく伊達政宗公はそれを見透かしている。
(俺は守る)
真田を名乗れないとして、それが何なのだ。
その志は魂に刻まれている。佐渡は真田信繁に仕えていたからこそ、真田を捨てる覚悟をしたのだった。
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