第23話 京での動き


 人影もまばらになった、夜更けの京。ごく普通の町人姿をしているが、鋭い視線を周囲に走らせている痩せぎすの男は怪しい者がいないことを確認すると、路地裏にするりと滑るようにして入った。

 そして奥の長屋の戸を叩く。

「楓、俺だ、佐渡さわたりだ」

「――――今、開けます」

 潜めた女の声が応え、戸がカタリと動く。佐渡は僅かに開いた戸からさっと部屋に入った。

 戸のそばには粗末な着物を身にまとった楓が待ち構えていた。

「佐渡様、外の様子はいかがでしたか?」

 佐渡は肩をすくめた。

「忍やら浪人やらがわんさといるが、バレてはいないようだ」

「そうですか」

 楓は頷くと神妙な顔で佐渡に聞いた。

「それで、覚佐衛門かくざえもん様は何と?」

「あの御方はしばらく京を離れないそうだ」

 景国が京を動かないのは、大八の行方を分からないようにする為だ。それは佐渡をはじめとする真田衆を信頼してこその判断。

 佐渡も楓も、それは承知していた。

「伊達屋敷に動きは?」

「まだだ。もうしばらく、ここに潜伏する。だが、そう長くはない」

 佐渡のそれは希望的観測ではなく、重綱から伝えられた阿菖蒲の移送手段を考えた結果のことだ。

「分かりました。今しばらくの辛抱ですね」

「ああ」

 頷く佐渡に楓は首を傾げた。

「今日はこちらでお休みになりますか? よろしければ、何かこしらえますけれど」

「ああ、頼む」

 土間に下りる楓と入れ代わり、佐渡はわらじを脱いで部屋へと上がる。

 そんな彼を歓迎するのは可愛らしい声だ。

「佐渡!」

 彼女の可愛らしさに、佐渡もつい緊張の糸を切らしそうになってしまう。

「姫様、あまり声を上げてはいけませんよ」

 とは言いながらも佐渡は表情を緩め、にこにこと笑いかけてくる少女の傍に腰を下ろした。

 まだ幼い彼女は、この京に一人残されてしまった真田の遺児、阿菖蒲おしょうぶだ。

 しかし彼女は怯えて泣くでもなく、こうして屈託のない笑顔を見せる。なかなかどうして、肝のすわった姫だった。

 大阪を脱出する際など、腹痛を装って関を抜けた―その迫真の演技に役人が心配したほどだ―というのだから、たいしたものだ。

「ご不便をおかけしますがもう少しの我慢です」

「分かっておりまする」

 佐渡が言えば阿菖蒲は無邪気に頷いた。

 大八よりほんの少しだけ歳上の阿菖蒲だが、見た目の幼さは同じくらいに見える。しかし我慢強さは姉の阿梅に並び、そして朗らかだった。

「佐渡や楓がおりますもの。きっとまた姉上達に会えます」

 微笑みながら言う阿菖蒲に佐渡は思わず目を細めた。

 阿菖蒲の無事を誰より祈っているのは阿梅だと、佐渡は知っていた。

「必ず白石までお連れしますよ」

 佐渡の前に雑炊の入った椀を置いて、楓が微笑みながら阿菖蒲に言った。佐渡は椀を手にして楓を見る。

 阿菖蒲を守り支える彼女もまた気丈であり、阿菖蒲と共に無事に白石へと行くのだと、信じて疑わないようだった。

「すまん。助かる」

「お口にあうといいのですが」

 すると阿菖蒲がすかさず言った。

「楓の料理は美味しいのよ!」

 くすりと笑って楓は芝居がかって頭を下げた。

「お褒めくださり、まこと光栄の極みにございます」

「もぅ、本当のことなのに!」

 じゃれあう二人の前で佐渡は椀に口をつけた。

「うん、美味い。姫様の言う通りだな」

「でしょう!」

「まぁ、佐渡様まで」

「いやいや、世辞ではない。本当のことだ」

「……………ありがとうございます」

 頬を赤らめる楓と彼女にじゃれつく阿菖蒲を眺めて、佐渡は雑炊を一気に口にかき込んだ。

「あぁ、美味かった。馳走になったな、楓」

「いいえ、お粗末さまでした」

 身を隠さねばならぬ日々だが、阿菖蒲も楓もむやみに怯えたりはしない。それが有り難くも頼もしい。

 この二人を必ずや阿梅のもとへと連れていくのだ、と、佐渡は今は亡き信繁を思い浮かべながら強く思うのだった。








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