三日天下

六月四日 北ノ庄城


「何、光秀の謀叛により上様と信忠様が討たれただと!?」


 急報を聞いた勝家は思わず天を仰いだ。勝家は家康や秀吉と違い、光秀が信忠とともに信長を諫めるという話すら全く聞いていなかったので驚きは大きかった。まさに青天の霹靂である。

 しかし数日前から領内で京で変事があるという噂が流れていたのも事実である。もしやそれはこのことだったのか、と思った勝家だがそのおかげで京の状勢を探れていたのは事実である。


「いや、真相を調べるのは後だ。ただちに全軍を集めよ。盛政・利家・成政にもこのことを知らせるのだ!」


 勝家はただちに使者を遣わしたが、幸か不幸か勝家軍団の領地は広く、越前・加賀・能登・越中、そして越後の一部にも及ぶ。越前だけでもその面積は広く、兵力を集めるには時間がかかるだろう。


「とりあえずわしの軍勢だけで先に出立する。盛政らには後から出来るだけ急いで追いかけるように伝えよ! また、北ノ庄に参ずるのが難しい者は金ケ崎で待つように伝えよ」

 金ケ崎は昔信長が朝倉攻めで敗走した越前の南の端に位置する場所である。北ノ庄は比較的北寄りにあるため、速さを重視するなら金ケ崎に行かせた方が都合が良かった。



 翌日、勝家はすぐに参集した一門の柴田勝豊・勝政ら、家臣の毛受勝照、山路正国らを集めて城を出た。

 しかし行軍しつつも勝家は悩んでいた。光秀が謀叛を起こした以上京周辺を押さえるのは時間の問題である。時間を置けば摂津や近江も制圧してしまうだろう。そのため、言うまでもなく出来るだけ早く急行することが必要だ。


 しかし一方で明智軍一万三千に加え、筒井順慶・細川藤孝・高山右近・中川清秀らが光秀に味方すれば三万以上の大軍に膨れ上がる可能性もある。時間を置けば在地の武将も保身のために降るかもしれない。越前の兵力を全て集めたとしておよそ一万五千。盛政ら後続を待たなかえれば兵力では敵わない。


(いや、光秀とてこちらに全軍を向けることは叶わぬはず。大坂には信孝様と丹羽殿もおられる。三万の半分の一万五千と考えれば越前の兵力のみでひとまず足りるか)


 そう考えた勝家は金ケ崎にて兵を集めるとそのまま近江に南下した。近江は丹羽長秀の所領が多いが、長秀は大坂におり空白とも言える。


六月九日

 近江に入った勝家が長浜周辺まで南下してくると、京極高次が数百の兵を引き連れて現れた。

「申し訳ありません柴田様、我が義弟の武田元明は愚かにも光秀の誘いに乗り挙兵し、佐和山城を占拠してしまいました。しかしそれがしは決して織田家の御恩を忘れてはおりません」

 武田元明は元々若狭守護の家系であったが、現在は丹羽長秀の一与力となっていた。元明はかつての栄光を取り戻すべく一か八か光秀に味方したのだが、高次は南下する柴田軍を恐れて勝家に味方した。


「光秀の謀叛に乗じるとは卑怯な。即刻攻め落としてくれる!」

 勝家が佐和山城に猛攻をかけると元明ら武田旧臣はなすすべもなく敗北。数時間あまりで城は柴田軍の手に落ちた。


 しかしこの時すでに勝家の元には、大坂の信孝と長秀が津田信澄を襲撃して討ち取ったはいいものの兵士の動揺が激しく動けないという報と、秀吉が毛利と和睦を成立させて京を目指しているという知らせが入っていた。


「筆頭家老であるこのわしが羽柴に後れを取る訳にもいかぬ」

 佐久間信盛の追放により、織田家譜代の重臣は勝家を除けば丹羽長秀ぐらいになっていた。秀吉の出自は不明だし光秀や滝川一益も外様である。その長秀も現在は居城を失い対応は後手に回っていると聞く。それならば譜代筆頭の自分が頑張らなければ、という意地があった。


 翌日、勝家の元に今度は安土城留守居の蒲生賢秀親子がはせ参じた。彼は明智秀満の軍勢が安土に迫ると信長の妻たちを保護して退避していた。

「留守居でありながら光秀に城を渡すことになってしまい申し訳ございません」

 賢秀と息子の氏郷は深々と頭を下げる。しかし彼らのような小勢力が光秀に降らなかったのは大きい。

「小勢とはいえよく光秀の誘いを断った。城はこれから取り返せば良いことだ」


 さらに勝家の元には山岡景隆も参じている。景隆は近江へ入る明智軍相手に瀬田橋を落とすなどの抵抗を行ったため勝家は彼らにもねぎらいの言葉を与える。

 そして満を持した勝家は安土城に軍を進めた。


「勝家様、安土城に火の手が上がっております」

 先鋒を務めていた勝政からの伝令があり、急行した勝家は目を疑った。信長が築いた荘厳な天主は紅蓮の炎に包まれていた。壮麗な城が炎に包まれている様は幻想的ですらあった。統治する城であり、守るための機能はあまりなかった安土城では柴田軍を迎え撃つことは出来ないと判断したのだろう、明智秀満は逃亡したという知らせが入った。

「すぐに消火に当たれ! せめて城下町だけでも守るのだ!」

 勝家は下知を飛ばして消火作業に当たらせたが、結局進軍は安土で止まってしまった。



 二日後、ようやく消火や民衆の鎮撫を終えた勝家は明智秀満が迫守る坂本城へと到達した。すでにこの日、秀吉は信孝や光秀につくとも目されていた中川清秀や高山右近らを加えて摂津富田に布陣しており、光秀はそちらの防衛に追われて援軍を向けることが出来なかった。


 坂本城は光秀が丹波に移る前に居城とした城であり、琵琶湖を見下ろすように天主がそびえたち、湖の水を堀に引き入れた美しい城であった。秀満も光秀が戻ってくるまで絶対にここを通さないとばかりに固く城門を閉ざす。

 さすがに力攻めでは攻略は難航する、と考えた勝家は京極高次・山岡景隆・蒲生賢秀を集める。

「明智に与した近江衆に降伏を勧告せよ。今降れば命まではとらぬ、と」


 すでに柴田・羽柴両軍による挟撃に遭った光秀に未来はなかった。仮に光秀の主力が秀吉を破り、坂本城が持ちこたえたとしても、佐久間盛政ら北陸勢の援軍が数日以内に到着する。すでに勝敗は決し、あとはどのような幕引きになるかだけであった。

 内通した者たちは例え所領を失っても命が残るだけ幸運であるという状況だった。


 その日の夕方、近江衆阿閉貞征から内応の書を受け取った勝家は、翌十三日の未明に城攻めを開始した。秀満は懸命に抗戦したものの、内通した貞征が城門を開けると柴田軍がなだれ込んだ。そこへ盛政ら後続軍の先鋒も到着して城攻めに加わる。それを見た城兵ももはや明智方に勝機なしと戦意喪失。逃亡が相次いだため、秀満は天主に火をかけて自害した。


 奇しくもこの日六月十三日、山崎では光秀が秀吉に敗れて敗走した。

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