変
六月三日
本能寺の変が起こった際のごたごたに備えて俺は新発田ではなく長岡に滞在していた。新発田では春日山城や坂戸城への距離が遠すぎるためである。結局甲州征伐から戻って以来、内政や佐渡遠征で新発田には数日しか戻ることが出来なかったが仕方ない。
この日明智光秀に毛利と対陣する羽柴秀吉の援軍が命じられたという知らせが届いた。
一方、織田信忠は一日に上洛して信長と会談したらしい。信長の近くに大兵力はなく、細かい状況の違いはあるのだろうが、おおむね史実と同じ状況が整ったと思われる。
六月五日
「ご注進! ご注進でござる!」
昼頃、長岡城に息をきらして馬に鞭打ち、駆けてくる人影があった。俺はついに来たかという気持ちになる。
「その者をここへ通せ」
「六月二日未明、明智軍一万余の襲撃により本能寺の織田信長、妙覚寺の織田信忠の両名、討死!」
部屋に入って来るなり使者はそう叫んだ。周囲にいた者たちはその知らせに騒然となる。
「なんと。討死は確かか?」
「はい、女官など寺から脱出した者は皆明智軍に保護されたとのことです」
そう言って使者は疲労のためかその場に倒れた。
「ついに起こったか」
驚きはなかった。起こるべき事件が起こったという感想しかない。問題はここからどう動くかであるが、それについてはあらかじめ決めてあった。
「ただちに領内の全武将に触を出せ。信長様・信忠様が明智光秀の謀叛により討死した! 我らはこれより上杉景長殿の元に参じて合力する!」
変は史実通りに起こったものの、越後周辺の状勢は史実とかけ離れており、こちらには模範解答はない。上杉景長に合力というのは方便で、実際はこの期に乗じて起こるであろう上杉家のごたごたに介入することが目的である。
ただ、いたずらに兵を動かせば景長が上杉家をうまくまとめていた場合、いらぬ誤解を受けかねないため一応口実を設けた。
俺の命令を受けて最初に参上したのは近隣の栃尾城にいた本庄秀綱であった。歴戦の武将である彼もさすがに今回の報には動揺を隠せなかった。
「信長様と信忠様が討ち死にというのはまことですか」
「おそらくな。今後上杉家では異変があるだろう、俺は上越に向かう。おぬしは上田の動向を見守るように」
現在坂戸城には織田方の毛利秀頼が守っているが、家を潰された上田長尾家の旧臣がこの機に何かをしないとも限らない。
もっとも、上田長尾家は現在当主を失っており、どのように動くのかは未知数だった。坂戸城を奪還するのか、春日山城に向かうのか、それとも様子を見るのか。
「もし異変があったらどのようにいたしましょう。こちらから兵を動かしてもよろしいでしょうか?」
「そうだな。基本的には毛利秀頼殿に味方するように。もし毛利殿が城を退去すれば坂戸城を回収せよ」
毛利秀頼は史実では南信濃の飯田城を治めていたが、一揆を恐れて尾張の本領に逃げ帰った。構図が変わっていない以上同じことが起こる可能性は大きい。その機に乗じて坂戸城を手に入れることが出来れば大きかった。
坂戸城を力攻めで落とすのは北条氏でも不可能だったため、出来るならこのごたごたに乗じて手に入れたかった。
「上田長尾家の者とは戦ってもよろしいでしょうか」
「敵対するようであれば問題ない。その辺の判断は任せる」
「かしこまりました。早速兵を整えます」
そう言って秀綱が退出しようとしたときだった。
「重家様、明智光秀からの使者が来ておりますが」
門番が遠慮がちに声をかけてくる。俺も一応織田方の武将として見られている以上使者が来るのも不自然ではないか。
「通せ」
こちらの使者も全力で駆け付けたらしく、息を切らしている。
「我が殿、明智光秀様はこのたび、織田信長の暴政を諫めるべく上洛いたしました。しかし残念ながら信長は自らの暴政を反省することなく、殿は断腸の思いで信長を討ちました。また、この際信忠様も殿の方針に反対したため、討っております」
「信長の暴政というのは何だ」
「朝廷を蔑ろにして自らの恣にしていることを筆頭に、比叡山や恵林寺を焼き討ちしたこと、佐久間信盛殿を筆頭に重臣を次々と追放したこと、約定を違えて長宗我部征伐をしようとしていること……」
その後も使者は細々とした信長の悪行を続けた。正直それらの事柄が本心なのか、ただの大義名分なのかは今の段階では判別出来ない。
それよりも俺が気になったのは光秀が信長を諫めるべく上洛したというくだりである。
「光秀は本当に信長を諫めるために上洛したのか?」
「はい、その通りでございます」
とはいえ、光秀が自分の行動を正当化するためにそう言っているだけという解釈も出来る。本当にそうならば信長を殺す必要はないのではないか。
しかし信長に諫言して受け入れられなかったらただではすまないということもあるのかもしれない。そして信長を殺した以上信忠も殺さざるを得なくなったということか。
「信忠様は光秀殿の企てを知っていたのか?」
「さあ、そこまでは……」
使者は言葉を濁す。
「とはいえ、我が殿の挙には義があります。是非御助力ください」
「そうは言っても我らのいる地は京から遠い。我らはこの地の乱を鎮めるのに手いっぱいになるだろう」
正直光秀に味方することも敵対することも不可能である。
使者もそれは承知しているのか、それ以上のことは言わなかった。
その後最初に来た使者に確認すると、明智軍が本能寺に突入するまでに、戦というほどではない小競り合いがあったという。また、信忠も本気で現場から離れようとすれば離れることが不可能というほどではない状況だったという。
もちろんそれは第三者の後知恵ではあるが、信忠があえて変の現場から離れなかったのは事件に関係していたかもしれない、と思わなくもない。
そんなことを思いつつ翌六日に俺は集まっていた兵力のみを率いて春日山城を目指した。
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