遺臣

 織田軍が甲斐に突入すると、武田家は呆気なく滅亡した。しかし織田軍はそれに浮かれることなくそれぞれ次の行動に移っている。

 滝川一益は軍勢を率いて上野に入り、内藤昌月や北条高広といった残った武田方の武将を平定に向かっている。甲斐は降伏した穴山信君の領地以外は河尻秀隆に与えられ、秀隆はしばらく残党狩りと内政に追われることになる。


 信濃は一益に佐久、秀隆に諏訪、木曽義昌に木曽や深志が与えられた他、北信濃の海津城に森長可が入っている。また、国境付近の地は柴田勝家に与えられた。


 こうして織田軍がそれぞれの支配地に散っていく中、俺は前田利家とともに越後にとって返さなければならなかった。

 あっという間に武田が滅びる一方、越後では勝家らが春日山城周辺に砦を築き、長期戦の構えを見せていた。一方、佐久間盛政も坂戸城に向かい周辺の荒砥城や樺沢城を落としているが、坂戸城は依然として抵抗を続けているとのことだった。


 利家は勝家に気を遣ってすぐにとんぼ返りしていったが、俺は後学のために信忠や河尻秀隆の甲斐における統治を見学するため二日ほど時間をもらった。

 織田家の方針は武田残党は苛烈に処罰するものの、農民たちは徹底的に保護するというもので、その線引きは厳しく行われた。信忠によると降伏した小山田信茂も許さないということらしかった。


 兵力が多い織田軍がどのように兵士を統制しているのかは興味があったが、農家で略奪を働くなどの者は裏付けが取れ次第腹を切らされている。悪く言えば見せしめ的な処罰を行うことで大軍の統制を保っているようだった。


三月十一日 諏訪

 その後俺は甲斐を出て越後に向かう途中、諏訪で野営を行った。実際に織田家の領国仕置を見たかったというのも嘘ではなかったが、利家らの軍勢と距離を置きたかった事情があった。


 諏訪で野営している新発田軍の元へ、戦火で家を追われた民がばらばらと駆け込んでくる。実際に新府城や甲府は焼けており、避難民が続出した上、諏訪の領主となった河尻秀隆は甲斐での残党狩りに追われていることもあって、今だけは無法地帯となっていた。その隙をついて甲斐の金山にいた金山衆の者たちを千代女の手引きで一部呼び寄せたのである。


 このころにはすでに信玄の財政を支えた黒川金山は枯渇しかけており、金山衆は駿河の安倍金山などに向かった者もいたが、やや人手が余っていた。


 俺の前に現れたのは白髪交じりの年老いた男を筆頭に逃亡農民に扮した男たち三十人ほどである。

「それがし、元武田金山衆の田辺新兵衛と申します。以後お見知りおきを」

 先頭の老人が代表して頭を下げる。これまで会ってきた武士や商人とは完全に違う人種で、彼の印象は“静”だった。武士であればお家存続や武功の主張、恩賞の要求など様々な意図があるし、商人であれば愛想を振りまく者が多いが、彼はどちらでもなかった。


「越後に来ていただけるとのこと、感謝している」

「我らにとって場所はどこでも変わりませぬ。ただ、目の前にある山を掘るのみでございます」

「そうか、その働き楽しみにしている」

「しかし寡聞にして越後の金山の話はあまり聞いたことがありませぬ。景勝の出身地、上田庄にはあると聞きましたが」

 他国の金山事情にも詳しいようだった。まだ先の話になるが、この際なので話しておくことにする。


「実はまだ領地にはしていないが、佐渡島には隠れた鉱山があるのではないかと睨んでいる。とはいえ、そなたらを招くほどだからほぼ確信に近いものだ」

「何と……まさか海のない甲斐から海の真ん中の島に行くことになるとは」

 新兵衛は小さく驚く。

「安心せよ、おそらく、佐渡の金山は大きい。堀り甲斐のある山だろう」

「ちなみに、新発田家には金山の知識がある者はいらっしゃいますか?」

「全くおらぬ。そのため、まずは俺が佐渡を制圧するまでの間に人を差配するのである程度の教育を頼みたい」

「なるほど……かしこまりました」


 越後も内戦続きで路頭に迷う者は出ている。特に春日山・御館周辺は御館の乱で何度も焼けてから復興する間もないため、潜在的な難民は多いはずだ。それらの者を金で雇って新兵衛の下に回そう。


「ちなみに武田の金山は今はどれくらい出ていたのか」

「まず黒川金山が枯れ、信玄公は安倍金山を得るため今川領に乱入したという話もございます。それからしばらくは安倍金山からは金銀が掘れたのですが、それも勝頼様の代に枯れ、北条家が持つ伊豆の金山に攻め入ることもありました」

「なるほど。それなら甲斐に残っても仕事はなかったということか」

「おそらくその通りでございます」


 それを聞いて俺は安堵する。もし甲斐や駿河に金山が残っていれば織田家は俺の行動を良く思わないだろう。また、いくら織田家の残党狩りが苛烈とはいえ金山衆まで追い回すとは思えなかった。

 むしろ問題があるとすれば、この後来るであろう人物だろう。


 翌朝、俺の元に二人の武将が現れた。一人はおそらく五十ほどと思われる老齢の武将で、もう一人は壮年の武将である。

「それがしは武田家の旧臣で曽根昌世と申します。以後よろしくお願いいたします」

「おお、あの信玄の両目と言われた者か」

 逸話によると信玄は昌世と真田昌幸を自分の両目と呼んでいたという。目には油断のならない光をたたえている。


「いえ、両目とは申せど真田殿に比べれば大したことはございませぬ」

「真田昌幸のような者が何人もいては困る」

 俺の言葉に昌世は苦笑する。


「ちなみにどのような戦歴があるか」

「はい、三増峠では殿軍の浅利信種殿の戦死後に代わりに殿軍の将を務めておりました。その後は主に駿河で戦い、興国寺城の城代なども務めておりました」

「一軍、一城を任せられる者を求めていたので大いに期待している」

 その言葉に昌世は満足そうに頭を下げる。自分を安売りするつもりはなかったのだろう。


 そして俺は次に隣の武将に目を向ける。こちらは昌世ほど老獪な印象はなく、どちらかというと実直そうな武士であった。

「それがしは春日信達と申します」

「おお、あの高坂昌信殿の嫡子か」

 残念ながら元々の俺の知識にはない人物なので、歴史に名を残すほどの人物ではないのだろうが。

「はい、その通りでございます。海津城の城代や駿河の城代などを務めておりました」

 ちなみに元々高坂昌信は北信濃の春日家の出身であり、高坂の姓を名乗っていた期間が短かったため、信達は春日の姓を名乗っていた。


「残念ながら出身の地からは離れるが、新発田家は領地が広くなったばかり。働きに応じては出世も可能だ」

「はい、尽力いたします」

 こうして俺は今回の遠征で忍び衆と金山衆に加えて二人の武将を配下に加えることに成功した。その後、忍び衆以外は越後に入る前に国境付近で怪我人や病人とともに領地に戻している。

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