富山城攻防戦顛末(下)

九月中旬

 ある日の朝、長親は城内から聞こえてくる騒ぎで目を覚ました。

「何事だ」

「申し上げます、兵糧庫が燃えております……」

 蒼い顔をした兵士が報告に現れる。それを聞いて長親は愕然とした。

「何だと……」


 急いで長親が向かうと、すでに兵糧庫は水浸しになり、火は消えていた。

 しかし中にあった残り少ない兵糧はすでに黒焦げになっている。その周辺では放火をめぐって戦っていたのだろう、三人ほどの兵士が傷を負って倒れている。

「一体何があったのだ」

「申し訳ございません、食事の量が人によって違うとわめきたてた兵士たちが兵糧庫に押し寄せ、口論になったところに突然奴らが現れ、火を掛けられました。彼らはその後城外に脱出したので、おそらく内通者と思われます」

「何と……」

 長親は絶句する。


 先の見えない籠城戦で、敵に大金をちらつかされて裏切らないことは難しい。出来るだけ敵兵との接触がないように、士気が倦まないようには気を付けてきたつもりだったが、それも限界のようだった。食事の量が違うというのが贔屓なのか偶然なのか。


 そこへ騒ぎを聞きつけた兵士たちが何があったのかと集まってくる。もし兵糧が残り少ないことが知れれば暴動になるかもしれない。

「裏切り者が出て兵糧蔵に火をかけたがすぐに鎮火した! この件についてはわし自ら検分するゆえ下がっておれ!」

 長親は咄嗟に兵士たちを追い返す。

「しばらくの間誰も蔵に近づけるな」


 そう厳命して中を調べると、もはや食べられる米は数日分しかなかった。そこで初めて長親の脳裏に開城という文字がよぎった。

「大丈夫だったか」

 そこへ山本寺孝長が慌てて駆けつける。そして目の前の炭になった兵糧を見て愕然とした。

「何ということだ……」

「山本寺殿、かくなる上はやむを得ない。兵糧不足で内紛など起これば我らの武名に傷がつく。そろそろ潮時ではないか」

「しかし、食事を切り詰めて草や木を食えば、まだあと少しは戦えるのではないか?」

 孝長は長親の言葉につい反論してしまったようだ。その言葉を発してすぐに沈痛な表情になる。

「そうだな。だが、ここから半月やそこら持ちこたえたとしてどうする? 兵糧が運び込まれることも援軍が来ることもないだろう。それよりは城兵を生かすよう交渉することが味方のためではないか」

「それは……確かに」

 今ならまだ食糧も尽きた訳ではないし、兵士たちにもこの件は詳しく知れ渡っていない。しかし飢え死に一歩手前まで行けば降伏すら認められない可能性もある。

「しかし城兵の安全な退去だけは譲れない。そして話がまとまるまでは士気が衰えぬよう気を配ってくれ。また、故意にせよ間違いにせよ、食事の量が偏らぬよう気をつけよ」

「分かった」

 孝長も頷く。


 翌日、降伏を決意した長親は織田軍に使者を送った。

 しかし長親は書状にて孝長には秘密で密かに一つの条件を加えていた。それは城兵だけでなく孝長の命も助けて欲しいというものだった。それが認められないなら及ばずながら最後の一兵まで抵抗する、と記した。


 長親がそうしたのには一つ理由がある。御館の乱の折、一門衆にもつらなる山本寺家は父定長が景虎に、孝長が景勝に味方することでどちらが勝っても家を遺すという手を打った。結局乱では景勝が勝利し、定長は行方不明となった。そのため孝長には山本寺家を遺すという使命があるのである。


 一方の河田家は謙信上洛時に召し抱えられた上方の者で、上杉家においては外様である。それでも重用された長親としてはここでこそその恩を返すべきだと考えていた。

 また、血筋も他に残っている。御館の乱の折は越中にいたため織田軍への対処で動きがとれず、なし崩し的に、勝利した景勝に味方した。長親の叔父重親は沼田城にいたが北条家に近いことから景虎方に与し、その後武田方に与したという。そのため、血筋自体は残るだろう。


 織田軍としても、兵糧蔵を焼いたものの城兵にそこまで士気の衰えは見えず、しかもそろそろ冬の訪れを意識しなければならない時期に差し掛かっており、焦っていた。もし話がこじれれば半月か一か月、相手は餓死寸前まで抵抗するだろう。

 来年にあるであろう武田攻めに出来れば越後口から参加したい、という勝家の意向もあった。そのため、勝家も条件は以下の二つしか出さなかった。


・城将河田長親の切腹と引き換えに城兵、その他の将の命は保証する

・城への放火、破却は行わずそのまま織田軍に引き渡す


 織田軍の使者から書状を受け取ると、長親は静かに了承した。

「すまない河田殿……」

 切腹を命じられなかった山本寺孝長は涙を流した。もし勝手に助命を交渉したことなどを知られたら怒るだろうな、と長親は思う。

「いや、わしの家名は重親が遺してくれているはずだ。それにわしはもう十分戦った、悔いはない。これからの上杉家を頼む」

 そう言いつつ、ある意味ここで切腹するよりもその方が大変かもしれぬ、と考える長親だった。が、孝長の方は依然として顔面蒼白である。

「そんな顔をするな。ささやかではあるが最後に宴でもしようではないか」

 そして二人は静かに酒を飲み交わした。


 その後交渉はとんとん拍子に進み、九月末日、長親は織田方から派遣された検視の前で腹を切った。享年三十九である。

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