色部長実

正月八日 新発田城

 途方に暮れる俺の元にお忍びで色部長実が現れた。義弟に当たる長実だったが、俺が上杉から独立してからは個人的な親交は途絶えていた。俺は城内の広間ではなく、あえて私室でこっそり長実を引見する。

 長実の父・勝長は武勇に優れた猛将で川中島の戦いにおける血染めの感状をもらった他、下野唐沢山城に在番し、北条の大軍から城を守り切るなど武功を挙げていた。しかし本庄繁長が信玄に通じて反乱を起こしたとき、城を包囲していた勝長は夜襲を受けて討ち死にしている。長実もそんな父の血を継いでいるのか、武勇に優れた将である。陣営は別れてしまっているが、出来れば正面からは戦いたくない相手だ。


「こうして二人だけで話すのも久しぶりだな」

「そうだな。重家殿が独立したときはまさか上杉を退けるとは思わなかった」

 長実が感慨深げに言う。

「おぬしらが俺の背後を襲っていればどうなっていたかは分からない。景勝の人望のなさが原因だろう」

「そうかもしれぬな」

 長実も俺の言葉を否定しなかった。

「色々あったが、一度本音で話してみたいと思っていてな。前回の会議では余計な者が多すぎて本音では話せなかった」

「そうだな」

 周りに人がいると、陣営をはっきりするような言動はしづらい。その結果、色々なことがうやむやになっていた。ちなみに伊達や蘆名への資金はその後俺がきっちり渡している。


「まずこのたびの上杉の出陣についてだが、景勝殿は本庄殿をことの他怒っていてな。新発田攻めをまじめにせずに庄内にかかりきりになっているのを許さぬと言っていて、留守の間に村上城を攻めよと言われている」

「だろうな」

 しかもその庄内出兵は俺と結んで行っている。景勝から見れば裏切って俺についたとしか見えない行為だろう。その上その繁長が長い間領地を留守にしている以上討つしかない。

「とはいえ、その場合重家殿が我らを襲うかもしれず、そのため景勝殿は新発田攻めの構えを見せている、という状況だ」

「なるほど、つまり今回の本命は繁長殿であり、俺は大人しく守りを固めていれば攻められることはないと」

「そうだな。上杉軍は連戦で疲弊している」

 長実は頷いた。そしてじっと俺を見る。

「それで、事情を包み隠さず打ち明けて俺に動くなと言いたいのか」

「そうだ。そうすれば無駄な戦はせずとも良い」

 長実の言うことはもっともであったが、繁長からの文によって事情は変わってしまっている。どうにか本庄攻めはやめてもらいたいが、長実としても目の前に当主不在の領地があれば攻めるだろう。俺だって攻める。

「こちらの事情ではあるが、出来れば攻めるのはやめて欲しいのだが」

「重家殿。もし大宝寺を手中に収めた本庄殿と手を結ぶというのであれば、我らも本気で動かざるを得ないが」


 揚北の領地は西から順に(大ざっぱだが)新発田→中条→黒川→色部→本庄→鮎川となっており、新発田家と本庄家が上杉から自立して勢力を広げるとなると、挟まれた家は危機に陥ることになる。しかも黒川為実が繁長に歩調を合わせているとなればなおさらだ。

 やはり繁長を見捨てるか? もし俺が繁長と手を結んでいなければ、俺の存在は上杉と揚北の壁となり、揚北衆は景勝の影響をあまり受けずに済むので都合がいい。しかし繁長を捨てれば大宝寺は東禅寺義長に支配されてしまうかもしれない。


 一瞬、繁長と切って義長と結ぼうかとも考えた。繁長を攻める代わりに酒田の税収を全て渡して欲しいというのはあながち無理な取引でもないだろう。ただ、繁長を倒した後に義長が酒田を武力で奪わないという保証がないのが問題だった。繁長が俺を裏切れば俺は領地を攻撃することが出来るが、義長が俺を裏切った場合庄内を攻撃するのは難しい。


 俺の沈黙を見かねた長実は口を開く。

「重家殿、出羽は諦めなされ。すでに越後では上杉家に次ぐ所領をお持ちだ。我らも今の状態が続くのであれば特に敵対する気はない」

 それは確かにもっともな意見だ。出羽に兵を出す前に言われていれば思いとどまったかもしれない。しかしすでに酒田の現状を知り、もろもろ手を尽くした今となってはその選択は心理的に不可能である。

「無理だ……何とかならないか」


「うーむ、それならばいっそ景勝殿と和議を結んではいかがか」

 長実は苦し紛れにつぶやく。

「和議?」

 思ってもみなかった意見に俺は驚く。が、様子を見るに長実もそのつもりで来たというよりはたった今思いついたという感じである。

「そもそもそんなことが可能なら俺は景勝と戦ってはいないが」

「いや、そういうことではない。城を割譲して一時的に休戦するというだけだ。景勝殿が兵を退けば我らも本庄領に兵を出すのは難しい」

「なるほど」

 要するに俺が損をすることで不利な状況を仕切り直すということか。城を割譲するのは嫌だが、その間に東禅寺義長を何とかすれば有利な状況で仕切り直すことが出来る。それに本領や新潟港を除いた、新しく奪った城にさほどの愛着はない。

 そして長実は和睦の仲介者として景勝に恩を売ろうというのだろう。


「長実殿はそれが可能と思うか?」

「正直本庄殿を我らが討ったところで上杉家には何の利益もないが、景勝殿に城が割譲されれば直接的な利益になるからな。可能性はあると思うが」

 言われてみればそうか。今回はこちらも苦しいが、上杉も大分苦しいはずだ。

「分かった。正直本領と新潟港以外の城にはそこまでのこだわりはない。後は停戦期間との釣り合い次第では俺はそれでもいい」

「分かった。ならばわしの方から頼んでみよう。しかし、和睦の交渉になった以上、わしはこそこそする必要もなくなった。ならばささやかながら酒でも飲もうではないか」

「そうだ、せっかくだから我が領で育てている米を食べていかれると良い」

「そう言えば噂は聞いていたが、実際に食べるのは初めてだな」

 その晩、俺たちは久しぶりに二人で酒を飲み交わしたのだった。

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