束の間の安息
十二月二十日
庄内から戻って来た俺はまず酒井権兵衛の元に那由を返しにいった。さすがに数か月も連れ出してしまったことは白い目で見られていたが、事情を話すと色々な意味で呆れられてしまった。権兵衛は色々葛藤してきたが、最終的には「那由よ、わしが新潟を牛耳り、おぬしが酒田を牛耳れば繁盛は間違いない」と言っていた。最後は商魂が勝ったのだろう。那由は父の商魂に呆れながらも感心していた。
溜まっていた仕事が一段落すると、俺は雪の元へ向かった。大分遅くなってしまったが、コシヒカリの収穫はひとまずうまく行ったという。
冬の農村は夏に行ったときと比べて何もなかった。人々も家の中で内職にいそしんでいるし、田も何もない茶色い土だけになっている。一説によると、謙信は冬の間の食糧を確保するために毎年越山して関東に出陣していたという。そのため、武将たちは人攫いや略奪にいそしんでいたのだとか。
「お久しぶりです、重家様」
いつもは外で農作業をしている雪も、今はさすがに家の中から俺を出迎えてくれた。家の戸が開くと、中から温かい空気が流れてくる。数か月間を空けただけなのに、雪はちょっと大人びて見えた。
「悪いな、しばらく来られなくて」
「そうですよ、現地できれいな人でも見つけたのかと思っちゃいました」
雪が少し唇を尖らせたので俺はおっと思う。戦国武将は数人の妻を娶ることが一般的なこともあって、今まで雪は他の女に言及することはなかった。俺が数か月越後を離れていたことに思うことがあったのだろうか。
「そんなことはない」
現地のきれいな人は見つけてない。現地の人は。俺は少しだけ罪悪感を覚えた。家の中に通されると、雪がお茶を淹れてくれる。
「最近は変わったことはあったか?」
「特にないですね。千歯こきと備中鍬のおかげで諸々の手間も大分減りました。空いた時間で内職や開墾作業などもぼちぼち進んでいます」
俺は出してもらったお茶をすする。外が凍てつくような寒さだったこともあって、体が温もっていくのを感じる。
「それは良かった。コシヒカリの方はどうだ?」
「元の種類に比べて稲穂が垂れ下がってくるので手間はかかりますね。逆に言えばたくさんの米が実っているということなのでいいですが。でも大丈夫なのですか、あんな値段で買ってもらって」
コシヒカリの収穫も二回目となり、最初の一袋から膨大な量に増えた。もはや小路家の田植えで使い切れる量でもなくなったので、俺は買い取って大きな農家に配ったり、おいしいお米として大名家などに輸出することにした。そのため普通の米の相場の倍以上の値段でコシヒカリを買い取っていた。
「今は生産量も少ないからな。もっと色んな農家が作り始めたら下げていくさ。それに、育て方の技術とかも教えてもらっているからな。その値段だと思ってくれ」
「はい。今後うちではコシヒカリと元のお米を半々で生産していこうと思います」
病気などもあるから、リスクの分散にはなるだろう。
「分かった。今後も頼むぞ」
「はい」
その後俺たちはとりとめのないお互いの近況についての話をした。家臣たちと話すときは政治の話に、那由といるときは商売の話になってしまうので、とりとめのない雑談が出来る相手というのは案外貴重であった。
天正八年(1580年)正月五日
その後俺は年末年始だけはゆっくり過ごした。俺が酒田に出向いている間、景勝は神保長住の富山城に猛攻を加えて、去年の間に落としていたらしい。その後吉江宗信らを残して春日山に帰還していたという。
年明け早くも、景勝が再び兵を集めてこちらに向けているという報が耳に入った。休む間もなく兵を動かしているのは謙信譲りではあるが、諦めて欲しいというのが本音だった。
「せっかく新領地にも新農具を普及させようと思ったんだが、また遅くなるな」
戦争があると武器を買い入れなければならないため、どうしても農具の製作は遅くなる。かといって鍛冶屋を大量に領地に集めると平和になったときに困る。俺としては平和を目指しているつもりだし。とはいえ、攻めて来るのであれば対処しなければならない。俺はやむなく家臣たちに兵の準備を命じた。しかし景勝も、連戦で疲弊した兵力で前回負けた俺に本当に勝てると思っているのだろうか。そんな疑問は感じた。
正月六日
「殿、本庄殿から文が」
翌日、俺の元に繁長からの、正確に言えば留守を務めていた本庄顕長からの文が届いた。使者に渡された文に目を通すと、どうも中条・色部の両家が軍備を整えているらしく、それを牽制して欲しいとの内容だった。顕長は景勝が新発田攻めの準備をしていることを知っているのだろうか。そもそも中条・色部の両家は本当に本庄攻めのために兵を整えているのだろうか。うっかりすれば俺が寝首をかかれる可能性もある。
「刑部、色部殿の元に使者として参ってくれ」
一応色部長実は義弟にあたる。だからといって特別親しくしている訳でもないが。
「はい、しかしどのように話しましょうか?」
「そもそもどのようなことを聞きましょう?」
「今回は本当に繁長を攻めるのか、前回の景勝の新発田攻めの時は沈黙していたのになぜ今回は動きを見せているのか、という辺りだな」
「分かりました」
そして猿橋刑部は色部家へ向かっていった。
翌日、追って本庄繁長本人からの文も届いた。そこにもやはり留守の間、本庄領を狙う者がいれば黒川為実と協力し牽制して欲しいということが書かれていた。ただ追記として東禅寺義長が酒田湊の税をなくした件を理由に酒田への出兵を考えていること、協力した者に酒田からの税を分配することで鮭延家、寒河江家、白鳥家などを勧誘していることが記されていた。
最後に、『もし他の揚北衆を押さえてもらえるのであれば東禅寺はわしが押さえる』と書かれていた。
これを見て俺は頭を抱えた。正直、色部や中条が俺ではなく本庄を攻めるのは都合がいいとすら思っていたのだ。しかし東禅寺義長なら俺がいぬ間に酒田を占拠するということもやりかねない。何と言っても、つい数か月前に大宝寺家に叛いて尾浦城を占拠したばかりで油断ならない。となれば繁長は味方につけておきたいが、景勝が迫っている今、余計な敵を増やしたくもない。どうしたものかと思いつつ、色部長実と話した猿橋刑部の報告を待つことにする。
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