新潟城の戦い Ⅱ

六月三日 新潟城

 梅雨に入ってしまったためか、相変わらず雨はしとしとと降り続いている。そのため上杉軍も攻撃してくることもなく、どちらの陣営にも何とはなしに陰鬱とした空気が漂っていた。


 そんな中、ことさらに陰鬱な雰囲気の陣があった。新発田重家の弟、盛喜の陣である。盛喜は豪勇をもって鳴る新発田一族の中では武よりは文に優れており、あまり目立つこともなかった。


「気が付いたらこんなことになっているのだが本当に大丈夫なのだろうか?」


 兄重家は全てのことを家臣と相談しながら決めている訳でもなく、どちらかと言えば独断専行が多かった。今回の件も決裂しそうという雰囲気はあったが、毛利秀広の事件などでなし崩し的に事態が進んでこうなってしまったというところもあった。戦は時の運だからどちらが勝てるとも言い切れない。新発田家がそう簡単に負けるとも思えないが、上杉家を打倒出来るまでの力がある訳でもない。

 確かに上杉家のやり方には納得いかないところもあるが、それと家の存亡をかけて独立するのは別問題である。


「盛喜様、我らの陣の前にこんな物が」

 一人の兵士が油紙でくるまれた紙を差し出す。

「何だこれは」

 紙を開いて盛喜は驚愕した。それは直江兼続から内応を促す書状であった。もし首尾よく重家を討ち取ることが出来れば新発田家の相続を許すと書かれている。

「いかがなされましたか?」

「何でもない、ただのいたずらだ」

 盛喜は紙をそっとろうそくの炎にくべた。ちりちりと音を立てて紙は焦げていった。


 翌日。昨日までの雨が嘘のように空はからりと晴れ渡った。兵士たちも心なしか昨日までよりも陽気に見えた。そんな中、再び上杉軍が動き出した。雨が止んだのは多少不利かもしれないが、その程度で負ける新発田軍ではない。


「者ども、ひたすら敵兵を引き付けてから射ろ!」

 上杉軍が近づいてから至近距離で矢が斉射される。上杉軍もこの数日で対策をしていたのか、急造の盾を構える。何本かの矢は盾で防がれ、何本かは盾を潜り抜けて兵士を射抜く。それでも上杉軍は進撃をやめず、馬防柵までたどり着いた。


「盾を構えて来るなら弓はやや上方へ向けて撃て! 柵にとりついた兵は槍で追い落とすのだ!」

 弓は鉄砲と違って山なりに射ることが可能である。山なりに発射された矢は盾が構えられている最前線ではなくやや後方の兵士の上から降り注ぐ。一方最前線では柵を倒そうとする攻め手とそれを槍で追い落とそうとする城方の白熱した戦いが繰り広げられていた。


 そんな中、ふと俺は城の川沿いの一角で守りが崩れているのを見かけた。あれは確か、盛喜の陣だったか。武勇に優れぬ弟に上杉軍の相手は荷が重かったか。まずいと思った俺はすぐに狼煙を上げた。防衛戦というのは万全な状態で守っている限り意外と大丈夫なものだが、一か所でも綻びが出るとそこから崩れていく。


 狼煙を受けて阿賀野川対岸で様子をうかがっていた高橋掃部助ら一千の兵士が動き出した。彼らはやや上流から船を浮かべて上杉軍の後方に渡河を試みる。上杉軍は大軍とはいえ、城を包囲するため薄く広がっているため、一か所あたりの兵力は多くない。その状態で後ろからの攻撃を受ければひとたまりもない。渡河の動きを見た上杉軍は攻撃の手をとめて撤退する。

 それを見て俺は再び狼煙を上げさせた。渡河を試みていた新発田軍は再び対岸に帰っていく。とはいえ一瞬でも上杉軍に攻撃の手を止めさせたのは大きかった。どうにか防衛戦は持ち直したようである。俺はそれを見てほっとした。しかし。


「殿、盛喜殿がおりません」

 兵士の一人で血相を変えて俺の元へ報告してくる。

「いないというのはどういうことだ。先ほどまで戦っていただろう」

「それが、どこを探しても姿が見えないのです」

 兵士の顔は青い。まあこれ以上兵士に問い詰めても仕方ないか。

「もしや敵軍に捕まったか?」

 この時代は兄弟でも母親が違って現代の兄弟より情愛が薄い上、そもそも元の五十公野治長の意識を俺がほぼ乗っ取っていることもあって、弟とはいえほぼ感情はなかった。


「まあこればかりはいかんともしがたいか」

 そんなことを思っていると、敵軍から白旗を掲げた使者がやってきた。ほどなくして応対した猿橋刑部が書状を持って現れる。

「直江殿からの書状をお預かりしました」

「何だ? 今更直江と話すことなど何もないが」

 とはいえ一応書状を開く。


『新発田重家殿

 二度ほど手合わせさせていただきましたが変わらぬ武勇を拝見して感嘆しております。さて、このたび弟・盛喜殿の身柄を確保いたしました。新潟の地と盛喜殿の交換、三条城については上杉に引き渡すも信宗殿を城代とする、ということで停戦はいかがでしょうか。

                                       直江兼続』


「そうか……三条城については微妙に譲歩してきたか」

 とはいえ城代ということは上杉の匙加減一つで交代させられる可能性もあるということだ。それに盛喜の件は微妙に気になる。

「刑部よ、盛喜が捕まったときのことを調べて参れ」

「はっ」


 二時間ほどして、刑部は難しい表情で戻って来た。それを見て俺は自分の予感が当たったような気がした。

「殿、申し上げづらいのですが……」

 刑部が口ごもる。

「大丈夫だ。言ってくれ」

「はい。盛喜殿は迎え撃つ際、不自然に城門を開けて撃って出るよう命じたとのことです。その後上杉軍に槍を構えて突撃し、それ以来行方不明とか。また、側近数名も同じく行方不明とのことです」

 これは捕えられたのではなく、寝返ったか。とはいえ城内に火をかけての謀叛とかではなかったことには一安心である。欲をかいたというよりは純粋に俺が負けたときのことを考えての寝返りだったのだろうか。

「そうか。ということは盛喜は叛いたか。まあいい、むしろ敵方に一族の者がいれば安心して戦えるというもの。しかし兼続も飛んだ食わせ者だな。寝返った者の身柄と領地の交換を持ちかけてくるとは」

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