千歯こき
蘆名家との密約をまとめた俺は城に戻ると今度は鍛冶師の有野清兵衛という人物を訪ねることにした。五十公野家との付き合いは深く、戦のたびに大量の武器や鎧を注文していたらしい。優先的に仕事を回す代わりに値段などは無理を言っていたらしい。御用鍛冶師と言えなくもない。
有野家に赴くと、いつも通り鉄を打つカンカンという音が聞こえ、鍛冶場からは煙が立ち上るのが見える。
「お、領主様じゃねえか! わざわざ来て下さるとは珍しいぜ!」
清兵衛は今の今まで作業していたのだろう、秋も深まって来たというのに額の汗をぬぐいながら現れる。確かに普通の注文であれば人をやって済ませていたので俺が行くのは珍しいのかもしれない。
「実は作って欲しい物があってな」
「珍しいな。でもうちは今刀剣の制作で手一杯だぜ? 武家の皆さんは大変かもしれないが、乱が起こると我らはかきいれ時だからな」
「武器よりも優先して欲しい物があってな。こういうものだ」
俺は雪と一緒に描いた千歯こきの図面を見せる。それを見た清兵衛はぽかんとする。
「……これは何に使うものですかい?」
「農具だ。この歯みたいなところに稲穂を引っかけて引っ張るだけで脱穀が出来る」
「へえ……しかしなぜそんなものを?」
農家ではない清兵衛には脱穀作業の大変さがぴんと来ていないようだった。まあ俺もやったことがある訳ではないので何とも言えないが。
「これを使うと今の箸でやる脱穀よりも効率が良くなる」
「なるほど、でも武器はいらないんですかい?」
「ああ。これから乱は収束に向かうだろう。そのときのためにも別なものを作れるようになっておいて損はないぞ」
「まあそう言われれば確かに……」
武器と違って農具は戦争があってもなくても売れる。しかも新しい農具となればしばらくは作るだけ売れるだろう。
「では、完成したら報告いたします」
「頼んだ」
二日後、清兵衛から完成報告を受けた俺は有野家に千歯こきを取りに行った。俺が到着すると清兵衛は微妙な顔で出迎える。
「どうした? 出来たんだろう?」
「出来たのは出来たんですが……あっしは農家じゃないんでこれでいいのか自信が……」
そう言って清兵衛は家の者に千歯こきを持ってこさせる。確かに俺が描いた図面通りの千歯こきが出来ている。歯の部分をさわってみたが、多少強く動かしても動かないようになっている。
「分かった。ちょっと待っててくれ。どんな道具も使ってみないことには分からないからな」
「え、どうなさるんですか?」
「そりゃ、使える人を連れてくるに決まってるだろ」
俺は有野家を出るとそのまま馬を走らせて小路家へ向かう。小路家は田んぼが並ぶ中を走っていかなければならないので微妙に距離がある。
俺が走っていくと、雪は家の者と一緒に脱穀作業中であった。袖をたくし上げてたすきがけにし、傍らに積まれた大量の稲穂をこぎ箸で延々と脱穀している。が、突然馬で乗りつけた俺を見て雪も家の者たちも一様に驚きの表情を浮かべた。
「いらっしゃるなら事前にご一報いただければ……」
雪は作業中の恰好を見られたことにあたふたしているようであった。確かにいつも会うときと違って化粧っけもないし、服も汚れてもいいものを身に着けている。
「前に話していた千歯こきが出来た。でも俺には使いものになるか分からないから試してくれ」
「それはどこにあるんですか?」
「鍛冶師の家だ」
まあ、一人で持ち運べるものでもないからな。
「はい、では今から支度をするのでしばしお待ちください」
「いや、面倒だから俺の馬に乗っていけ」
「えええええ!? そんなこと出来ませんし今汗かいてますし、いや、それはもうこの際どうでもいいですがやっぱりそんなこと……」
俺の言葉に雪は奇声を上げて慌てふためいている。まるで奇襲を受けた兵士のようだ。
「稲もちゃんと持ってくれ」
俺は雪に稲束が入った袋を持たせると馬の尻に乗せる。雪は状況についていけないようで特に抵抗もしなかったのでこれ幸いとばかりに馬を走らせた。
ちなみに小路家の者たちはそんな光景を「またか」みたいな目で眺めていた。治長、俺が転生する前に何をしていたんだ。記憶を辿ったら分かるんだろうが、思い出したら雪の顔をまともに見れなくなりそうなのでやめた。
馬には慣れていない雪はぎゅっと俺の腰に手を回す。一生懸命作業していたのだろう、体温は温かいしかすかに汗のにおいも伝わってくる。が、そっちに意識を取られていたら危うく通行人を蹴飛ばしてしまいそうになったので俺は首を振って意識を手綱に戻す。
「戻ったぞ」
有野家につくころには雪は顔を真っ赤にしてすっかり小さくなっていた。野菜をゆでると体積が急に小さくなったときのようである。それを見て清兵衛は目を丸くする。
「何もあっしの前でいちゃつかんでも」
「いや、早く試さないと同じものを量産していいのか分からないだろ?」
「それはそうですが」
「もうお嫁にいけません……」
しばらく小さくなっていた雪だったが、千歯こきが目に入ると急に目を輝かせた。切替早いな。
「これが千歯こきですか……」
「そうだ。俺にはうまく出来ているのか分からん」
清兵衛はすがすがしいぐらいに堂々と宣言する。
「分かりました」
雪はてきぱきと袋を開けると稲穂を取り出し、歯の間に引っ掛ける。そしておそるおそる引っ張った。歯に引っかかった種もみがぽろぽろと器械の下のたらいのような物の上に落ちる。
「どうだ?」
清兵衛が恐る恐る尋ねる。雪は真剣な表情で答える。
「確かにこれは便利です。でも強いて言えばもう少し歯と歯の間隔が狭い方がいいです」
「分かった、任せておけ」
すぐに清兵衛は工具を取り出して千歯こきをいじり始める。それを固唾を飲んで見守る雪。残念だがこうなってしまうと俺の出番はなさそうだったので、俺はお茶でも飲みながら二人を見守ることにする。
しばしの間、改良しては使ってみて、という手順が繰り返された。そして何度目かの改良を経て雪が脱穀すると一つ大きく頷いた。
「これで完璧です」
「よっしゃ、なら後はこれを大量に作ればいいんだな?」
「はい、これが大量にあるとすごく助かります!」
雪の表情は喜びに満ちていた。その様子からいかに脱穀作業が大変だったかが見てとれる。
「よし、じゃあ帰るか」
「え、帰る……」
ぼふ、と擬音を立てそうな勢いで雪は小さくなった。行きのあれを思い出したようだ。
「大丈夫だ、千歯こきは人をやって届けさせる」
「いや、問題はそこじゃなくてですね……」
何はともあれ、こうして千歯こきは完成したのである。その後俺は真っ赤になって小さくなる雪を連れて無理やり小路家に戻ったのだった。
ちなみに、同じようなやりとりを備中鍬で繰り返すことになるのだが、鍬の出番は来年の春なのでそれは先の話である。
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