第301話 毬萌と天海先輩の接触 ファーストコンタクト

 俺の全力疾走は遅い。

 先日、登校中に小学生の女子が走っていたので「危ないよ」と伝えようしたところ、なんと追いつけなかった。


 てめぇの体力のなさは分かっていたつもりであるが、これはちょっとばかりショックな出来事であり、その日俺は帰宅後、アマゾンでルームランナーをポチッた。

 三万円もするルームランナーを即断即決で買ったのだ。

 今はそいつでトレーニングをしているが、少しは足が速くなったのか。

 三万円もしたんだから、きっと効果はすぐに出るさ。

 ちなみに、少女には毬萌が楽々追いついた旨を付言しておく。



 あのルームランナー、ヤフオクで売ろう。



 俺がそう決意するのに時間はかからなかった。

 息が切れて呼吸がままならないのに、全然スピードが出ていない。

 毬萌のピンチだと言うのにも関わらずである。

 つまり、俺は普段の数倍の力を発揮しているはずなのだ。

 ラブコメの主人公だったら当たり前の計算である。


 そのうえで、このスピード。

 俺が不思議の国のアリスだったら、多分ウサギに追いつけないで物語が終わる。

 何も不思議じゃない。これが俺の現実リアル



「一雨ごとに秋が深まって参りまして、木の葉も色を付け始めました。天海先輩におかれましては、日頃から格別のご厚意を賜り、もぅマヂ無理でございますわ」



 一足遅かった。

 現場に到着した時には、もう毬萌は時候の挨拶を済ませており、より正確を期すならば済ませる寸前でとん挫していた。

 手にはリンゴジュースの缶。

 のどを潤していたところに天海先輩が現れたせいで、一気にストレス値が上昇したらしい。


 いや、何を諦めている。

 まだ間に合う。どうとでも出来る!


「毬萌! ここに居たか、探したぜ!!」

 呼吸を整えながら、ベンチに座る幼馴染のところへと歩み寄る。


「あら、コウ様。ご機嫌麗しゅうございますわマヂ無理」



 ダメだ。出だしは完璧なのに、最後の方でマヂ無理が邪魔してきやがる!!



「いやあ、桐島くんも! 奇遇だな! 今、そこで飲み物を買いに来たら、神野くんに出会ってな! その奇跡を神に感謝していたところだ!!」

 ああ、嬉しそうな天海先輩。

 分かります。本心から、ただ毬萌に会えたのが嬉しいんですよね。

 すごくよく分かります。


「あら、嫌だ。マヂ無理でございますわよ、コウ様?」

 マジで無理なんだな! 分かった、今すぐ助ける!!


「天海先輩! 先輩は競技、出られないんですか? 次が始まるみてぇですけど」

「ああ! 私は徒競走を済ませたあとは、しばらくフリーなのだ!」

「そ、そうですか! いや、でも、テントに天海先輩がいねぇと、やっぱり盛り上がりに欠けるんじゃないっすかね?」

「はっはっは! 桐島くん、それは買いかぶりだ! 生徒諸君はみな、勝手に楽しむのさ! そこに私なんぞの入る余地はないぞ!」



 俺の入る余地もねぇ!!



 正攻法で攻略しようとしたのがそもそもの間違いか。

 なにせ、天海先輩の行く道は王道であり覇道はどう

 片や俺は、きのこのこのこ元気の子が精いっぱい。

 しかも、このきのこの歌、なんとエノキダケがはぶられているのだ。

 俺の行く道は勇気さえも与えてくれないらしい。


 それでも「あっ、そうっすか」と引っ込むわけにはいかぬ。


「毬萌! そう言えば、実行委員の一年生がお前を探していたんだよ! 俺ぁ、それを伝えに来たんだった!! いや、すまん、うっかりしていた!!」


 当然のことながら、嘘である。

 嘘をつくのは良しとしないを信条にしている俺である。

 しかし、大事な人を守るためならば、嘘だってつくさ。

 俺だって、いつまでも頑固一徹、石の上にも三年スタイルではない。

 日々、進化しているのだ。

 そして、その進化をさせてくれるのが、花梨であり、目の前にいる毬萌。


「そうだったのか! これは引き留めてしまい、申し訳ない! まあ、同じ白組だから、また会う機会もあるだろう! 早く行ってあげてくれ!!」



 俺、天海先輩に初めて打ち勝つ。



 横綱相撲で勝てれば文句なしだったのだが、俺は立ち合いで変化をした。

 それでも、どうにか寄り切った。

 形なんて二の次、三の次だ。

 結果が全て。毬萌の安心が何よりも優先されるのだ!!


 毬萌を抱えて退場する俺と入れ違いになって、土井先輩がやって来た。

 ほんの数秒の接触。

 先輩は言った。


「桐島くん、お見事でございます。どうやら、わたくしの出る幕ではなかったようですね」


 俺は短く答える。


「とんでもないっす。先輩の後ろ盾があると思ってたからやれたんですよ」


 そして俺たちは、視線を合わさずに逆方向へ歩を進める。


「やあ! 土井くんじゃないか! なんだ、実行委員を放り出して、私に会いに来てくれたのか!? まったく、君というヤツもなかなか悪い男だよ!」

「わたくしのような三年生がしゃしゃり出るまでもなく、万事順調でしたので。恋人に会うために少しの時間を使ったわたくしを、お叱りになられますか?」

「はっはっは! そう言われると私も言い返せないな! 少し休憩をして行こう!」

「ええ。時間の許す限り、ここでゆるりとする事にいたしましょう」


 どうやら、土井先輩はしばらく天海先輩を引き付けておいてくれるらしい。

 アフターフォローはまだあの方の世話になってしまうか。

 まあ、何だっていきなり百点は取れぬものである。



「やれやれ。毬萌、無事だったか?」

「うぇーっ!! コウちゃーん! 天海先輩と会ったよぉー!! うぇーんっ!!」

「すぐに行けなくて悪かったな。……おう、俺の服で心行くまで顔を拭いてくれ」

 こんなことは想定内。

 替えの体操服は三着用意している。


 毬萌の涙を拭く用と、そのスペア。

 そして、俺が何かの拍子で血だらけになった時に使うスペアのスペア。

 慎重勇者を見て学んだ。


「ぐすっ……。コウちゃん、助けてくれて、ありがとー」

「おう。せっかくの体育祭なんだから、心穏やかに過ごしてぇもんな!」

「……うん。もう平気ー。コウちゃん、走って来たけどお腹痛くない?」

「バカにすんなよ。あの程度で腹が痛くなるもんか!」

 痛いのは脇腹だけだ。


 毬萌と一緒にテントに戻ると、花梨と鬼瓦くんが駆け寄って来た。

「公平先輩、すみません。あたしが毬萌先輩について行けば良かったです」

「何を言っとるんだ。花梨は障害物走の直後だったろ? 気持ちだけで充分だよ。ありがとな、可愛くて頼りになる後輩!」


 そして花梨の頭を撫で散らかす俺。

 多分、絶対、そのうち腕が折れるから。


「も、もぉー! えへへ、嬉しいです! 先輩も、あたしの事、頼って下さいね!?」

「おう! いつも頼りにしてるよ!」


「桐島先輩。毬萌先輩にお菓子を補給致しました」

「鬼瓦くんもありがとう。助かるぜ」

「いえ。凍らせたカスタードケーキを用意しておいて良かったです」



 すごい用意の仕方だけど、今ここでつっこむのは無粋だな!!



 そして、俺は自分の席へ戻る。

 そこには、笑顔の毬萌がちょこんと鎮座していた。


「コウちゃん! 遅いよーっ! 一緒に見よう! 応援するのだ!!」

「おう。お前、口の周りに菓子の粉付いてんぞ?」



 ファーストコンタクトは、俺の勝利と言うことでよろしいか?

 そうか。温情判定ありがとう。ヘイ、ゴッド。




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