第293話 土井先輩の華麗なる和菓子

 いつものように新鮮な醜態を晒した俺は、正座の前に屈した。

 花梨のお言葉に甘えて、あぐらを組んで座り直す。

 あぐらの素晴らしさを再確認。

 同時に、男子に生まれてよかったと神に感謝。

 だって、女子はスカートだから、学校ではあぐらってかけないでしょう?



「あの、薄茶おうす濃茶こいちゃというのがあるんですけど、皆さんどちらも試されますか?」

 その時、花梨が不安げな顔をして俺を見ていた。

 てっきり、正座の心配かと思って笑い返してみたが、彼女の表情は晴れない。

 理由は後ほど分かる。


「せっかくだから両方頂こうじゃないか! どうだ、二人とも!?」

「俺は先輩とセッスクくんの良いようにしてもらって構わないっす」

「オーウ! ワタシ、どっちも飲みたいデスマスク! スタバの抹茶フラペチーノみたいに濃厚なのがラブね! どんと来い、どすこい!」


 花梨はもう一度俺を見て、我が子の参観日に来た母親のように心配そうな表情を浮かべるものの、祈るように頷いた。

「分かりました。では、濃茶です。これは、一つの器で順番に飲んでいくものなんですけど、天海先輩からで良いでしょうか?」


「私は一向に構わんぞ! ここは年長者が先陣を切るとしよう!」

 天海先輩は今日も堂々としている。

「次はワタシ飲むですねー! コウスケは最後ね! ドンケツね!」

「うるせぇな。それで良いよ」


「では、どうぞ」

 花梨の白い指が、多分そんなに高くもないであろう茶道部の古い茶碗を、格式高い逸品にクラスチェンジさせる。


「いただこう! では、失礼して!」

 そして天海先輩、三回半に分けて飲むと、飲み口を拭いて、隣へ回す。

 どうやら、それが正しい作法であるようであった。

 さすがは先輩。

 素人だと謙遜しながらも、知識武装は完璧である。


 そして次はセッスクくんの番である。

「オーウ! これが茶道! The Doドゥー! いただきマッスル! ヴォエ!!」


 セッスクくんお得意の良くないハッスルが登場。

 こいつ、普通に茶碗の中に口から抹茶を吐き出しやがった!!


「これ、抹茶違うね! 多分、腐ってるデース! 草の味がするデース! 山岡士郎もこれには激おこヨ!」

「だからって吐き出すヤツがあるか! お前、花梨がせっかく点ててくれたんだぞ!!」

「オーウ、ソーリーね! ……次、コウスケの番デスことよ?」



 てめぇが吐き出した茶を飲めって、そう言ってんのか!?



 なに、これがイギリス流の喧嘩の売り方なの?

 てっきり手袋投げつけるもんだと思ってたよ!!

 いいぜ? その喧嘩、買ってやらぁ!!

 もうお前の作ったフィッシュアンドチップス、ぜってぇ食ってやんねぇから!!


「あ、公平先輩。こんなこともあろうかと思って、こっちにもう一つ用意してありますから! ど、どうぞ」

 ふん。命拾いしたな、セッスクくん。

 俺が正しい日本男児のあるべき姿ってのを見せてやる。

 その目に刻め!


「では、頂戴します。……結構なお点前ヴォエ」



 ごめん、セッスクくん。仲直りしようか?



 花梨の心配事に行きついた瞬間であった。

 なるほど。こりゃあ俺には飲めないね。

 元々苦いものがダメなのに、これはちょっとアレだ。

 俺には難易度が高すぎた。

 だって、俺のリミットって濃い伊右衛門だもん。


「あ、あの、次は薄茶なんですけど……」

 まずい。まだあるんだ。

 しかも、薄いとか言ってるけど、もう全部想像がついているから。

 それも普通に渋くて苦いんでしょう?

 無理無理。

 これ以上茶道を冒涜ぼうとくする前に、退散しよう。


「これはお心遣い、痛み入る! さあ、二人とも、リベンジマッチと行こうか!!」

 天海先輩からは逃げられない。


 誰かー。助けてー。


 心の叫びが天に通じた時分を感じたことがあるか?

 俺は、この日、初めてそいつを体験した。



「失礼。もう始められていらっしゃいましたか。途中で入って来て申し訳ございません。少々準備に手間取ってしまいまして。未熟者の証でございますね」



 ど、土井先輩!!



「茶道の体験と聞いて、イギリス人のセッスクくんに少々苦みが効きすぎているかと思い、こちらを作っておりました。桐島くんも、よろしければ」

 土井先輩が包みから取り出したのは、和菓子であった。

 いわゆる、りと呼ばれるその和菓子は、美しい銀杏いちょうの姿をしていた。


「なんだ土井くん! 私には配慮してくれないのか?」

「何をおっしゃいます、天海さん。あなたの事を考えて作って参りましたよ。どうぞ、お口に合えばよろしいのですけども」


「薄茶が用意できました。みなさん、土井先輩のお菓子と一緒に召しあがって下さいね。……公平先輩! 絶対ですよ!」

 花梨の囁きが俺に届く。

 委細承知した。


「では、頂戴します。……うぐっ」

 やっぱり薄茶も普通に渋いし苦い。

 耐えきれずに、俺は練り切りを口に放り込む。


「あまぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!! うまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!!」

 地獄に仏。

 抹茶に和菓子。

 ピンチの時は土井先輩!


「おや、一口で召し上がられましたか。では、桐島くんにはこちらを」

 そして土井先輩がすぐに新しい練り切りを差し出してくれる。

 今度は色鮮やかな紅葉である。


「オーウ! 土井パイセンのお菓子と一緒だと、イイ感じね! 花梨チャンのお茶もグビグビいけちゃうよ! これが日本の詫び錆びね! コウスケ、オーライ?」

 くそ、良い感じに茶道を楽しみやがって。

 俺だって負けていられるか。


 それから、俺は抹茶を一口飲む度に、練り切りを一つ消費した。

 しかし、なくなったらすぐに土井先輩によって補充される練り切り。

 全ての事象を先読みするが如し。

 ついに、俺は抹茶を飲み切ることに成功した。


「いや、ありがとう! 冴木くん! おかげで素晴らしい体験ができたよ!」

「あ、いえいえ! あたしなんかのお茶で申し訳ないくらいです!」

「冴木さん、謙遜は必ずしも美徳とは限りませんよ? まるで流れる水のように淀みない手さばき、わたくし思わず見惚れてしまいました」


「なんだ、土井くん! 冴木くんに浮気をするのか? 酷いじゃないか!」

「何をおっしゃいます。あなたにはわざわざわたくしが言葉で愛を告げる必要なんてないではありませんか」

「はっはっは! これは恥ずかしい! 一本取られてしまったな!」


 相変わらず、高次元の恋愛をしていらっしゃるお二人である。



 こうして、どうにか茶道と言う名の地獄から帰還せしめる事に成功。

 いつの日か、俺も花梨のててくれたお茶を心から「美味いよ」と言ってあげられるようになりたい。

 今度から、率先して苦いものを食べていこうと誓った。

 まずはゴーヤチャンプルーから始めよう。



 帰り際にセッスクくんが言った。

「オーウ! コウスケ、お疲れね! また今度、茶道、トゥギャザーするの約束ね! ダイジョーブ、今度はバレないように吐き出すから、アンシンすルンバ!」


 俺は笑顔でこう返事をする。



「はははっ! ぜってぇ嫌だ!」

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