第213話 心菜ちゃんと職場体験
電話をするだけで、胸がドキドキする。
声を聞いたら心が弾む。
それがテレビ電話ともなれば、心はダブルドリブルである。
と言うか、もうルール無用の弾みっぷりである。
何度だってドリブルしちゃう。
エターナルドリブル。
「夏休みの宿題のスケッチ、先生にすごく褒められたのです!」
「おー。そりゃあ良かった! だって上手に掛けてたもんなぁ!」
「はわー。これも兄さまのおかげなのです!!」
電話の向こうでは、天使が照れた表情をしている。
本当に、この世は最高だな!!
心菜ちゃんからテレビ電話のお誘いがあったのが十数分前。
俺は学校帰りに買っておいた、月に一度のお楽しみである、風呂上がりのハーゲンダッツを食べようとしていた。
するとスマホが震える。
「兄さま、テレビのお電話しても良いです?」と書かれた天使のラブソングを聴いて、俺は居ても立ってもいられなくなり、ハーゲンダッツは母親にくれてやった。
だって、ハーゲンダッツよりも甘い時間がそこにあるのだから。
そんなもの、もはや天秤にかけるまでもない。
「あんた、さては母さんの好感度上げようとしてるね? いやだよ、この子は!」
そんな気色の悪い
天使との電話の効能はすさまじい。
「ところで、兄さま! 心菜、質問があるのです!」
「おう。何だろう? 俺に答えられる事だと良いのだが」
俺の家の預貯金と保有している有価証券の額くらいなら嬉々として教えちゃう。
「明日から、心菜、職場体験が始まるのです!」
「おお、そりゃあ大変だ。そういやぁ、俺も中学ん時にやったなぁ」
鉄道会社に派遣されて、馬車馬のように働かされたよ。
俺の第一希望、老舗の和菓子屋だったんだけどなぁ。
「はわわ、心菜、働くの初めてなのです! 何か気を付ける事があれば、知りたいのですー! 兄さま物知りだから、教えてほしいのです!!」
「うん。そうだね。じゃあ、一つだけ」
「はわわー。一つでいいのですー?」
「そうだね、充分だよ。心菜ちゃんが笑顔でお仕事をする事、かな」
「……はわー? それだけでいいのです?」
それだけで良いんだよ。
心菜ちゃんが笑えば、地球上から争いごとはなくなるんだもの。
「笑顔で対応されたら、心菜ちゃんだって嬉しいだろう?」
「はいです! とっても気持ちいいのです!」
うん。可愛い。
「じゃあ、それを相手にしてあげると良いよ。お客さんも良い気分になるさ」
「はわー。さすが兄さまなのです! とっても勉強になるのですー」
うん。可愛い。
もう、永遠に電話してたい。
そんな俺の願いが儚くも断たれる時がやってきた。
「心菜ー。誰と電話してるのー?」
やっべ、死神ライダーだ。
あいや、失礼。氷野さんだ。似てるから間違えちった。
「心菜ちゃん。名残惜しいけど、今日はこのくらいにしておこうか」
「はいなのです! 公平兄さま、おつきあいくださり、ありがとうなのです!」
うん。尊い。
「そうだ。最後に聞かせてくれ。心菜ちゃん、どこで職場体験するの?」
「はわー。心菜、言い忘れてたのです! 実は、鬼神兄さまのお店なのです!」
なんと、リトルラビットか。
俺は氷野さんに叱られる前に電話を切って、明日の予定を確認した。
午前中で授業が終わる。
つまり、昼からは生徒会の仕事があるのみ。
明日の予定が決まった。
「コウちゃん、どしたのー? なんか、すごい勢いで書類をさばいてるけど」
「ホントですねー! 必死な顔の公平先輩、カッコいいです!」
「ねーっ。珍しいよね、コウちゃんがこんなに仕事に熱中するのっ!」
「どうしたんでしょうね? 何か大事な用事でもあるんでしょうか?」
毬萌と花梨が首を傾げている横で、俺はかつてないスピードの目の動きで書類の情報を読み解き、即座に可否を判断して、決済印を叩きつけている。
「おっし! 終わり! みんな、すまんが今日は俺、先に帰るわ!」
時刻は午後二時過ぎ。
驚異的なタイムを出してしまった。
「あ、うんっ。コウちゃん、どこか行くのーっ?」
「おう」
「気になります! 教えてくださいよー!」
「ふふ。そいつぁ内緒さ。とりあえず、そこに行くのが今日の俺の使命なの」
愛車に跨り、目指すはリトルラビット。
スピード違反も辞さない構えであった。
「いらっしゃいませですー」
リトルラビットのドアを開けると、そこは天国だった。
洋菓子店の制服に身を包んだ、心菜ちゃん。
いやさ、天使。
甘い匂いを胸いっぱいに吸い込むと、半端ない多幸感に包まれた。
世の中の危険ドラッグに手を出す不届き者に、この場所を教えてやりたい。
「はわわ、公平兄さまなのですー! どうしたのですー?」
「おう。たまたま通りかかってね。いやぁ、偶然。ホントに!」
俺は今日、有り金はたいてでも、心菜ちゃんが仕事を終えるまで、リトルラビットのイートインコーナーから立ち上がらない所存。
「兄さま、何になさいますか? なのです!」
うん。可愛い。
もう、心が満たされてお菓子なんて食えないや!
そんな俺の幸せなひと時を邪魔するかのように、厨房から悲鳴が聞こえた。
「きゃあぁぁっ!」
聞き覚えのない声である。
状況から察するに、心菜ちゃんの同級生だろうか。
まあ、何かミスしたのかな?
そりゃあ、失敗の一つや二つくらいするよ。中学生だもん。
助けに行かないのかって?
いや、行きたいのは山々なんだけどね。
ほら、俺の前には天使がいるから。ね、ヘイ、ゴッド?
「はわわー。心菜、ちょっと見てくるのです!」
さてと、人助けの時間だな。
俺に任せとけ。
知らなかったのか? 手のひらってのは返すために付いている。
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