第40話 公平と迷路

 扉を乱暴に開いたその先に——。


「マジかよ……」


 毬萌の姿はなかった。

 俺は妄信的に「毬萌は生徒会室にいる」と考えていたが、思い返せばそんな保証はどこにもない。

 元々たいしたことのない知能が、すっかり空回り。

 少しばかり足を止めて脳みそを働かせてみるが、すぐに思い直す。

 下手の考え休むに似たり。

 俺は来たばかりの道を引き返す。


「どうしたんだ? その様子だと、まだ用事は終わっていないみたいだな」

「ヒュー! その顔、分かるぜぇー? ハンバーガーにピクルスが入ってなかったんだろ? ヒュー!!」

 二人は手際よく機材を積み直してくれている。

「とりあえず、こいつを使ってくれ」

 俺は、生徒会室にあった軍手を手渡す。

「なんだ、気を遣ってくれたのか? 本当に桐島は人が良いな」

「違うんだ! すまん! 軍手はついでに持ってきただけでな。あー、二人は、毬萌がどこにいるか知らねぇか?」

「会長さんか? ……うーん、心当たりはないなぁ。高橋はどうだ?」

「ヒュー! 俺のママが言ってたぜ? 人を探すなら自由の女神にお願いしなってよぉー! ヒュー!!」

「高橋が言うには、もっと近しい人に聞いてみたらどうか、だそうだ。風紀委員長とかどうだ?」


 焦ってばかりで発想が貧困になっていた。

 そうか、その手があったか。

「本当にお前らはクールな二人組だぜ! 助かった!!」

 俺は再び駆け出した。



 氷野さんはどこに居るだろう。

 事前の打ち合わせでは、風紀委員を統べる彼女は学園内を移動しながら指示を出す遊撃隊を率いることになっていた。

 つまり、移動し続けていることになる。

 ならばやみくもに探すしかないかと言えば、さすがに俺だって少しは方策を考えている。

 バカにするなよ、ヘイ、ゴッド。


 ポケットに入れておいた、連絡用の携帯電話。

 こいつには、氷野さんが持っている携帯電話の番号だって登録されている。

 ならば、場所を聞けば良いのだ。

 電話をして。

 汗ばんだ手で慣れないガラケーの操作に手間取っていると、くだんの携帯電話が突然鳴り出すものだから俺の体は一瞬地球から浮き上がった。


「こちら桐島!」

「あっ、副会長ですか!? 一年の松井です!」

「ああ、教室棟の担当に急遽回ってもらった君か。どうした?」

「大変なんです!」


 こんな時に、大変なのか!?


「何があったんだ? おわっ!? なんか、すげぇ騒がしいけど!?」

「喧嘩です! さっきから男子が二人、取っ組み合いの喧嘩を始めてしまって!」

 想像よりトラブルの内容が酷いじゃないか。

 だが、ちょっと待てよ。

「確か、青山くんいるだろ!? 一緒に行った風紀委員の! 彼はどうした!?」

「青山先輩なんです!」

「んん?」

「喧嘩をしているの、青山先輩なんです!!」

「……分かった。すぐ行く」


 ——あ、ああ、ああああっ

 あーおーやーまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!


 だ・か・ら、俺はっ、その名字が好きになれないんだ!

 全国の青山さん、ごめんなさい!

 世の中で真にくそったれな青山は、多分俺の知る二人だけです。

 でも、俺にとっては二打数二安打なのです。

 ゆえに、偏見で満ちた俺の考えを許してください。

 もう一生青山って人は信用しない!!



 教室棟一階。

 「大変な事になっている」と松井さんが教えてくれた現場は。

「おっま、ふざけんなよぉっ」

「うぇーい! オレ先輩だしぃ! 逆らうんじゃねぇっての、ちょれぇい!」

 実に大変な事になっていた。

 青山くんが一年男子に馬乗りで何か叫んでいる。

 俺の姿を見つけた松井さんが、駆け寄ってきた。

 彼女は緊急事態に際し、無駄な情報を省いて、俺に的確な把握をさせるよう努めた。

「青山先輩が、一年生の男子が受け取ろうとしていた菓子パンを突然奪い取って、北海道チーズ蒸しケーキはオレんだ! って叫んだかと思ったら、一年生を吹き飛ばしまして!」


 事情はバッチリ理解した。

 ここでいくつかの事柄を整理しよう。

 まず、俺たち運営側は、生徒たちに配られる飲食物を受け取ってはならない。

 また、運営側は、交代で休憩を取る事となっており、その時間以外は現場責任者の指示に従うものとされている。


 そして凄惨な現場に目を落とす。

 青山くんは生徒用のパンに手を出しており、北海道チーズ蒸しケーキがいかに無類の味だとしても、その時点でアウトである。

 さらに、ここの現場責任者は現在休憩中。

 よって、役職が繰り上がり、現責任者は青山くん。

 ツーアウトである。

 極めつけは、喧嘩の原因も青山くん発なら、暴力行為のスタートも青山くん。

 スリーアウト。どころか、アウトは4つ。

 野球のアウトカウントすら飛び越える、バカの見本市である。


「とりあえず、松井さんは他の風紀委員と……って、一年ばかりか! 出来る範囲でいいから、一年連中で周りの野次馬をどうにか遠ざけてくれ!」

「わ、分かりました!」

 そして俺は、騒動の中心へ。

「なにをやっとるんだ、君は!」

「ああん? あ、副会長じゃないっすか! うぇーい!」

 なにこの人。

 クスリでもキメてんの?

「いいから、やめろ! その手を離せ!!」

「ちょぉっ、オレのパンに触んじゃねぇよ!!」


「おっしゃぶりっ」


 今のは、青山くんの裏拳を喰らって後方にすっ飛んだ俺の声である。

 思わず赤ちゃんのお口の恋人の名前を叫んだみたいになってしまった。

「副会長! 大丈夫ですか!?」

 松井さんが再び俺に駆け寄ってくれる。

 優しい子だなぁ。

「おう、平気、平気」

「あっ、口元が」

 言われて口元を拭ってみると、少しばかり切れて血が滲んでいる。

「このくらいどうってことねぇよ。……さて、リテイクと行くか」

 この場で一番権限を持っているのは俺なのだから、どれだけひ弱さに自信があろうとも、俺が収めなければ。

 例えば鬼瓦くんでも呼べば万事解決だろうが、俺の代わりに今も働いている彼らにこれ以上の負担を強いる訳にもいかない。

 いくらなんでも、な。

「おいこら、いい加減に」


「へいへいへーい! オレめかぶぅぅぅぅぅぅっ」


 青山くんが独特のぬめりがクセになるご飯のお供みたいな断末魔を残して、廊下のはるか先へすっ飛んでいった。


「騒ぎを聞いて来てみれば、何なのあの俗物は! 誰か、あのゴミを生徒指導室に連行しなさい! 風紀委員からは即刻除名! 良くて停学、なんなら退学よ! まあ、沙汰は先生に任せましょ」

 何と言う迷いのない蹴りだろうか。

 見惚れた。


「まったく、良いざまね、桐島公平」

「まったく、面目ねぇよ、氷野さん」


「その顔……ふーん。まあ、良いわ。今この学園で、一番人気の少ない場所よ」

「……えっ?」

 俺の顔のステータスを表示させたらば、間抜けと書いてあるだろう。

「そこから、的確に指示を飛ばしてたのよ、あの子。気付かなかった? トラブルの報告が少ないってことに。ほんっとにグズね!」

 言われて分かる、現況。

 ここの騒ぎが初めてのトラブルである。

 誰かが巧妙にコントロールしていなければ、おっしゃる通り、少な過ぎる。


 なんだよ、あいつ。

 あんな顔で、しっかり仕事してんのかよ。

 本当に、すげぇヤツだよ。

 ちくしょう。


「桐島公平! 地図はあんたの目が腐るほど見たでしょう? 行きなさい」

 氷野さんは顎でクイッと俺の行く道を示す。

「不本意ながら、非常に不本意ながら、ここは私が引き受けたわ!!」

「すまん! 恩に着る、氷野さん!」



 もう迷路はおしまいだ!

 心身ともに、これ以上迷う理由はどこにもない!

「あの子をこれ以上泣かせたら、承知しないわよ!! 具体的には、ちりにするわ!」



 氷野さんの物騒なエールを背に受けて、俺は階段を駆け上がる。

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