エピローグ

最果ての空

「遠い空はどうだった? ケイ」


 スレイプニルのラウンジ。相も変わらず缶コーヒーを飲みながら、月臣ツキオミはそんなことを言った。


「父さんの遺言の事、聞いたわ」


「別に博士の遺言だからってだけで、ASF-X02/X03セレネを飛ばしたわけじゃないさ。俺もどこまで行けるか見て見たかったんだ。バタバタだったけどな。巧くいったのは奇跡だな……ホント」


 月臣ツキオミがグッタリとベンチの背もたれに、くずおれて居ると、横に座っているケイが、自分を指さして「ン」と言った。


「――あー、はい。ほんと計測限界値の情報処理IQ保持者アンサラー様のお陰です。ありがとうケイ。ありがとう遊佐ユサ……いや、ホントにな」


 缶コーヒーを杯代わりに。やや投げやり気味、しかし敬意も込めて、ぶっつけ本番の弾道ミサイルの太陽投下ミッションをやり遂げた、新時代の飛行士を称えた。


「まあ、それで許してあげるよ。無茶苦茶言い過ぎだからね君……ハハ」


 一度不満そうな顔を作ってから、ケイははにかんだ。


「しかし、何でまた核弾頭を太陽へ向かう軌道に乗せたんだ?」


 月臣ツキオミは缶コーヒーを地球に見立て、その周りを指で一回転。


「それね……――ヤーン・ヴァレリィって名乗ったじゃない?」


Su-77パーヴェルの隊長さんか? トレースルートした時の」


「そう、ヴァレリィ。ちょっと思い当たることがあって調べてみたの」


「うん」


「ユーリィ・ヴァレリィ……彼の祖父、グラードの宇宙飛行士だったわ」


「……俺が言った、あのミサイルが元々は打ち上げロケットだったって話も、あながち外れてないのかも……しれないのか」


 ユーリィ・ヴァレリィ。確かに聞いたことの有る名だ。

 しかし、宇宙開発事業が廃れ、その原因となった粒子センサネットワークを専攻している月臣ツキオミにとっては、随分と縁の薄い名だった。


「――でも、彼の出自が、核弾頭を投げ飛ばすのと、どう繋がるんだ?」


「私も、君やみんなが居なかったら、ああなってたのかな? って」


「それで?」


「そんな事考えてたら、なんか腹が立ってきて……勢いでやった」


 ブホッ、とむせ返した音がラウンジに響く。月臣ツキオミが手で押さえた口からコーヒーを垂らして、ケイを驚いた顔で見つめていた。


「いや、そんなに驚く事?」


「いや、驚くだろ……いつも効率とか合理性とか気にするお前がそんなこと言ったら。博士だってコーヒー吹いてるぞ絶対」


「吹かないわよ」


「いや、そんなことはない。たぶん大喜びしてるぞ。ケイが受け身過ぎるのを心配してたからな……あっはっは」


 月臣ツキオミが目元を掴んで一頻り笑う。

 その間、ケイはおとなしくその隣で座っていた。自分は変われただろうか? 遠く及ばないと思っていた父と月臣ツキオミに、少しは追いつけただろうか?


 そんなことを考えていると、笑い終わった月臣ツキオミが思い出したように、


「ところで……お前、しれっとスレイプニルに帰って来てるけど、海里カイリさん、いいのか?」


 と話題を変えた。


「良いんじゃない? Ver2.00開発の出向扱いだったし、それにASF-X02/X03セレネの状態でのデータも多いし、ASF-X02ナイトレイブンだけアルテミス・ワークスに持って帰ってもね」


「後の事は九朗クロウが、聡里サトリさんや海里カイリさん相手に折衝するか」


「そういう事。そういうのは専門家に任せておけばいいのよ……ん?」


「そうだな。コレからも頼むよ、専門家さん」


「あー……今の無しで」


 詭弁気味に揚げ足を取られて、ガックリとする。


「とりあえず……お帰り、で良いのか?」


 月臣ツキオミが手を差し出した。

 一度は振り払ってしまった筈のその手が、まだ自分の前にあった。それを暫く不思議そうに見つめてから、ケイはその手を取った。


「……ただいま。月臣ツキオミ


 握手をして、見つめ合って、丁度三秒。二人の心が少し揺れた――ところで、


「あー、こんなところに居たよ、遊佐ユサちゃん!」


 阿佐見アサミの良く通る声が聞こえてきた。


「あ、居た居た。ヨーコちゃんナイス。お姉ちゃん、月ニイ、社長が呼んでるよー」


 その後ろに続いているのは遊佐ユサだ。

 呼びに来た二人を見つめて、月臣ツキオミとケイは慌てて手を離し、照れ隠しに拳をぶつけ合った。

 今はまだその距離で、ぶつかり合って行こう。


      *


 ケイが核弾頭を太陽へ投げ飛ばしてしまったことで、大陸国家企業連邦ソユーズはノースポイント海上施設メガフロートへの一大攻勢をVer2.00に対する開示を目的とするものであったと発表。

 現在は停戦協定に基づき、事務手続きでのVer2.00の情報開示を打診中。

 大陸間弾道ミサイルの発射はASF-X02/X03セレネが撮影したカメラ映像があるものの、演算領域ラプラスで観測されていないこともあり、環太平洋経済圏シーオービタルとの折衝は平行線。

 結局、世界はなにも変わることはなく、電子戦闘空域が各地で起こり、不毛な限定戦争が繰り広げられ続けていた。


 それでも――

 と、月臣ツキオミは思う。

 ニール博士の敷いたレールはまだ続いているし、そのレールの先も、少しづつ観えてきた。

 A.S.F.はやがて戦闘機ではなくなるだろう。その時にはなんと呼ばれているだろうか?

 AIGISアイギスはいつか、人類の大いなる旅の友となるだろうか?

 きっと自分も、ニール博士と同じように、最後まで見届けることはなく、次代に何かを託すだろう。

 その時の為に、いろいろとやっておきたいことは出来た。

 ケイや遊佐ユサ、スレイプニルの皆が居れば、いつかきっとニール博士の想像を超えるところまで、そう――


 遠い――高く遠い最果ての空まで、行けると思うのだ。

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電子戦闘空域 中村雨 @takatouhiziri

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